第117話 閑話 サザーヘイズ大公爵
リフエンタール王国の東部に、一際大きな領地を持つ貴族がいる。
サザーヘイズ大公爵。
建国王の弟、ノウマン・サザーヘイズを祖に持つ、諸侯の頂点に立つ大貴族だ。
リフエンタール王国が現在のような大国であるのは、サザーヘイズ大公爵家によるもの。
そう言われるほどに王国で随一の貢献を果たし、現在の大公爵という地位にある。
王国東部の中では最北に位置するこの大公爵領は、領邦という扱いだ。
諸侯よりも多くの権限が与えられているが、主権はあくまで国王にある。
そのため、大公国でも公国でも、領邦国家でもない。
半自立の領地であった。
第四十三代サザーヘイズ大公爵、マクシミリアン・フォン・サザーヘイズ。
とはいえ、さすがに官職からは退き、普段は大公爵領で過ごす。
だが、社交のシーズンには必ず王都に来て、盛大なパーティーを開催する。
議会では『日和見』を束ね、大きな発言力を持っていた。
貴族の中には、マクシミリアンが日和見であることに、眉を顰める者もいる。
「彼の大英雄ノウマンが、今のサザーヘイズ大公爵を見ればどう思うか。」
そう嘆く者がいるのは事実だ。
しかし、ほとんどの貴族はマクシミリアンの思いを推し量る。
それは、
「諸侯同士の決定的な衝突を避けるために、緩衝材の役目を引き受けておられる。」
というもの。
王国には百を超える貴族家があり、それぞれの領地によって事情は様々だ。
常に自らの意見を押し通し、異とする意見を跳ね除けていては、いずれは修復不可能な亀裂が生じる。
王国の安定のためには、それは良くない。
そう考え、マクシミリアンがあえて中立に立ち、両者を取り持つ。
具体的に言えば、それは現王派と革新派だ。
マクシミリアンは、基本は現王派と歩調を合わせるが、容れるところは革新派の意見も取り入れた。
マクシミリアンが両者の意見のバランスを取るおかげで、現在の王国は諸侯の衝突も比較的抑えられていた。
マクシミリアンは、十日ほどの大公爵領からの旅程を終え、王都にある別邸に到着した。
別邸と言いながら、その屋敷はまるで宮殿だ。
部屋数は、使用人たちが使う分を除いても二百にもなる。
「さすがに、年々来るだけで大変になるな……。」
マクシミリアンが、すっかり白くなった髪を撫でつけ、窓から空を見上げる。
向かいに座った金髪の執事は、何を言わない。
その執事は、服装だけは確かに執事だが、いろいろおかしな点があった。
まず、仮面をつけていること。
その仮面は、よく磨かれた金属のような光沢を持っていた。
目の部分にさえ穴が無い、のっぺりとした仮面。
そして、帯剣していること。
執事が、なぜか帯剣している。
この、ちぐはぐな仮面の執事は、マクシミリアンの向かいに座ったまま、じっとしていた。
馬車が停車すると、素早く仮面の執事が降りる。
仮面の執事が差し出した手を取り、マクシミリアンが馬車を下りた。
「マクシミリアン様、長旅お疲れ様でございました。」
エントランス前で待っていた、別の執事の挨拶に頷き、マクシミリアンは杖を突いてエントランスに入る。
「ラルヴァ。後は任せる。私は部屋で休む。」
「かしこまりました。」
ラルヴァと呼ばれた仮面の男が、恭しく一礼する。
「マクシミリアン様をお部屋に。お前たちは荷物を。パーティーの準備はどこまで進んでいる?」
ラルヴァは
到着したばかりだというのに、てきぱきと指示をし、屋敷のすべてを取り仕切る。
「王城に、明日以降で謁見の申し込みを。陛下への献上品は届いているな? 確認する。持ってきてくれ。」
事務用の部屋の一つに入り、机の上に置かれた手紙の数々を手に取った。
ざっと差出人だけを確認し、重要度によって順番を入れ替える。
「今年のパーティーの参加はいくつだ?」
ラルヴァが椅子に座りながら、執事に確認する。
「参加するとの返事のあった家は、八十七になります。」
「昨年よりも四家も減っているな。」
「それが……現王派と革新派、それぞれ二家ずつ不参加のお返事が増えております……。」
執事の返答に、ラルヴァは僅かに首を傾げ、考える。
「参加する家のリストは……これか? こっちが、不参加を伝えてきた家か……。」
ラルヴァは手紙の束を置くと、二枚のリストを取り、ざっと目を通す。
「……………………まあいい。」
ラルヴァはリストから顔を上げ、執事を見る。
