第124話 騎士の不足問題
いよいよ社交シーズンが終わりに近づいた、ある日。
エウリアスは別邸に呼ばれ、ゲーアノルトと夕食を共にしていた。
普段は気の抜けたところを見せないゲーアノルトだが、さすがに相当お疲れのようだ。
久しぶりに家でゆっくり食事ができるということで、リラックスした様子だった。
「エウリアス、学院の方はどうだ?」
そう尋ねられ、エウリアスは口元に運ぼうとしてたフォークを止める。
「当初は、少し浮足立つ空気もありましたが、すぐに落ち着きました。」
「そうか。」
ゲーアノルトが聞いたのは、エウリアスの学院生活のことではない。
学院そのものの様子を確認したのだ。
「俺も最初は驚きましたけど、さすがに通るわけありませんよね。」
「ああ。」
ゲーアノルトはグラスを持つと、赤酒を一口飲む。
今話題にしているのは、『騎士学院の廃止』という議題についてだ。
この議題が革新派の貴族たちから提出され、議会の小会議で話し合われたらしい。
学院そのものを無駄なものとし、廃止を検討するべきではないか、と議論が交わされた。
そして、この話が学院生の耳にも入ったのだ。
おそらく、というか間違いなく、情報の出所は貴族家の縁者だろう。
瞬く間に噂が広がり、さらに噂が噂を呼び、動揺する学院生も多かった。
だが、すぐに廃案される見通しという観測が伝わり、落ち着きを取り戻した。
「革新派の中でも、さすがに学院の廃止まではやり過ぎだと考える者もいたようだ。」
提言はされたが、ゲーアノルトが予想したよりも賛同が集まらなかったらしい。
陛下に奏上されることもなく、それどころか小会議で廃案が決まったそうだ。
ゲーアノルトがグラスを置くと、ステインが赤酒を注ぐ。
ゲーアノルトはパンを千切るが、口には入れず、少し考えごとをしている様子だった。
「……あのような事件があれば、極論に走ってしまうのは分からなくもないが。今でも騎士は不足している。学院の廃止など、受け入れられるわけがない。」
学院内で貴族家の嫡男が亡くなるという、ショッキングな事件があったばかり。
あんな襲撃事件が起きなければ、というのはみなが考えることだろう。
だが、その原因を「騎士学院があるせいだ」というのは少々乱暴といえる。
軍縮を考えている革新派の貴族も、基本的には兵士数の削減を考えている。
そもそも、騎士は数が少ないからだ。
ラグリフォート伯爵領の領主軍は、総数で約三千五百人と教わった。
このうち、騎士は五百人。兵士が三千人だ。
これに、領内の治安を任されている警備隊が、別カウントで千人ほどいる。
領主軍と警備隊を合わせても、ラグリフォート領の人口比で一パーセント強くらいだ。
この五百人の騎士の年齢を、仮に二十~五十歳だとしよう。
すると、平均して毎年十六~十七人が引退することになる。
つまり、毎年それだけ採用しなければ、自然と減っていってしまうのだ。
総兵数に対して騎士の割合が大きいラグリフォート領は、その傾向が顕著だった。
騎士学院は五年制で、
一学年で三百人ほどだ。
ラグリフォート領の騎士だけで十六人を採用するとなると、もっと大きな領地を持つ公爵領や侯爵領は?
