第130話 領内巡り
エウリアスがラグリフォート伯爵領に帰省して、一週間。
年も改まり、エウリアスは十五歳になった。
新年と言っても、然程特別なことはない。
ゲーアノルトや家具に関わる使用人たちは、昨年の売り上げの計算や納める税について大忙しのようだが。
そんな中、エウリアスは毎日馬に乗って遠出をしていた。
ラグリフォート領のあちこちに出掛け、景色を眺める。
以前は思い立ったらいつでも見に来れた場所だが、今はそうもいかない。
王都に戻れば、次にラグリフォート領に帰って来れるのは一年後か。
そう思うと、エウリアスの足はついつい外に向かってしまうのだった。
ゴツゴツとした岩ばかりの山頂に立ち、ラグリフォート領の雄大な景色を見渡す。
少々風が強いが、エウリアスは胸いっぱいに冷たい空気を吸い込んだ。
「やっぱり、ここの景色は綺麗だなあ。」
「まあ、この辺りじゃ一番の山ですからね。」
エウリアスの感想に、タイストが頷く。
山が多いラグリフォート領ではあるが、雲を超えるような高さの山はあまりない。
そういう意味では、低めの山が多いということになるかもしれないが、それでも山は山だ。
それなりに慣れた者でなくては、普通に遭難くらいはするだろう。
エウリアスの護衛騎士も、さすがに鎧は置いてきた。
中腹までは馬で来たが、そこからは徒歩だ。
馬を繋いでいる場所に鎧も置き、登山用の荷物と剣を担いでいた。
そうして景色を眺めていると、グランザが空を見ながら歩いてくる。
今日は初めから登山のつもりだったので、いつもの護衛騎士だけでなく、兵士も同行していた。
護衛騎士は四人、兵士は六人。
十人での警備体制が敷かれていた。
ラグリフォート領主軍の兵士は、山岳地帯での行動に慣れている。
騎士は馬に乗っての行動が多いが、兵士は基本的に徒歩だ。
特にグランザのようなベテランは、領内の山という山のすべてに登頂している。
「ユーリ坊ちゃん。ちと天候が崩れるかもしれません。予定よりも早いですが、下りましょう。」
「あ、ほんと?」
「ええ。」
グランザが、まだ遠い雲を指さす。
風向きで、こちらに流れてくる可能性があるのだろう。
「雨雲じゃなさそうだけど……?」
「一応、念のためです。」
グランザの意見に、エウリアスは頷いた。
神様でもなければ、天候をピタリと当てられはしないだろう。
それでも、経験豊富なグランザが言うなら、従っておくべきだ。
「よし、じゃあ下りるよ。」
「「「はっ!」」」
エウリアスはグランザに先導させ、下山を始めるのだった。
途中の小屋で休憩を取りつつ、夕方になる前に、中腹にある山小屋まで戻ってきた。
馬を繋いでいたのは、この山小屋だ。
ここは山の見回りなどで使用する山小屋で、近くには川も流れている。
領内の山には、こうした山小屋がいくつもあり、領主軍の兵士たちが定期的に巡回していた。
元々は、ここには砦があったらしい。
帝国時代に築かれた砦だ。
しかし、五百年くらい前に帝国は崩壊し、七つに分裂した。
その時に、この辺りの地域を併合する戦いがあり、リフエンタール王国に組み込まれた。
王国軍は反乱する者に利用されることを怖れ、砦を壊したらしい。
今でもよく探せば、その頃の名残が見つけられる。
まあ、石が組まれていた跡とか、その程度ではあるが。
その砦跡に山小屋を建て、巡回路に組み込み、現在に至るというわけだ。
エウリアスたちが山小屋に戻ると、食事の準備などをしていた兵士たちが出迎える。
今回の遠征では兵士を一隊、十人ほど連れて来ていた。
登頂に同行したのは六人で、四人は山小屋で準備をさせていた。
エウリアスは現在、ラグリフォート領の南端に近い場所に来ている。
屋敷のあるレングラーの町は、領地の中央からやや北寄りにあるので、徒歩なら丸一日はかかるような場所だ。
日の出前に馬で出発していたので、結構へとへとである。
今日はこのまま、この山小屋で一泊。
明日の朝に山小屋を出発し、少し南部を回って、レングラーの町に帰る。
そんな一泊二日の計画だった。
「坊ちゃん。湯場の準備ができているそうです。」
タイストがエウリアスの傍にやって来て、そう報告する。
どうやら、準備組がそろそろ戻るだろうと用意しておいてくれたようだ。
「じゃあ、使わせてもらうよ。」
