第119話 苦い、社交界デビュー
ゲーアノルトと共に馬車に乗り、エウリアスは若干の緊張を感じていた。
(ついに、この時が来ちゃったなぁ……。)
ガタゴトと揺れる馬車の中で、エウリアスは笑顔を張りつけたまま、そんなことを考える。
今向かっているのは、貴族の中の貴族、サザーヘイズ大公爵の屋敷だ。
社交シーズンが始まると、毎年必ず開催される大きなイベントの一つに、このサザーヘイズ大公爵家のパーティーがある。
ほぼすべての貴族が出席すると言われる、王国でも最大級のパーティーだ。
これほどの規模のパーティーとなると、他には王族主催のパーティーくらいしかないだろう。
貴族以外も招待されるパーティーなら、もっと規模の大きいパーティーもある。
しかし、貴族家当主と嫡男、その家族だけが招待されるパーティーでは、こんな規模のパーティーは王族とサザーヘイズ大公爵以外には無理だ。
派閥の問題もあり、たとえ貴族の全員に招待状を送っても、違う派閥の貴族はそこまで集まらないからだ。
そんな大きなパーティーが、エウリアスの社交界デビューの場となる。
だが、これはそう珍しいことではなかった。
嫡男に限らず、このサザーヘイズ大公爵家のパーティーで社交会デビューというのは、結構多い。
おそらく今日も、そうした子がエウリアス以外にもいるはずだ。
いつの頃からか、「サザーヘイズ家のパーティーでデビュー」というのが、秋の終わりの風物詩となっているそうだ。
エウリアスも今日のパーティー以降は、いくつかのパーティーに連れ出されることだろう。
ここでしっかりと経験を積んでおかないと、いざ自分が家督を継いだ時に、右も左も分からないということになってしまうのだ。
エウリアスは、窓の外を眺めるゲーアノルトに声をかけた。
「父上。サザーヘイズ大公爵家のパーティーは、前期だけと聞いているのですが。」
「ああ、毎年一度、今頃に開催されるのが恒例になっているな。前は後期にも開かれていたが、さすがにもうご高齢だからな。他のパーティーにも、あまり出席されていないと聞く。」
社交シーズンは前期と後期に分かれている。
前期が秋の終わりで、後期は冬の終わり。
この前期と後期の間は議会もお休みとなり、騎士学院の冬休みでもある。
約一カ月半ほど、間が空くことになるのだ。
かなり非効率なやり方な気がするが、なぜかこうなっている。
エウリアスの聞いた理由では、前期では農産物の
一部の税は、この時期に納めるらしい。
そして、冬の間に最終的な収穫量を確定させ、国に納税する分と領主が収める分を分ける。
この確定分を、冬の終わりに国に納めるのだ。
完全に、農業を中心とした納税の仕組みになっていた。
いろいろ面倒だし、問題もあるだろうが、こういうやり方で決まっている以上は従うしかない。
ラグリフォート領でもこの通りに納税しているので、ゲーアノルトが王都に来た時、年の初めから秋までの売り上げから納税しているはずだ。
残りは冬の間に計算し、年間を通した、確定した納税額を後期の社交シーズンに納めるはずである。
つまり、納税のタイミングで
『どうせ王都に来るだろう? だったらその時にいろんな問題も話し合っておこうぜ。』
というのが、現在の社交シーズンである。
上級貴族だけでなく、すべての貴族の意見を広く聞こうとする陛下の考えで、納税のために王都に来た貴族たちに話し合いをさせているわけだ。
ちなみに、社交シーズンしか法律が作られないかというと、そんなことはない。
そもそも法を発効させるのには、陛下の裁可だけあればいいのだ。
緊急を要するものは、宰相や大臣らの意見だけを聞き、即時成立させることもできる。
それでも可能な限り広く意見を聞こうとするのは「陛下がそういう御方だから」としか言いようがない。
馬車が減速すると、ゲーアノルトが窓を閉めた。
「そろそろ着く。……言うまでもないが、気を引き締めなさい。」
「ご心配なく。言われるまでもなく、そんな余裕はありませんので。」
エウリアスがそう言うと、ゲーアノルトが苦笑した。
いつも
エウリアスは両手で顔を覆い、何度か深呼吸した。
そうして顔を上げると、いつも以上に真剣な顔を作った。
ゲーアノルトが口の端を上げると、エウリアスも口の端を上げる。
「ややぎこちないが…………悪くない。今日がデビューだと一目で分かるな。それくらいで丁度いい。」
「はい。」
貴族が一斉に会する場に赴くなど、これが人生で初めてなのだ。
誰でも緊張するのは当たり前。
そういう意味で、やや緊張が伝わる今のエウリアスは、典型的な『今日デビューする嫡男』だった。
馬車が停車すると、客車のドアが開かれる。
サザーヘイズ家の執事が、完璧な笑顔をゲーアノルトに向けた。
