第120話 壁のシミ
煌びやかなパーティー会場。
エウリアスはゲーアノルトについて行くと、幾人か貴族家の当主に紹介された。
「ほほぅ、こちらが……。なかなかに立派なご子息ですな。」
「はは、それなりに教養などは身についてきたようだが、まだまだ気構えが足らずに苦労していてね。」
恰幅のいい男爵が、ゲーアノルトと挨拶を交わすと、すぐにエウリアスの
「そんなこともないでしょう。…………殿下の件、聞き及んでおりますよ。」
男爵が、少し声を落とす。
一応、トレーメル殿下襲撃事件のことは、公然の秘密となっていた。
貴族ならば知らない者はいないが、一般には伏せられている。
「若いのに、よくぞ立ち向かった。その気概を忘れぬようにな。」
「はい。ありがとうございます。」
エウリアスも幾分かは慣れ、笑顔でいることにそこまで苦労はない。
ただし、次は顔と名前を憶えることに苦労していた。
ゲーアノルトは軽く談笑するだけで、男爵との話を打ち切る。
「それでは男爵、また。」
「ええ。あ、そうそう、また今度うちに来てください。娘が、新しいテーブルと鏡台が欲しいとうるさくて……。どうしてこう、女というのは次々に買い替えたがるのか。」
「はは、それは大変だな。うちは幸い、娘がいなくて助かっているが。」
「それは羨ましいですなぁ。では伯爵、また今度。」
「ああ、奥方にもよろしく。」
ゲーアノルトがそう言うと、男爵が顔をしかめた。
「伯爵に会ったことを伝えたら、
「はははっ!」
「それではオフトマイヤー男爵、失礼いたします。」
冗談を交わし、にこやかに別れる。
エウリアスも笑顔で会釈するが、頭の中では必死に名前を繰り返していた。
「今のオフトマイヤー男爵は、数年来の上得意だ。王都の別邸や南部にある領地の屋敷では、
「そんなに買ってくださっているのですか?」
「ああ。十年くらい前に、白藍石という宝石が採れる山を領内に発見したのだ。南部では珍しい、農業を主な産業にしていた領地だったのだがな。今では宝石の採掘、加工、販売で莫大な利益を得ている。」
「それで、高価な家具をいくつも買い替えられるのですね。」
「そういうことだ。……だが、宝石などは採り尽くしてしまうこともあると聞く。そうなった時、果たしてどうなることか。」
どのくらい宝石が眠っているか。
それは、誰にも分からない。
莫大な利益を上げている今こそ、領地を支える別の産業を育てるチャンスとも言えるが。
「…………忠告はしないのですか?」
「言ってどうする。寄り親ならともかく、他領の領主が軽々に口を出して良いことではない。」
「はい……。」
領地の内政について、一切の口出しが許されない。
それらはすべて、領主が判断するべきことだからだ。
懸命な領主なら家臣からの意見を取り入れ、先々を見据えた手を打つだろう。
だが、それだって優秀な家臣がいれば、の話だ。
いなければ、自分で考えていかなくてはならない。
ふと気になり、エウリアスはゲーアノルトに尋ねる。
「オフトマイヤー男爵は、現王派の方ですか?」
「いや、革新派だな。予算はあるはずだが、様々な費用の削減に熱心なようだ。それ自体は悪いことではないが、外から見ていると少々危うく感じる。まあ、街道の整備はしっかり行っているようだが。…………輸送が滞っては、利益が上げられないからな。」
「……………………。」
前にトレーメルやルクセンティアと話をしていた時、革新派のことが話題に上がったことがある。
その時は、「地方で収入が乏しいので、少しでも費用を削減したい」といった感じの話だった。
しかし、オフトマイヤー男爵は同じ地方でもかなり裕福な領地のようだ。
そんな領地でも、革新派というのはいるらしい。
紹介してもらった貴族について、いくつかゲーアノルトに尋ねる。
今日紹介された貴族家は、みなラグリフォート産家具の上得意ばかりらしい。
派閥としては、現王派も革新派も日和見もいる。
政治と経済は別、とゲーアノルトは切り離して考えているようだ。
給仕の使用人が、大きなトレイでドリンクを配っているのが見えたので、エウリアスは手を挙げて合図を送った。
ソフトドリンクでも飲んで、一息つきたい。
「……今日は、酒は止めておきなさい。」
「飲みませんが!?」
ゲーアノルトに酒を止められ、エウリアスは驚いて声を上げてしまう。
