第118話 社交の始まり
リフエンタール王国では、社交のシーズンは二回に分かれている。
前期が秋の終わり頃。
後期が冬の終わり頃。
それぞれが、約一カ月ほどだ。
社交シーズンとは、そのまま王都で議会が開かれる期間であり、この期間に国内外の様々な問題が話し合われる。
すべての議題に全員が参加するのではなく、基本は小会議という話し合いの場に各派閥で貴族を送り、議論が交わされる。
この小会議には、関連する大臣や長官、官吏なども出席して意見を述べる。
その結論が、シーズン中に数回ある本会議で採決にかけられる。
この採決は、あくまで国王陛下に奏上する際に、申し添えられるだけのものだ。
賛成が多いのか、反対が多いのか。
どういった議論がなされたのかも伝えられ、陛下が正しい判断を下せるようにするための、あくまで判断材料でしかない。
もっとも、これは形式的な話であって、実際は事前に担当の大臣や官吏から説明を受けている。
つまり、奏上される前から、実は結果が決まっていることがほとんどだ。
こうした政治のやり方は、実はここ二十年くらいの話である。
五百三十年近い王国の歴史において、議会という仕組みや社交シーズンの在り方について随分と変わってきた。
上級貴族だけで政治を行っていた時代もあれば、すべての議題にすべての貴族が参加していた時代もある。
一年を通して議会が開かれていた時代もあれば、不定期に行われていた時代もある。
その時代時代で、政治の在り方も様々だった。
「ふぅ……。」
ゲーアノルトは、王城の廊下を歩きながら、少し疲れを感じていた。
これまで、積極的には政治に関わって来なかったゲーアノルトではあるが、この社交のシーズンだけは別だ。
実質的には現王派と歩調を合わせるスタンスであったが、厳密に現王派として与していたわけではない。
個々の議題を自分で判断して、現王派の意見に理があると判断していたに過ぎない。
つまり、周りに現王派だと思われているだけで、これまでは正式な現王派ではなかったのだ。
特に否定する意味もないし、面倒なので自分でも「現王派だ」ということにしていたが。
しかし、派閥として活動していなかったゲーアノルトにとって、今の政治のやり方は非常にハードでタフだった。
何せ、王城内のいくつもの会議室で、小会議が開かれているのだ。
いつ、どこの会議室で、どの議題が話し合われるのか。
スケジュールをきっちり組み、出るべき小会議を選ぶ。
出席できない小会議も、議事録を取り寄せて、後で読み込む。
そんなことを毎日のように繰り返しながら、夜には社交パーティーにも出席するのだ。
体力に自信のある今はいいが、いずれはこんなやり方は身体がもたなくなるだろう。
それを考えれば、ホーズワース公爵と歩調を合わせるという協定を結んだことは、いい機会だったかもしれない。
だが、急にはやり方を変えられないゲーアノルトは、今シーズンはいつも通りのやり方で会議に出席していた。
本格的に現王派の貴族とコミュニケーションを取るようになれば、事前に現王派の意見を知ることができる。
そうなれば、後は革新派や日和見から、どんな意見が出たかを確認するだけで済むようになるだろう。
ゲーアノルトは、護衛騎士を待機させている控室に向かった。
この控室は、貴族であれば誰でも使うことが許されている、広い部屋だ。
城内にいくつかあるが、ゲーアノルトがいつも使っているのは、会議室への移動がしやすい場所にある控室だ。
帯剣を禁止された区画ではあるが、荷物などを預けるために、護衛騎士や使用人を同行させている貴族は多い。
ちなみに、上級貴族は専用の部屋が城内に用意されている。
「――――これ以上、まだ税金を上げる気かっ!」
ゲーアノルトがある会議室の前を通り過ぎた時、大きな声が聞こえてきた。
思わず振り返り、立ち止まる。
この会議室は、いくつかの増税案の一つ、
現在、輸入に制限のかかっている奢侈品や嗜好品を、大幅に緩和する。
これ自体は多くの者にとって喜ばしいことではあるが、それに伴い税を見直すことにした。
それも、税率を引き上げる方向に。
陛下の考える国土改造計画の原資として、大きく期待されている財源の一つだった。
これまで輸入量を規制されていた商会からすれば、品目と量が増えることは有り難いだろう。
しかし、税率が上がるのであれば、思ったように利益が上げられない。
取り扱う品目と量が増えるということは、輸送コストも上がるからだ。
まあ、増えたコスト分も卸値に上乗せすれば済む話だが、それはそれで売価が上がることに繋がる。
売価が上がれば、売れる量にも影響する。
せっかく大量に輸入しても、どれだけ売れるか、どこまで儲けが出せるか未知数だ。
もっとも、それでも一定の需要があるのが、奢侈品や嗜好品という物なのだが。
勿論、貴族は自分で商会を営んでいるわけではない。