「ソリー公の面会許可は?」
「十日後に、と。」
「十日…………そうか。」
それだけ呟くと、ラルヴァは口を閉ざした。
仮面をしているため、どんな表情をしているのか、執事には伺い知れない。
「下がれ。」
「はい。」
退室を命じられると、執事は一礼して下がった。
執事が下がると、ラルヴァはそっと仮面に触れるのだった。
■■■■■■
サザーヘイズ大公爵が王都に着いた頃。
王都、財務省の大臣執務室。
ホーズワース公爵が、来客を迎えていた。
「わざわざすまない。この時期はどうしても忙しくね。」
「いえ、こちらこそ。お忙しいところ、お時間をいただいて申し訳ありません。」
ホーズワース公爵に勧められ、ゲーアノルトは恐縮しながらソファーに座った。
使用人はお茶を出すと、部屋を出る。
これで、室内にはゲーアノルトとホーズワース公爵の二人だけになった。
「エウリアスを匿っていただき、ありがとうございました。」
ゲーアノルトが頭を下げると、ホーズワース公爵が表情を和らげる。
「なに、そう大したことではなかった。周囲も、これでただの偶然などと言う者もいなくなったしな。」
ホーズワース公爵は背もたれに寄りかかると、足を組んだ。
ホーズワース公爵は、学院での襲撃事件を聞き、初めから『すべての襲撃事件』の関連を訴えた。
トレーメル襲撃事件、屋敷の襲撃、学院での襲撃。
これらは、すべて同じ意図を持つ何者かによるもの。
今のところ証拠は無いが、これだけ立て続けに起きれば、すべてを別件と考える方が困難だ。
『貴族家に、
同じ現王派の貴族にも働きかけ、この推測を広めた。
日和見であろうと、革新派であろうと、貴族という大きな括りでは同じ。
いち早く、貴族社会に抗う、共通の敵という意見を浸透させたのだ。
実際に、ツバーク子爵の嫡男が犠牲になったことも大きい。
ほとんどの貴族家が、ホーズワース公爵支持を表明した。
一部、証拠が何もないことを重視し、立場を表明していない貴族もいる。
しかし、大半は『共通の敵』というホーズワース公爵の訴えを受け入れた。
国王陛下も、ホーズワース公爵の考えに理解を示したことも大きい。
「これは、王国に挑む『我らの敵』である。」
そう、下知した。
これにより、王国が一丸となって、この許されざる者の捜査に動き出したのだ。
ホーズワース公爵が、表情を引き締める。
「陛下が下知されたのだ。これで、露骨に足を引っ張ろうとする者はいなくなるだろう。とはいえ、未だに手掛かりらしい手掛かりを掴めていないのが実情だがね。」
「ここまで派手に動き、何一つ証拠を出さないなど……。一体、何者でしょう。」
ゲーアノルトの表情は厳しい。
嫡男であるエウリアスがたびたび襲撃を受けているのだ。
三女であるルクセンティアが狙われている、ホーズワース公爵よりも危機感が強いのは当然だろう。
「それについては、今後の捜査の進展に期待するしかないだろう。……それよりも、伯爵に一つ聞きたいことがある。」
ホーズワース公爵に言われ、ゲーアノルトが頷く。
「エウリアス君の使っている
「
ホーズワース公爵に聞かれたことの意味が分からず、ゲーアノルトが眉を寄せる。
ラグリフォート家とホーズワース家の協定の話をした時、少しだけ話題に上がりはしたが……。
「今のところ、あの襲撃者を倒せるのがエウリアス君しかいないのだ。あの長剣は、何かそういった力がある物なのではないのか?」
「いえ……そういった話は聞いたことがありません。代々、受け継がれてきた物ではありますが。」
エウリアスの長剣は、ラグリフォート家の初代が使っていた物で、その後の何代かは実際に戦場で使用していたらしい。
しかし平和な世になり、またリフエンタール流剣術が王国で主流になったため、長剣は使われなくなった。
ゲーアノルトもリフエンタール流剣術を修め、長剣は使っていない。
「家宝というほどの物でもありません。エウリアスに、長剣の剣術を身につけさせることにしたので打ち直させ、与えたのですが……。」
「長剣の剣術……?」
「はい。かなりの使い手と知己を得まして。恥ずかしながら、私ではまったく敵いませんでした。そこで、エウリアスに修めさせることにしたのです。」
酒を酌み交わし、話を聞けば聞くほど「エウリアスに修めさせるべき剣術だ」との思いが強くなった。
そこで、エウリアスの剣術の師として迎えることにしたのだ。