さらに言えば、学院生の主な就職先は王国軍だ。
これでは、とても毎年コンスタントに騎士を採用するなど不可能だった。
廃止どころか、もっと待遇を良くし、人数を確保しなければ現状維持さえもできない。
これが、現在王国が抱えている問題の一つ。
学院の廃止など以ての外、というわけだ。
エウリアスは肉料理をじっくり味わい、飲み込む。
「多くの貴族が危機感を持ていてくれたようで、安堵しました。」
「ああ。私も聞いた時は驚いたがな……。現状を鑑みれば、廃止などあり得ない。だが……。」
そこで、ゲーアノルトはパンを口に入れた。
赤酒でパンを流し込むと、軽く息をつく。
「だが、なかなか面白い意見もあった。」
「面白い、ですか?」
「ああ。」
そう言って、もう一度赤酒を口に含む。
「必要なら、騎士を自領で育てる。兵士はそうやっているのに、なぜ騎士だけは学院に頼るのか。」
「学院に頼るって……。それは、騎士としての振る舞いや、騎士道などの考えを教えるためですよね?」
「確かにその通りだ。しかし、これだけ騎士や騎士道が浸透しているのだ。領地で育てることもできるだろう?」
「なるほど……。」
昔なら、確かに学院で教える必要があった。
そもそも、騎士や騎士道なんて概念さえもなかったのだから。
しかし、すでに騎士も定着した。
やろうと思えば、自前で育てることもできる。
「ですが、自分たちで育てようとすると、かなり費用はかかりますよね。効率も良くないだろうし、
「そうだな。だから、これまでは誰もやらなかった。」
ゲーアノルトは、エウリアスの意見に頷いた。
「いろいろ問題もあるだろう。だが、試してみる価値はありそうだ。」
「試す……本気ですか?」
「まだ、これといったアイディアがあるわけではない。王都の騎士学院を修了した者と、まったく同じに扱うこともできないだろう。」
そこでゲーアノルトは、赤酒を飲み干した。
ナプキンで口元を拭くと、エウリアスを真っ直ぐに見る。
「しかし、騎士団の維持は喫緊の課題の一つだ。私の代で成果が出せなければ、お前がやるべき課題となるだろう。少し、真剣に考えておきなさい。」
「分かりました……。」
エウリアスが頷くと、ゲーアノルトも頷いた。
ナプキンをテーブルに置くと、席を立つ。
「すまないが、先に失礼するぞ。確認しておかねばならん資料が多くてな。」
「はい。あまり、根を詰めすぎないでくださいね。」
「もう一週間もないことだ。エウリアスの学院も、今週いっぱいだったな?」
「はい。」
「では、来週の頭に王都を発とう。そのつもりで準備をさせなさい。」
「分かりました。」
議会は今週いっぱいで、それは騎士学院も同じ。
冬休みはラグリフォート領で過ごすため、ゲーアノルトと一緒に帰る予定だった。
「おやすみなさい、父上。」
「ああ、おやすみ。気をつけて帰りなさい。」
ゲーアノルトが
そうしてデザートまで平らげ、屋敷に帰ることにする。
(ラグリフォート領、か……。)
ようやく里帰りができる。
屋敷の使用人たちや、工場の職人たちの顔が思い浮かぶ。
だが、喜びの中に、気がかりもあった。
(人ではなくなった存在。もしも、ルクセンティアや王都が襲われたら……。)
自分が襲われる分には、倒せばいい。
しかし、エウリアスのいない場所で、誰かが襲われたら?
そんなことを考えてしまい、目前に迫った冬休みを素直に喜べないエウリアスだった。
■■■■■■
王都内の、とあるコーヒーハウス。
奥の部屋では、二人の女性が密談を交わしていた。
「…………それ、私の仕事なの?」
長い黒髪を掻き上げ、エラフスが不機嫌そうに言った。
そんなエラフスの不満を受け流し、金髪の豪奢な髪の女性が、酒瓶をラッパ飲みする。
ぷはぁー……と息をつくと、真っ赤な口紅の塗られた唇を、ぺろりと舐めた。
「他に人がいないのだから仕方ないでしょう?」
「子飼いがいくらでもいるじゃない。嫌よ、そんな田舎をあちこち駆けずり回るなんて。」
「返り討ちにあったら元も子もないし、確実にやろうとしたら人数が必要になるわ。そんな目立つことするわけにいかないの。」
金髪の女性、ナシュハムにそう言われ、エラフスが顔をしかめる。
「向こうの奴らを呼び寄せればいいでしょ。前に、準備万端だって言ってたじゃない。」
「だからって、ほいほい動けるわけないでしょう?