しかし、領地の収入とは、こうした商会の売り上げから徴収することになる。
せっかく税収が増えても、国にそれを持って行かれては堪らない、というわけだ。
(気持ちは分からなくもないが、仕方あるまいに……。)
今声を荒らげている貴族も、おそらくは領地に入る収入自体はかなり増える。
その取り分を「もっとよこせ」と言っているに過ぎないのだ。
さすがに、これは通らないだろう。
ゲーアノルトは控室に着くと、ラグリフォート家の護衛騎士の下へ向かった。
「ゲーアノルト様、ご苦労様でした。」
護衛騎士がゲーアノルトから書類を受け取り、鞄に仕舞う。
「本日はこれで終了ですか?」
「いや、この後まだ出ておきたい小会議が一つある。そちらに出てからだ。」
ゲーアノルトはそう言うと、水袋から水を飲んだ。
ほぅ……と息をつき、騎士の一人に視線を向ける。
「いつも通り、議事録の申請をしておいてくれ。」
「分かりました。」
すべての小会議で、どんな意見が出たか議事録がとられている。
この議事録は、有料だが写しをもらうことができる。
ゲーアノルトは自分が出席した小会議も含め、すべてを入手することにしていた。
一つの議題に対し、何度も会議を重ね、議論が煮詰まったところで本会議に送られる。
内容を把握していようがいまいが、採決では賛成か反対かを表明しなくてはならない。
そのため、一つひとつの議題についてしっかりと理解しておかなくては、間違った判断をしてしまうことになる。
もし間違えば、それはゲーアノルトやラグリフォート領の首を絞めることにもなりかねない。
法律というのは、一度成立してしまえば「知らなかった」で済むものではないからだ。
(この後は、輸出制限についての会議に出て、日が暮れるまでには戻れそうか……?)
改革派が出した「一部品目に対する輸出制限について」という小会議に出る予定だった。
制限をかける理由と、ラグリフォート産家具の輸出に影響があるか、よく確認しておく必要がある。
もしも、戦略物資の国内備蓄を増やす、という目的なら理解できなくはない。
だが、輸出で収入を得ている領地もある以上、相当に揉めそうな会議だった。
(会議が終わったらすぐに戻って…………今日もパーティーがあったな。)
この後のスケジュールを思い、気が重くなってしまうゲーアノルトなのだった。
■■■■■■
ゲーアノルトは王城から戻ると、すぐに支度を始めた。
今夜は、重要なパーティーがある。
サザーヘイズ大公爵の屋敷で開かれるパーティーだ。
ほとんどの貴族家が出席する、とても大きなパーティーだった。
浴室で汗を流し、パーティー用の衣装に着替え、髪を整える。
時間にあまり余裕がないため、すぐに出る必要があった。
「エウリアスの支度はどうだ?」
「すでに整い、お待ちでございます。」
ステインの報告に頷くと、ゲーアノルトは部屋を出た。
エントランスに行くと、きっちりと身支度を整えたエウリアスが待っていた。
スラリとした、やや線の細い立ち姿。
頼りなさげに見えるが、これで意外に力が強い。
難なく
ゲーアノルトは、エウリアスの立ち姿を見て、溜息をつかずにはいられなかった。
(……よくぞ、ここまで育ってくれた。)
今日のために仕立てた服も相まって、まさに理想の貴族の嫡男に見えた。
この時のために、何年もの時間をかけ、徹底した教育を施してきたのだ。
やや線の細さが気になるが、これから騎士学院で鍛えられれば、それも解消されるだろう。
ゲーアノルトが近づいていくと、エウリアスもすぐに気づく。
柔和に微笑んでいたエウリアスだが、ゲーアノルトを見て、僅かに表情を曇らせた。
「父上、大丈夫ですか? お疲れの様ですが……。」
心配そうなエウリアスに、ゲーアノルトは笑いかけた。
「疲れているのではない。お前が失敗せぬか、心配しているだけだ。」
「そうですか。では、大人しくしていることにします。」
そう、にこりと笑顔を作る。
「それでいい。今日が、お前にとって初めての社交になる。無難にこなせばそれで良い。」
「はい。」
そうしてゲーアノルトは、エウリアスを伴い馬車に乗り込む。
実際、疲れたなどと言っていられなかった。
このパーティーは、ラグリフォート家の今後に影響する非常に大事なものだ。
ここでエウリアスが失敗すれば、ずっと貴族社会から侮られることになる。
ゲーアノルトは、向かいに座ったエウリアスを見た。
さすがのエウリアスでも、少しは緊張しているようだ。
表情は上手く取り繕っているが、緊張しているのが分かった。
「会場では、私の傍を離れぬようにな。」
「分かっています。」
「あと、余計な口を出さぬように。」
「…………勿論です。ご心配なく。」
やや複雑な表情をするエウリアスに、ゲーアノルトはおかしくなり、僅かに肩を震わせるのだった。
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