第129話 ヤンジャスの彫刻
エウリアスが、ラグリフォート伯爵領に帰ってきた翌日。
早速、家具製造の加工工場の一つに出掛けることにした。
以前なら然程気にならなかった、屋敷の居心地の悪さ。
母ノーラと弟のアロイスのことがあり、「あまり屋敷にいたくないな」と思ってしまったのだ。
勿論、そんなことに関係なく、工場の職人たちに会いたかったのもある。
エウリアスは四人ほどの護衛騎士と共に、工場に向かった。
前は護衛騎士などつけず、好きに馬で出掛けていたが、さすがに王都でのいろいろな事件のことがある。
ゲーアノルトにも、「護衛はつけるように」と注意をされてしまった。
馬で山道を駈け、ラグリフォート領を見下ろす。
さすがに冬となり、土色や灰色ばかりだが、これも見慣れた光景だ。
「坊ちゃん! 少しペースを落としてください!」
後ろからついてくるタイストが、声をかけてくる。
どうやら、気持ちが急いて、ペースを上げ過ぎてしまったようだ。
エウリアスは手綱を軽く引き、ペースダウンを馬に指示する。
程なくして坂を登りきり、拓けた場所に出る。
工場の前で、何人かで材木を加工しているようだった。
「みんなぁー、ただいまぁー!」
エウリアスが馬の上から手を振ると、職人たちがエウリアスの方を見た。
「ユーリ坊ちゃんっ!」
「ははっ、早速お出でなすった。」
エウリアスは馬を止めると、飛び降りる。
手綱をタイストに放り、職人たちの下に駆け出した。
「おかえりなさい、坊ちゃん。」
「うん! ただいま!」
エウリアスの声を聞きつけ、工場からも何人か職人が出てきた。
「坊ちゃん! 早速来ましたね。」
「昨日、馬車で戻ってきたのを見てた人から聞きました。」
「きっと今日にでも来るだろう、ってみんなで話してたんです。」
どうやら、昨日レングラーの町で見かけた人が、噂を広めたらしい。
温かく迎えてくれる職人たちに、エウリアスの胸はいっぱいになった。
家具製造の工場は、冬の間も止まらない。
必要な材木は、すでに山から切り出してあるからだ。
高級家具に使用する木は、乾燥に二年くらいかけている。
つまり、今使っている材木は、二年前に切り出したものなのだ。
この工場よりも少し行った場所に、そうして乾燥させるために材木を積んでいる。
こうした場所はラグリフォート領の至る所にあり、冬の間にも各工場が作業できるようにしているのだ。
エウリアスは工場に入り、現在造っている家具を見せてもらった。
本棚、机、テーブル、椅子、ベッドなど、細やかな
「はぁー……、やっぱりすごいなあ。」
大きなテーブルにさりげなく施されたレリーフに、エウリアスは溜息をついてしまう。
振り返り、一人の職人に視線を向ける。
「これはニムサの?」
「さすが坊ちゃん。分かりますか。」
エウリアスに聞かれた職人が、にやりと笑った。
ニムサは、この工場で一番の腕の持ち主だ。
レリーフもすごいが、テーブルの造りそのものが尋常ではない。
「なんかこれ、えらく気合入ってるけど……。どこからの依頼?」
「発注自体は何とかって侯爵ですが、贈り物みたいですよ? 相手は王族みたいですね。」
「ああ、道理で。」
献上品ともなれば、そりゃ気合も入るか。
お値段も、相当なものだろう。
そうしてテーブルの隅々を観察していると、若い職人が小さく手招きしているのに気づいた。
ヤンジャスだ。
ヤンジャスには、トレーメルの彫刻を発注しているのだった。
エウリアスが立ち上がってヤンジャスの方に行くと、小声で耳打ちしてきた。
「……例のブツ。もうすぐ完成しますよ。」
「あ、本当? 見れる?」
エウリアスがそう言うと、コクンと頷いた。
そうして、こそこそと工場の端の方へ。
どうやら、周囲に見られないように、衝立で区切ったスペースを作ったようだ。
そんなエウリアスとヤンジャスの様子に、職人たちが首を捻る。
「そういや、ヤンジャスの奴は最近何か造ってたな。」
「坊ちゃんからの特注とか何とか。」
トレーメルから依頼された彫刻は、正式に『受注』という形を採った。
金額を決め、ただ『彫刻』とだけ受注管理の方には伝えていた。