そう言えば、ゲーアノルトにはまだ誤解されたままだった。
エウリアスが果実水のグラスを取ると、ゲーアノルトも同じ物を取った。
今日は、ゲーアノルトも酒を控えるようだ。
そうしてドリンクを飲んでいると、会場に流れる演奏が変わった。
拍手が沸き起こり、みんながそそくさと会場の奥に向かって行く。
あっという間に人だかりができた。
だが、ゲーアノルトは人だかりを見ているだけで、特に行こうとはしなかった。
「父上、あれは……?」
「ああ。サザーヘイズ大公爵、マクシミリアン様がお見えになったのだろう。」
なるほど。
挨拶のために、こぞってサザーヘイズ大公爵の所に、みんなが向かっているということか。
あまりに人が集まり過ぎて、ここからはその姿を拝むこともできないが。
「…………行かなくてよろしいのですか?」
「ああ、必要ない。」
素っ気ないゲーアノルトに、若干の違和感を覚える。
サザーヘイズ大公爵は、東部貴族の代表のような方だ。
同じ東部に領地を持つラグリフォート家としては、重要な相手だと思うが。
どうやらゲーアノルトは、サザーヘイズ大公爵との関りがあまりないようだ。
まあ、相手は数ある貴族家の頂点、こちらは伯爵家。
エウリアスも、自分から近づきたいとは思わなかった。
ラグリフォート産家具の、上得意にはなってもらいたいところではあるが。
「場が少し落ち着いたら、また数人紹介するからな。しっかり憶えなさい。」
「…………後で、おさらいをお願いします。」
「ああ、いいだろう。」
エウリアスが自信なさげに言うと、ゲーアノルトが苦笑した。
だが、すぐに表情を引き締める。
何事かと思い、ゲーアノルトの視線を追うと、一人の執事らしき人物がこちらに近づいて来ていた。
「失礼いたします、ラグリフォート伯爵。」
その執事は恭しく一礼すると、完璧な笑顔を作る。
「旦那様が、是非伯爵とお話したいと。お時間をいただけますでしょうか?」
そう言われたゲーアノルトは、逡巡すると頷いた。
その表情は、これまでのパーティー用の笑顔ではなく、真剣なものになっている。
(旦那様……?)
エウリアスには、この執事がサザーヘイズ家の使用人のように見える。
ということは、旦那様というのは、サザーヘイズ大公爵のことだろうか?
「エウリアス。私は少し離れる。戻るまで、この辺りにいなさい。」
「あ、はい、父上。」
ゲーアノルトに言われ、エウリアスは素直に頷く。
執事に案内されるゲーアノルトを、そのまま見送った。
(…………あまり関りがないのかと思ったけど、そうでもないのか?)
こうして執事をわざわざ遣いに出し、呼ぶ。
普通に考えれば、これは相当なことだ。
(家具の注文?)
エウリアスに思いつくことなど、それくらいしかない。
エウリアスはちびりとドリンクを飲むと、ゲーアノルトが消えていった雑踏をもう一度見るのだった。
突然一人きりになり、少々気まずい時間を過ごす。
右を見ても、左を見ても、貴族ばかり。
大人しく、エウリアスは
ドリンク片手に、華やかなパーティー会場を見回す。
着飾った、人、人、人。
そうした貴族たちの間を縫って、行き交う使用人を眺めたりする。
(暇や……。)
社交界デビューとは言っても、こんなものである。
下手にうろちょろして、何かやらかせば一生ネタにされるだろう。
ここは、大人しくしているのが吉だ。
そうして眺めていると、いくつかの人だかりを見つけることができる。
いずれの人だかりも、その中心には、今もっとも注目を集める人物がいることだろう。
大物貴族や、そんな大物貴族のご息女。
若しくは、美人と名高い貴族家のご息女だ。
もし射止めることができれば、貴族としてはそれだけでステータスである。
先程まであった、一際大きな人だかりはすでに解消されていた。
サザーヘイズ大公爵は、もう奥に引っ込んだのだと思われる。
高齢との話なので、あまり会場には留まらないようだ。
パーティーとは言っても、これも政治の一つ。
煌びやかなパーティー会場の裏では、少数の大物たちが密談をしていたりする。
サザーヘイズ大公爵も、むしろそのために毎年パーティーを開いているのかもしれない。
まあ、密談というとやや不穏なイメージがあるが、大物が一堂に会するからこそできる話もある。
要はそれだけのことだろう。
