第123話 幽霊公
王都から馬車で半日ほどの所に、非常に美しい屋敷がある。
ソリー公爵の屋敷だ。
高い壁に囲まれた広大な敷地。
美しい庭園の中には、人工的に作られた川も池もある。
このソリー公爵は、王国の中にあって少々特殊な立場だ。
領地は持たず、この屋敷もすべて王家の物。
ソリー公爵とは、国王によって
この爵位は、ある血筋によって継承されていた。
サザーヘイズ大公爵家だ。
現サザーヘイズ大公爵家の当主は、マクシミリアン・フォン・サザーヘイズである。
サザーヘイズ家の嫡男は、ソリー公爵としてこの屋敷で過ごし、家督を承継する際にこの屋敷を去る。
嫡男に、ソリー公爵の家督を譲って。
現在のソリー公爵は、マクシミリアンの次男。
名を、フィリクス・フォン・ソリーという。
彼がサザーヘイズ家を継ぐと、フィリクス・フォン・サザーヘイズとなるのが習わしだ。
通常、貴族家の嫡男は当主よりも一段低く扱われる。
公爵家の嫡男でも、男爵家の当主よりも立場は下だ。
ただし、サザーヘイズ大公爵家だけは別。
サザーヘイズ大公爵家の嫡男は、家督を承継するまではソリー公爵の爵位を持つことになる。
そのため、嫡男でありながら公爵家の当主と同等なのだ。
なぜ現在のソリー公爵がマクシミリアンの次男かというと、長男はすでに死去しているからだ。
前ソリー公爵は、長男のコルワーティ。
しかし、十六年前にコルワーティが病で亡くなり、次男のフィリクスが嫡男となった。
以降、フィリクスがソリー公爵として、この屋敷で過ごしている。
そのソリー公爵の屋敷に、一台の馬車が向かっていた。
前後を十騎ずつの騎馬隊に囲まれた、非常に厳重な警備体制。
馬車がソリー公爵の屋敷の門に到着すると、馬車だけが中に入ることを許された。
騎馬隊は門の横で待機し、馬車だけが門を潜る。
馬車に乗っているのはサザーヘイズ大公爵、マクシミリアンだ。
年に二回、社交のシーズンにマクシミリアンが王都に訪れた時だけ、面会することが許された。
それ以外では、陛下の許可を得た者しかこの敷地に入ることは許されないし、ソリー公爵が出ることも許されない。
マクシミリアンが息子であるフィリクスと会うことができるのは、これだけだった。
マクシミリアン自身も、かつてはソリー公爵としてこの屋敷で過ごしていた。
これは、サザーヘイズ大公爵家を継ぐ者の、義務のようなもの。
何より、ここでは非常に丁重に遇されるのだ。
王族と同等、下手をすれば王太子並みに遇され、剣や教養も身につけられる。
そうしてサザーヘイズ大公爵家の嫡男としての義務を果たせば、家督承継と同時に領地に行くことになる。
唯一の欠点は、人と会うことが許されないことか。
社交に出ることはなく、またパーティーを開催することもできない。
つまり、王国貴族であればソリー公爵のことを知ってはいても、実際に会ったことはなかった。
そのため、その特殊な立場故に、ソリー公爵は貴族たちから隠れてこう呼ばれていた。
――――
「ようこそ、おいでくださいました。」
屋敷の玄関で出迎えたフィリクスが、はるばるやって来たマクシミリアンを歓迎した。
フィリクスは金髪碧眼、三十代の男で、マクシミリアンの面影を感じる顔をしている。
マクシミリアンはフィリクスと笑顔で握手を交わし、頷いた。
「元気にしておったか。」
「勿論です。大公は如何ですか?」
「特に病気などはしておらんのだが、どうも以前のような活気が出ないな。…………さすがに年かもしれん。」
「ははっ……ご冗談を。そのような弱気なことをおっしゃらず、これからも元気でいてください。」
フィリクスは屋敷の中にマクシミリアンを招き入れると、
ソファーに座り、赤酒を用意させると、軽くグラスを掲げる。
「みなも、元気にしておりますか?」
「ああ、変わらずにやっている。」
「それは良かった。」
フィリクスがサザーヘイズ領を離れて、すでに
通常、ソリー公爵は生まれてからずっと、この屋敷から出ることがない。
誕生とともに、その時のソリー公爵の嫡男として育つ。