「招待状を拝見いたします。」
ゲーアノルトが差し出した招待状を確認すると、すぐに返す。
そうして、ちらりとエウリアスに視線を向けた。
「息子のエウリアスだ。」
「失礼いたしました。ラグリフォート伯爵、エウリアス様。ようこそお出でくださいました。心より歓迎いたします。」
そう言うと執事はドアを閉め、御者に進むように指示をした。
(うぁー……、本当に来ちゃったよ。どうしよう……。)
などと思いながら、エウリアスはにっこりと微笑む。
始まってもいないのに、もう顔が引き攣りそうな気分だった。
再び馬車が停車すると、ドアが開かれる。
エウリアスは気合を入れて微笑み、馬車を下りた。
だが、目の前に広がる光景を見て、エウリアスは思わず固まってしまう。
(…………何だ、これ……!)
無数の魔法具の灯りが置かれ、まるで昼間のような明るさ。
屋敷はもはや宮殿のようであり、豪華さでいえば、下手すると王城さえも凌ぐほどだった。
「エウリアス、表情を忘れているぞ。」
「あ……申し訳ありません、父上。」
馬車を下りたゲーアノルトに言われ、慌ててエウリアスは表情を作る。
何気ない風を装い、辺りに視線を巡らした。
庭園も見事であり、一体どれほどの財力があれば、こんな屋敷を構えることができるのか。
ゲーアノルトの後について、エントランスに向かう。
目に映る物すべてが、まるでエウリアスの知らない世界のようだった。
集まった貴族たち、その貴族の馬車や護衛隊。
それらを収容し得る、広大な敷地。
宮殿のような屋敷、魔法具の灯りで照らし出されたエントランス周辺は、もはや幻想の世界だ。
(これが、貴族の中の貴族……。)
諸侯の頂点に君臨する、サザーヘイズ大公爵家。
ホーズワース公爵家だって、エウリアスからすれば大貴族である。
その屋敷だって、とても立派だ。
しかし、ホーズワース公爵家の屋敷は、エウリアスの想像の範疇だった。
ラグリフォート家の屋敷も、伯爵家の中では立派な方だ。
そうして家格が上がっていけば、徐々に屋敷も立派になっていく。
ホーズワース家の屋敷は、そうした想像の延長線上にあった。
しかし、サザーヘイズ家の屋敷は違う。
それはもう、まったく別のカテゴリーだ。
貴族や大貴族とは違う。
先日見た、王城とも違う。
エウリアスのまったく知らない世界に迷い込んでしまったような、そんな衝撃を感じた。
ゲーアノルトは、エントランス前で同行していた護衛騎士に指示を出す。
「お前たちはいつものように。」
どうやら、護衛がつけるのはここまでのようだ。
近くに護衛の待機できる場所があり、そこに付き従っていた四名が向かう。
ラグリフォート家の護衛隊はもっといるが、他は馬車の方で待機する手筈になっていた。
広いエントランスに入ると、多くの人がいた。
サザーヘイズ家の使用人が招待客のチェックを行い、会場前では護衛騎士が警護を固める。
だが、雰囲気は明るかった。
(……みんなの振る舞いが優雅だからか。)
招待客たちも、スムーズに案内される。
かなりの人数が入り乱れているのに、あまり混雑している風に感じなかった。
会場の入り口に近づくと、品の良い若い使用人がやって来る。
「失礼いたします。招待状をよろしいでしょうか。」
ゲーアノルトが招待状を渡すと、使用人がにこりと微笑んだ。
「ようこそお出でくださいました、ラグリフォート伯爵。今宵は、心ゆくまでお楽しみください。」
「ありがとう。こっちは息子のエウリアス。」
エウリアスが軽く頷くと、恭しく使用人が頭を下げた。
「ようこそお出でくださいました、エウリアス様。心から歓迎いたします。」
そうして使用人に案内され、会場の中に入った。
会場に一歩足を踏み入れると、エウリアスは息を飲んだ。
会場には、すでに数百人という招待客が来ていた。
貴族と、その家族。
主催するサザーヘイズ家の使用人たちも含めると、すでに千人を軽く超す人がいるだろう。
だが、まったく混雑していない。
凄まじい広さの会場で、その豪華さにも圧倒された。
高い天井、煌びやかな照明。
壁には巨大な絵画がいくつも飾られている。
楽団による演奏が、会場内に響く
エウリアスはただ黙って、ゲーアノルトの後をついて行った。
「どうして、このパーティーでデビューする子弟が多いか分かるか?」
不意に、そんなことをゲーアノルトに聞かれる。
「…………多くの貴族が集まるからですか?」
エウリアスは少しだけ考え、自分の考えを伝えた。
紹介して回るのに、一遍に済ませられるから、とか。
そんな理由が思い浮かぶが、できれば「もっと小さいパーティーで慣れさせてほしい」と思うのは、我が儘だろうか。
一度に紹介されたって、さすがに憶えきれませんよ?