エウリアスが使わないと、他のみんなが使えない。
エウリアスに付き合ってこんな領地の端っこまで同行してきた騎士や兵士も、早く汗を流したいだろう。
背負っていた荷物を部屋に放り込むと、エウリアスはすぐに湯場に向かった。
山小屋はかなり広く、いくつかの部屋がある。
さすがに一般兵士用の個室はないが、一応は隊長などの上位者の使用する部屋と、会議室なども備える。
有事の際には、ちょっとした前線の指令所として活用される、立派な軍事施設だった。
…………そんな実績は一度もないが。
いや、ないにこしたことはないんだけどね。
エウリアスは湯場で汗を流し、兵士たちが用意してくれた食事をみんなで摂る。
普段、エウリアスは使用人たちよりも先に食事を摂るが、こうした場所ではみんな一緒だ。
そうして食事が終わり、山小屋での夜の過ごし方と言えば、定番は怪談話だ。
あえてランプの灯を消し、頼りない蝋燭の火だけで明かりを取る。
一人の兵士が苦し気に顔をしかめ、低い声でかつてあった凄惨な事故を語っていた。
「……そうして、夜な夜なのこの山小屋では赤ん坊の泣き声と、その赤ん坊を探す女性のすすり泣く声が聞こえ――――。」
「馬鹿野郎! ここは昔っから砦しかねえんだよ! 何で赤ん坊がいんだよ!」
「がははははっ! 細けえこたーいいんだよ! さあ、次だ次っ!」
兵士たちの語るホラー話ならぬ、てきとーなホラ話にエウリアスも苦笑しか出ない。
さっきからこの調子で、明らかに設定に無理のある話ばかりだった。
「あふ……、俺はそろそろ休ませてもらうよ。」
エウリアスは欠伸をして、椅子から立ち上がる。
「坊ちゃん、怖くなったらいつでも呼んでくだせえ。」
にやにやとしながら言うグランザに、エウリアスは手をひらひらと振る。
「夜中にグランザの顔を見る方が怖い。」
「わはははっ! まったくだ!」
「確かに、おばけの方がマシでさぁ!」
兵士たちがグランザを指さし、腹を抱えて笑った。
グランザが肩を怒らせ、立ち上がる。
「んだと、お前らっ!」
「はいはい。あんまりうるさくしないでよ。じゃあ、おやすみ。」
「「「おやすみなさい、坊ちゃん。」」」
「「「おやすみなさいませ。」」」
エウリアスは部屋に引っ込み、そっと息をつく。
早朝から動いていたので、かなり疲労感があった。
さすがに粗末なベッドしかないので寝心地はいまいちだが、ベッドで休めるだけマシだった。
エウリアスに同行した騎士や兵士は、毛布にくるまって雑魚寝をするのだから。
「随分とあちこちに行くのじゃな。」
エウリアスがベッドに潜り込むと、珍しくクロエが声をかけてきた。
「あちこちって、領内を見て回ってるだけだよ。」
「領地に戻ってからこっち。一日も屋敷でじっとしておらんのぉ。」
「……………………。」
クロエの言う通り、エウリアスは毎日出掛けていた。
朝に出て、夕方に戻る。
食事は家族と摂るが、それ以外は部屋に引っ込んでいた。
「あの母親…………ノーラとか言ったか。じっとしておれんのは、あの女のことか?」
「別に……そんなことないさ。」
これは、嘘だ。
エウリアスは、確かに屋敷に居心地の悪さを感じていた。
王都に行く前は、そこまで気にしないでいられた。
それが当たり前だったからだ。
だが、王都での暮らしに慣れてしまった。
それにより、どうにもノーラやアロイスのことが気になってしまうのだ。
ラグリフォート領に……ラグリフォート家の屋敷にいながら、
収まるべき物が収まっていない。
そんな、落ち着かない感覚を持て余していた。
「もう、前みたいにラグリフォート領を見られないからね。懐かしくて見て回っているだけだよ。」
「そうか。」
クロエは、エウリアスがこの話を打ち切ろうとしていることを感じ取り、黙った。
「おやすみ、クロエ。」
「ああ、おやすみ。明日は、酒を頼むぞ。」
「はいはい。今日の分も含めてね。」
「ほっほっほっ…………其方のそういう律儀なところは良いの。」
そうして、エウリアスは目を閉じる。
明日も朝が早い。
そんなことを一瞬だけ思うが、エウリアスの意識は極度の疲労に、泥に沈み込むように深く深く落ちていくのだった。
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