父であるソリー公爵がサザーヘイズ大公爵を継ぐと、新たなソリー公爵として爵位を受け継ぐことになる。
この屋敷で生まれ、この屋敷で育ち、この屋敷で結婚し、この屋敷で子を育てる。
そうして、サザーヘイズ大公爵を継ぐ時に、初めて屋敷の外に出るのだ。
だが、現ソリー公爵であるフィリクスは違う。
十四年前までは、サザーヘイズ領にいたのだ。
マクシミリアンが大公爵を継ぐ時、ともに領地に引っ越した。
この屋敷に残ったのは、ソリー公爵を継いだ長男のコルワーティだけだ。
しかし、兄であるコルワーティが亡くなったことで、フィリクスがソリー公爵を継ぐことになった。
コルワーティの子はまだ幼いため、フィリクスがサザーヘイズ大公爵の嫡男となったからだ。
そのため、フィリクスには領地に友人が多くいた。
ソリー公爵を継ぐために、サザーヘイズ領を去らねばならぬと伝えると、多くの友人が別れを悲しんだ。
マクシミリアンが、フィリクスを真っ直ぐに見る。
「何か、不足している物はないか?」
「あると思いますか?」
フィリクスは笑って答え、ぐるりとリビングを見回す。
すべてが一流の物に囲まれた生活。
王家は、後にサザーヘイズ大公爵を継ぐことになるソリー公爵を、非常にもてなしている。
「ご心配なさらないでください。こちらはとても快適ですよ。それは、大公もご存じでしょう?」
マクシミリアンも、かつてはソリー公爵としてこの屋敷に住んでいた。
それどころか、マクシミリアンにとっても、ここは生まれ故郷なのだ。
フィリクスの返答に、マクシミリアンは頷く。
「分かってはいるのだがな。気にはなってしまうものだ。」
マクシミリアンが苦笑した。
「まあ……何かあれば言いなさい。こちらで何とかしよう。」
「陛下に言って改善していただけなければ、その時は。」
フィリクスが、そう言って笑う。
マクシミリアンもその答えを聞き、笑ってしまう。
王家が対応しないわけがないと、分かっているからだ。
そうしてマクシミリアンとフィリクスは、久しぶりの談笑を楽しむのだった。
■■■■■■
騎士学院、一年生の教室。
授業の合間の休み時間だが、少々お疲れのトレーメルとルクセンティアに、エウリアスが心配そうに声をかけた。
「昨日もパーティー?」
「うむ……。」
「ええ……。」
社交シーズン。
毎日のように、どこかしらでパーティーが開かれる。
しかも、同じ日に一つだけとは限らないので、いくつかをハシゴすることもあるらしい。
「大変そうだね。」
「まあ、これも王族の務めだ。疎かにはできないのでな。」
「昨日はいくつ行ったの?」
「三つだ。」
「私は、お父様に連れられて二つほど……。」
トレーメルは、一晩で三つもパーティーに顔を出してきたらしい。
ルクセンティアもホーズワース公爵に連れられ、二つのパーティーに顔を出したそうだ。
「本当に大変そうだね。」
「何を呑気なことを……。そのうち、ユーリもあちこちに連れ回されるようになるぞ。」
サザーヘイズ大公爵家のパーティーで社交界デビューを果たしたエウリアスだったが、その後はあまり顔を出していない。
まだエウリアスが自分で出席するパーティーを選ぶ段階ではないので、ゲーアノルトに同行するだけ。
そして、そのゲーアノルトに言われるパーティーも、あまりなかった。
ゲーアノルトは毎日のように出席しているが、エウリアスを連れて行くパーティーはかなり選んでいるようだった。
トレーメルが溜息をつき、瞼を揉む。
「それでも、もう残りは半分だ。前半に集中させたおかげで、後半は少しマシにはなるな。」
参加するパーティーの分担を、前半が多くなるように調整してもらったらしい。
社交シーズンのパーティー開催の傾向として、上級貴族ほど前半に開催するという。
そのため、今年デビューしたトレーメルは、上級貴族のパーティーのすべてに顔を出したそうだ。
勿論、上級貴族以外のパーティーにも参加するので、相当集中することになった。
今期の社交は極端に多くなるが、以降は王族全体としてバランスを取るようになる。