エウリアスの答えを聞き、ゲーアノルトが頷いた。
「確かにそれもある。だが、普通はもっと小さいパーティーから慣れさせると思わんか?」
「そうですね。俺も今まさに、そう思っていました。」
エウリアスがそう言うと、ゲーアノルトが笑う。
「このパーティーを見れば、後はどこに顔を出しても気後れせずに済むだろう? 逆に、どれだけ他のパーティーで慣れようと、ここに来れば縮み上がる。だから、いっそここでデビューさせるようになった、と聞いたことがある。」
その無茶苦茶な理由に、エウリアスは思わず顔をしかめそうになった。
そうして、最初にそんなことを言い出した人物を、呪わずにはいられない。
誰か知らないけど。
ゲーアノルトに続いて、会場の中ほどまで進む。
やや緊張したエウリアスは、そこでふと気づいたことがあった。
(…………視線か。)
ゲーアノルトに気づいた貴族や、その家族の視線。
「…………木こり風情が。」
「まあ、何て場違いな……。」
明らかな侮蔑を含んだ視線が、主にゲーアノルトに向けられていた。
ゲーアノルトに付き従うエウリアスにも、その視線は向けられる。
「…………あれが例の、木こり伯爵の子倅か……?」
「……王都で兵士を動員させたとか。」
「何と野蛮な……。」
「大公も、なぜあのような木こり風情を毎年招待されるのか。」
騒がしい会場の中でも聞こえてくる、声。
「マクシミリアン様は、どなたにも気を配られるお方ですから。」
「きっと、辞退されることを期待されておられるのでしょう。」
エウリアスは微笑みを維持するのに、ひどく意思を必要とした。
(…………俺が何を言われたって構わないさ。俺の短慮で、多くの人に迷惑をかけたのは事実だ……!)
だが、なぜゲーアノルトが、このように言われなくてはならないのか。
領地のために、領民のために、誰よりも頑張っているゲーアノルトが……。
エウリアスは悔しかった。
自分が何と言われようと気にしない。
まだまだ未熟で、失敗もするだろう。
そのせいで、迷惑をかけることもある。
その結果ならば、周囲のどのような評価も甘んじて受けよう。
その時々で間違った判断をしたとは思っていないが、それでも「もっと良い方法があったはずだ」と自分でも反省をしていた。
だが、ゲーアノルトが悪しざまに言われるのは、苦しかった。
ゲーアノルトは立ち止まると、エウリアスの方を振り向いた。
「……気にするな、エウリアス。」
「父上……。」
「お前の言う通りだ。誰に何を言われようと、エウリアスは気にしなくていいのだ。お前なら、立派な貴族になれる。私と違ってな。」
そう言って、ポンとエウリアスの肩を叩く。
「そんな顔をするな。笑いなさい。今日は、せっかくのお前のデビューなのだから。」
「…………はい。」
ゲーアノルトは前に、『木こり伯爵』を受け継がせたくない、と言っていたことがある。
エウリアスは、この時に初めてゲーアノルトの思いを理解した。
ゲーアノルトも、自分が『木こり伯爵』と蔑まれることは、我慢できたのだ。
だが、それをエウリアスまで言われることは、我慢できなかった。
エウリアスが今、ゲーアノルトが『木こり』と蔑まれることに、我慢できないように……。
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