その話を聞き、ホーズワース公爵が考え込む。
「その剣術に、そうした力があるのか……? しかし、そのような話は聞いたことがないな。」
「え、ええ……実戦的な剣術ではありますが、そのような特殊な力があるというのは、私も聞いていません。」
「ふーむ。しかし、私もこの目で見ているのでな。……剣で斬ってもすぐに元に戻ってしまう魔物を、エウリアス君だけが斬っていた。血飛沫を上げるように、どんどん弱っていった。」
屋敷に襲ってきた百足のような魔物。
倒すためには、今のところエウリアスの力を借りるしかなかった。
ゲーアノルトが唸る。
「手紙にあった『首を刎ねても倒せなかった』というのは、本当ですか?」
「ああ、どうやらそうらしい。ヒンケル侯爵のところのロルフ……嫡男も見ていてな。ルクセンティアに付けていた護衛も見てる。それについては間違いなさそうだ。……にわかには信じ難いことだが。」
今のところ、人が魔物に操られていた、という説が有力だが確証は何もなかった。
これまでの常識ではあり得ないことが起こり、関係者は頭を抱えていた。
「伯爵には手紙で知らせたが、このことは他言無用でな。倒す方法が見つからないうちにこんな話が広まれば、事態がどう転ぶか読めないのでな。」
「……承知しました。」
さすがに陛下には報告しているが、ヒンケル侯爵とも他言無用で話をつけていた。
魔物の正体を調べるために、広く意見を募りたいところではあるが、下手をするとパニックを引き起こすことにもなりかねない。
そのため、公表するならば「有効な退治する手段」を見つけてから、ということで陛下と申し合わせていた。
今のところ、王城の魔法使いと、あとはごく一部の大貴族家だけが知る事実だった。
ホーズワース公爵は立ち上がると、執務机に向かう。
机の上の一枚の紙を取ると、再びソファーに戻った。
「まあ、その件はまた何か新しいことが分かったら話をしよう。取り急ぎ、こちらの確認が先だ。」
そう言って差し出された紙は、何かのリストだ。
「こちらは……議題ですかな?」
リストに視線を走らせ、ゲーアノルトが呟く。
「そうだ。今シーズン、議題に上がりそうなものを挙げておいた。実際に、
細々とした増税。輸入の規制緩和。
大きなところでは、あとは国内の街道整備に関する法律だ。
「
ゲーアノルトは、上位に挙げられている六つの議題を見る。
「少々、臨時増税は賛成しにくいですな。一時的に国の資金を増強できても、土台たる市井が弱ります。黄金の宮殿を建てても、足元が崩れれば地に飲み込まれます。」
「陛下が、国土改造を構想されておられるのだ。現在、各領地でばらばらで行われている街道の整備を、国の主導で行う。」
「それは…………領主権に触れるのでは?」
領主は、領地の土地の所有権を持っている。
どこに街道を通し、どの程度整備するかは領主の権限の範囲内だ。
「微妙なところだな。領主が許可すれば問題ないが、突っぱねれば無理矢理には行えん。」
そう言って、ホーズワース公爵は腕を組む。
「だが、この構想では費用の大半は国が出す。そのための臨時増税だ。…………正直、こうでもせんと、莫大な費用を賄えん。」
陛下の構想で動き出そうとしている、国土改造計画。
この費用を捻出するために、増税を行うしかないということのようだ。
「財務大臣としては、頭の痛いところですな。」
「ふ……まったくだ。」
ホーズワース公爵が、力なく笑う。
「だが、陛下が言われているのだ。ならば、我らはそれを実行するのみ。この計画自体は、非常に理に適っていると私も思う。伯爵にも協力してほしい。」
増税は甘美な薬だ。
これほど楽に、金が湧き出る泉もない。
しかし、薬は飲み過ぎれば
(だが…………街道整備が進めば、輸送コストの軽減に繋がる。長期的には、民草の利にもなろう。)
はっきりとした効果が出るまで長い時間がかかるだろうが、必ずそれは民のため、領地のため、国のためになる。
「分かりました。私に異存はありません。」
「おお、そうか!」
ホーズワース公爵の一番の懸念だったらしく、ほっとした顔になった。
(公爵は協定をよく守ってくれている。こちらも、その姿勢を示さねば……。)
ホーズワース公爵に笑いかけながら、そんなことを思うゲーアノルトだった。
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