エラフスは、明らかに苛立った様子でナシュハムを睨む。
肉食獣でさえ、いや肉食獣だからこそ、この気配を感じ取れば逃げ出すだろう。
そんな凶悪な気配が支配する部屋にいながら、ナシュハムはまったく気にせず、酒瓶を呷った。
「普段好きにさせているんだから、少しは動きなさい。こういうのは、
「…………………………。」
恨みや憎しみ、復讐心、そのための謀略や罠は、エラフスの管轄といえばその通りだった。
エラフスは、恨みや復讐心に鼻が利く。
常軌を逸したレベルの、そうした感情を抱く者を嗅ぎ分ける。
エラフスは顔をしかめたまま、考える。
やがて、大きく息をついた。
「分かったわよ……。でも、まだちょっとしんどいのだけど。」
前回の仕事では、エラフスの【
時間があれば『みすぼらしい女』のように、自分で力を集めさせることができたが、速やかに“
おかげで未だにダルいし、やる気が起きない。
それはナシュハムも理解しているため、エラフスに頷いた。
「急いで回復させなさい。数日で済むでしょう?」
「あら? いいの?」
ナシュハムの意外な指示に、エラフスが驚く。
「なるべく早く、こちらに引き込みたいの。できれば正気を保ったままでね。」
それを聞き、エラフスが口の端を上げる。
「ンフフ…………いよいよ、大詰めってわけ?」
「そうよ。ここまで来れば、細かいことはいいわ。とにかくすぐに回復させて、接触してちょうだい。これが最後の大仕掛け。ここが上手くいけば、いろいろ回り出すの。」
「逆に上手くいかなければ、いろいろ苦労する?」
「そういうこと。ま、苦労するのは私たちじゃないけどね。」
ナシュハムはそう言って、再び酒瓶を呷る。
エラフスは足を組み、虚空を睨んだ。
「でも、そうすると……あの子は大丈夫なの?」
ナシュハムは肩を竦めた。
「そこまで心配することもないでしょ? 確かに少し苦労しているみたいだけど、慣れと……単純に力がまだ足りないだけじゃないかしら。」
「不足に関しては、始まってしまえば問題ない?」
「そうね。慣れるのも、力がある程度溜まってからの方がやり易いでしょう?」
ナシュハムの話に、エラフスは頷く。
「分かった。……ちょっとやる気出てきたわ。」
「ちょっとじゃなくて、しっかりとやる気を出してちょうだい。」
「はいはい。それじゃあ、数日のうちに出発できると思うわ。」
「ええ、そうして。終わったら
「了解よ。」
エラフスは立ち上がると、ドアに向かった。
「ああ、待って。これ、支度金。」
ナシュハムは、真っ赤なハンドバッグから布袋を取り出し、エラフスに向かって放り投げる。
ジャラッと音を立て、エラフスが布袋を掴んだ。
中には、いつものように大銀貨が入っていた。
「五十万リケルあるわ。もし足りなかったら、立て替えておいて。」
ナシュハムからそう言われ、エラフスが微妙な表情で口を曲げる。
「…………
「貴女ねえ!? 全部は入れないでって言っておいたでしょう!?」
忠告を無視し、以前に渡したお金を全額ウォレットに入れたと聞き、ナシュハムが声を荒らげた。
「ま、何とかするわ。」
「ええ、そうしてちょうだい……。」
軽い足取りで部屋を出て行くエラフスを、ナシュハムは額を手で押さえて見送った。
この数日後、連日に渡って安宿で男の変死体が見つかることになる。
男たちの特徴は一致しており、全員がかなりの屈強な身体の持ち主。
また、明らかな拷問を受けた跡があり、苦悶に満ちた表情で絶命しているのも一致していた。
たった三日ほどの間に、十件近い変死事件が起き、王都の警備隊はしばらく大忙しとなる。
当然、警備隊の責任者で、警備隊総局局長のヨウシア・ホーズワースも同様だ。
だが、いくら異常な事件とはいえ、場末の安宿で起きたこんな事件のことが、エウリアスたちの耳に入ることはなかった。
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