つまり、大変なのは今シーズンだけで、年明けにある後期の社交からは半分以下に抑えられるらしい。
それに引き換え、大変なのはルクセンティアだ。
今期は社交デビューということで、顔見せで公爵に連れ回されている側面もあるが、何より
『是非、ルクセンティア嬢もご一緒に。』
と公爵に頼み込む貴族が殺到しているとか何とか。
これはルクセンティア本人からではなく、トレーメルとゲーアノルトからの情報だ。
かなり信憑性は高いと思う。
ルクセンティアの姉、ホーズワース公爵の長女と次女は、すでに結婚や婚約をしている。
つまり、残り一人。
ホーズワース公爵家と繋がりを持つには、ルクセンティアがラストチャンスなのだ。
そのため、凄まじい競争が発生しているらしい。
本人に、結婚する気などまったくないにも関わらず。
連日パーティーに連れ回され、ルクセンティアの疲労も今がピークだろう。
「私も、今後は大分減りますね。上級貴族のパーティーはほとんど終わりましたから。」
ルクセンティアを「自家の縁者と結婚させたい」と考える貴族は多い。
しかし、家格を考えれば上級貴族以外は現実的ではない。
公爵もそれは当然考えているので、基本的には上級貴族以外のパーティーには、ルクセンティアを同行させてはいないようだ。
「今期は仕方ないにしても、後期は絞らせてもらうつもりです。そもそもこちらは、結婚などまったく考えていないのですから。」
「考えていないのはティアだけで、公爵も相手の家も、結婚させる気まんまんだろう?」
トレーメルの言葉に、ルクセンティアがげんなりした顔になる。
そう。
ルクセンティアは、結婚そのものをまったく考えていなかった。
少なくとも、今は。
自ら騎士学院に通い「騎士の範とならん」と考えているのだ。
政治の道具となるのを良しとせず、騎士として生きる覚悟だった。
しかし、そんなのは本人だけである。
学院に通うことは渋々了承したホーズワース公爵ではあるが、是が非でも結婚させようとしているようだ。
そのために、パーティーに連れ出していた。
ルクセンティアの気に入った相手がいれば、即時婚約くらいは考えているかもしれない。
下手に時間を空けてしまえば、ルクセンティアの気が変わってしまうかもしれない、と。
夏休みにエウリアスと遊びに出掛けるのを黙認していたのは、ルクセンティアの考えを探る狙いがあったようだ。
エウリアスがルクセンティアの相手として相応しいかは置いておき、まずは普通に異性とお付き合いする気があるかどうか。
騎士として生きることにこだわっているようだが、考えを改めるかも、と期待している部分もあったと思われる。
「はぁ……、お父様もいい加減、諦めてくれないかしら。」
「諦めるわけないよね?」
ルクセンティアの愚痴に、エウリアスは思わず真顔になってしまう。
トレーメルが、半目でルクセンティアを見た。
「今頃、同じことを公爵もぼやいていそうだな。」
「ぷっ……!」
トレーメルの突っ込みに、つい噴き出してしまう。
結婚させたいホーズワース公爵と、騎士になりたいルクセンティア。
果たして、どちらが先に諦めることになるやら。
ルクセンティアが、じとっとした目でエウリアスを見る。
「笑い事ではないのですけど、ユーリ様?」
「……ご、ごめん。」
「しかし、普通に考えれば、公爵家の娘が『結婚する気ありません』は通らないだろう?」
トレーメルの正論に、エウリアスは余計なことは言わず、ただ視線だけをルクセンティアに向ける。
ルクセンティアもそれは分かっているのか、やや難しい表情になった。
だが……。
「無理矢理にセッティングするようでしたら、どうしましょうね……。」
そう呟くルクセンティアは、困っているというより、やや怖い笑顔になっていた。
(イレーネの例もあるからなあ……。さすがに、公爵家の娘が家出はシャレにならん。)
ルクセンティアの笑顔を見ながら、そんなことを思うエウリアスだった。
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