そうしてエウリアスが壁にくっついてると、声をかけられた。
「やあ、エウリアス君。」
エウリアスは声の方を向くと、にこっと笑顔を作った。
「ワッティンソン子爵、お久しぶりです。」
こちらに歩いてくるのは、農務省生産計画局の局長を務めているワッティンソン子爵。
決闘騒ぎ以来だから、何だかんだ言ってもう半年近く経っている。
ワッティンソン子爵の横には、一人の老紳士。
こちらも、見るからに貴族家の当主といった感じだ。
ワッティンソン子爵は、その老紳士にエウリアスを紹介した。
「彼が、前に話したエウリアス君だ。エウリアス君、こちらはナバール男爵。」
「初めまして、ナバール男爵。ラグリフォート伯爵家嫡男、エウリアスと申します。」
「ああ、キミのことは子爵から聞いているよ。よろしく。」
「よろしくお願いいたします。」
エウリアスは、今日何度目かの挨拶をしっかりとこなす。
ワッティンソン子爵は、軽く周囲を見回した。
「エウリアス君は、一人なのかい? ラグリフォート伯爵は?」
「父は、少し外しておりまして。」
「そうか……。伯爵にもご挨拶を、と思っていたのだが。」
そうして、ワッティンソン子爵がエウリアスに笑顔を向ける。
「今日がデビューかい?」
「ええ、実はそうなんです。緊張してしまって、知っている方がいてくれるとホッとします。」
「ははは、気持ちは分かるよ。みんなが通る道だ。」
エウリアスは、にこやかに頷く。
デビューとは言っても、特にお披露目のようなことは行われないけど。
そうしたお披露目を目的とした場は、デビュタント・ボールと呼ばれ、別できちんとパーティーが開かれる。
このデビュタント・ボールは、社交界デビューする
貴族家としては、少しでも良い家と繋がりを持ちたい。
そのための手段として、年頃の娘というのは絶好の機会の一つだ。
こう言ってしまうと身も蓋もないが、親心としては少しでも良い家に嫁がせたいというのもある。
だから気合いを入れ、家の総力を挙げて娘の社交界デビューをバックアップするのだ。
格上の家の、当主や嫡男を見初めさせれば、大成功。
そうでなくても、少しでも良い相手を娘に見つけてあげたいという親心で、このデビュタント・ボールは社交シーズンにあちこちで開かれる。
娘の社交会デビューのためだけにパーティーを開催するのだから、貴族というのは本当に大変である。
ちなみに、男の子が社交デビューするとしても、デビュタント・ボールのようなパーティーは開かれない。
まあ、デビュタント・ボールやその他のパーティーに行って、自分でお相手を探して来いということかもしれないが。
自分で見つけられなくても親が嫁を見つけてくるので、わざわざお披露目などする必要はない、という考えもありそうだ。
ナバール男爵が、エウリアスに会場の中心を示す。
「せっかくのデビューなのに、こんな所に一人でいては勿体ない。もうすぐダンスも始まるし、中央の方に行ってはどうかね?」
「すみません。父に、この辺りで待つように言われているもので。」
「そうか。まあ、まだ始まったばかりだし、慌てることもないか。」
そうして、ワッティンソン子爵やナバール男爵と、しばし談笑する。
失礼があってはいけないので、基本は聞き役だ。
相槌を打ち、相手の話の内容に一言添えて返す。
相手に「ちゃんと聞いてますよ」「この会話を楽しんでますよ」と伝えるためのマナーだ。
こうした会話では、途切れたり、沈黙などは
ここで失敗すると、それだけで「あいつはつまらん」となり、相手からの印象が悪くなってしまう。
そしてそれは、下手すると領地同士の政治や経済にすら影響するのだ。
こっわ。
だからこそ、ゲーアノルトも「ここで待て」とエウリアスに指示をしたのだった。
下手にあちこち歩き回り、いろんな相手と会話に失敗すると、それが領地経営に深刻な影響を与えかねないから。
「それでは、これからよろしくお願いいたします。」
エウリアスが丁寧に対応すると、ナバール男爵が頷いた。
ワッティンソン子爵とナバール男爵を見送り、エウリアスはそっと溜息をつく。
(…………もう、お家帰りたい……。)
一挙手一投足、会話の端々に至るまで気を遣い、すでにへろへろになっているエウリアスなのだった。
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