そして、その詳細な内容はエウリアスからヤンジャスに、直接手紙で伝えていた。
他の人には知られないよう、細心の注意をするように、とも。
ただし、依頼主はヤンジャスにも伝えていなかった
さすがに王族が依頼主と知ってしまうと、ヤンジャスではプレッシャーを感じてしまうだろうと考えての配慮だ。
経験豊富なニムサなら問題ないが、腕は良くともまだヤンジャスは若い。
余計なプレッシャーなどない、伸び伸びとした気持ちで造って欲しかった。
衝立で隔離された一画に入ると、作業台の上に布の被せらえた物がある。
これが、今造っている彫刻なのだろう。
ヤンジャスが慎重な手つきで布を持ち上げる。
「おおおおおおぉぉおおおぅ!?」
エウリアスの目が、その彫刻に釘付けになる。
それは愛と美の女神、ナーシャ・リーハムの像だった。
「こっ……これは……っ!」
エウリアスは口元に手を当て、呟く。
「やばいっ……これはまじでやばいって……!」
美しいナーシャ・リーハムが横たわり、気だるげに身を捩る。
その捻りの加えられた肢体が、艶めかしい曲線を描く。
胸元や腰回りに薄衣のような物を纏っているが、それが
「ど、どうですかね……?」
「ありがとう、ヤンジャズ! 本当にありがとう! 最高だよ!」
エウリアスは、両手でがっしりとヤンジャスの手を掴み、力強く握手した。
エウリアスが王ならば、絶対にこれを国宝に指定する。
一目見て、そう確信した。
「大丈夫ですかね?」
「大丈夫なんてもんじゃないよ! 俺の想像を遥かに超えてる! メルも絶対に喜ぶよ!」
「……依頼された方は、メルさんとおっしゃるのですか?」
あ、やべ……!
ヤンジャスには、トレーメルのことは内緒にしてるんだった。
「う、うん。学院で仲良くなってね。手紙で書いたろ? 前にもらった水の女神の彫刻を見たら、えらく気に入っちゃってさ。是非買い取りたいって。」
「はは……あんなのを、そこまで気に入ってくれるのは嬉しいですね。」
「あんなのじゃないよ! あれは素晴らしい物だ。ヤンジャスは家具造りもいいけど、芸術方向もすごい才能だと思うよ。」
「へへっ……ありがとうございます。」
手放しで褒めるエウリアスに、ヤンジャスが頭を掻いて照れた。
エウリアスは、もう一度ナーシャ・リーハムの彫刻を見る。
顔を近づけ、細部に渡ってじっくりと観察した。
「よくもまあ……ここまで表現できるもんだ。この、捻りを入れた腰回りとか、下腹部から胸部にかけての曲線がまじでやばいね。」
「そっすよね! やっぱ、曲線っすよね!」
再びエウリアスとヤンジャスは、熱く握手を交わした。
この熱い思いを共有できることが、人生における最大の喜びと言っても過言ではないだろう。
「でも、もう完成でいいんじゃない? あと、どこに手を入れる必要があるんだ?」
「いやぁ、ちょっと細かい部分で後回しにしたのがいろいろ残ってるんですよ。仕上げの艶出しもまだですし。今月いっぱいはこっちにいるんですよね? 坊ちゃんが王都に戻る前には完成させますんで。」
「分かった。頼んだよ。」
ヤンジャスが、しっかりと頷いた。
エウリアスは再び彫刻に布をかけ、その出来栄えに満足して、衝立から出る。
衝立の外で待っていたタイストが、変な顔をしていた。
「何やら盛り上がってましたが、どうかされたんですか?」
「ん……何がだ? 俺たちはただ、仕事の話をしてただけだぞ。なあ?」
「え、ええ……そうです。仕事の話です。」
エウリアスに続いて出てきたヤンジャスが、こくこくと頷く。
「さーて、あまり仕事の邪魔をしても悪いから、今日はもう行こうかな。」
「え? もう行っちゃうんですか?」
「もっと、ゆっくりして行ってくださいよ、ユーリ坊ちゃん。」
エウリアスが帰ると言うと、職人たちが引き留める。
「冬の間の準備をしているんだろう? また今度来るからさ。」
「そうですか……?」
「また、絶対に来てくださいよ。」
「勿論。それじゃ、邪魔したね。」
そうして、エウリアスたちは加工工場を出る。
職人たちに見送られ、エウリアスは来た道を引き返すのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます