第105話 政治的庇護




 騎士学院で発生した襲撃事件から、二日が経過した。


 六人の学院生による襲撃を退けたエウリアスたちは、学院に常駐する王国軍に報告した。

 王国軍経由で学院や関係各所にも報告が行き、あっという間に大騒ぎとなった。


 現在も現場の検証が行われ、学院は当然ながら臨時休校。

 憐れ、エウリアスは再び官所に抑留される身に…………は、ならなかった。


 ホーズワース公爵が、エウリアスの身柄を預かったからだ。

 大っぴらに公表はしていないが、ホーズワース公爵家とラグリフォート伯爵家は協定を結んでいる。

 この協定を守り、ホーズワース公爵はエウリアスを屋敷で保護した。


 とはいえ、さすがにラグリフォート家の護衛騎士が屋敷内をうろうろするのは、公爵としても受け入れられない。

 そのため、ラグリフォート家の護衛騎士はごく少数だけに限られた。

 エウリアスの使っている部屋の隣に、一班を待機させてはいるが、それ以外はホーズワース家の護衛騎士に任せることになった。

 これは、身の回りの世話をする使用人も同様だ。


 エウリアスはソファーに座り、じっと目の前のティーセットを見つめる。


「………………。」


 そうして現在、エウリアスはホーズワース家の屋敷の客間ゲストルームで縮こまっていた。

 協定を守り、「エウリアス君を保護しなければ」と一早く動いてくれたのは大変有難いお話ではあるのだが、さすがに肩身が狭すぎる。

 ぶっちゃけホーズワース家の屋敷にいるよりも、官所の方が居心地が良かった。

 たとえ監視…………護衛の騎士が見張っていても、だ。


「………………。」


 エウリアスはソファーに背中を預け、そっと溜息をつく。

 ティーセットから視線を上げ、天井を見上げた。


 今回、ヒンケル侯爵家の嫡男ロルフも襲撃された身だ。

 そのロルフの証言もあり、エウリアスたちには一切の非はない、と早々に結論が出ている。


 とは言っても、立て続けに起きる襲撃事件に、国の中枢もピリピリしているらしい。

 ホーズワース公爵家とラグリフォート伯爵家を狙った事件。

 オリエンテーリングでのトレーメル襲撃事件を含めれば、ほんの数カ月の間に三回も襲撃事件が発生していた。


 コンコン。


 エウリアスがカップに手を伸ばしたところで、ドアがノックされた。


「はい、どうぞ。」


 部屋で待機する女中メイドに目配せすると、メイドがドアの方へ向かう。

 部屋にやって来たのはルクセンティアだった。

 ルクセンティアは涼し気なワンピースを着て、にこやかに挨拶する。


「おはようございます、ユーリ様。よく休めまして?」

「ティア。いろいろ気を配ってくれてありがとう。おかげで快適だよ。」


 エウリアスも、にこやかに挨拶を返す。

 さすがにここで「居た堪れないです」などと愚痴を漏らすようなことはしない。

 いくら両家の当主同士が合意した協定であろうと、迷惑をかけているのはエウリアスの側なのだから。


 ルクセンティアが向かいに座ると、客間女中パーラーメイドがお茶を入れ替える。

 メイドが壁際に下がると、ルクセンティアが溜息交じりに口を開いた。


「午後に、また聴取に官吏が見えるそうです。」

「分かった。まあ…………仕方ないよね。」


 襲撃事件の当日と昨日も、聴取が行われている。

 王国軍と警備隊、両方から派遣された官吏に、いろいろ聞かれているのだ。

 事件当時の詳細や、犯人たちの動機に心当たりはないか、と。


 しかし、エウリアスとルクセンティアには、犯人の男の子たちに見覚えがなかった。

 同じ学院に通っている以上、どこかで見かけた可能性はあるだろうが、言葉を交わした記憶はない。

 そのため、なぜ今回のような凶行に及んだのか、未だに理由が判明していないそうだ。


「ヨウシアさんに迷惑かけちゃうね。」


 エウリアスがそう言うと、ルクセンティアが首を振った。


「お兄様はこれが仕事ですもの。お気になさらないでください。」


 軍務省で幹部を務め、警備隊総局の局長も務めているヨウシアは、この事件の捜査の責任者だ。

 侯爵家の嫡男と伯爵家の嫡男が巻き込まれた事件。

 しかも、子爵家の嫡男が死亡するという重大な結果となったため、国も非常に重く受け止めていた。







 この襲撃事件の加害者側の学院生は、すべて平民だった。

 貴族家の嫡男を襲撃し、実際に子爵家の嫡男が亡くなったことで、この平民たちは当然死罪だ。

 しかも、その責が家族にも及ぶ重罪である。


 だが、エウリアスはこれに異議を唱えた。

 どう見ても、あの時の男の子たちは、まともではなかった。

 剣で斬られても痛がりもせずに襲い掛かり、極めつけは首を刎ねても動いていた。

 どう考えても操られているというか、すでに人ではない状態にされていた。


 少なくとも、ホーズワース公爵家襲撃事件の時の犯人と同じで、まともな人間ではなさそう。

 エウリアスは、そうした考えをヨウシアに伝えていた。


 貴族社会として、襲撃した者を見逃しては面子が立たない。

 しかし、すでに本人たちは死亡しているのだ。

 ならば、家族にまで累が及ぶのは待ってほしい。

 少なくとも、本人たちがどういった状態だったのかが、はっきりとするまでは。

 …………というのが、エウリアスの主張だった。







 ルクセンティアが、表情を曇らせる。

 膝の上に置いた手を、ぎゅっと握った。


「……どうして、このような恐ろしいことが起きるのでしょう。」


 ルクセンティアも、オリエンテーリングで襲撃され、屋敷を襲撃され、再び学院で襲撃された。

 偶然というには、あまりにも重なり過ぎている。

 これらの襲撃事件、すべてに共通するのは…………エウリアスとルクセンティア。


 ラグリフォート家やホーズワース家に狙いがあり、たまたまエウリアスたちがターゲットに選ばれているのか。

 それとも、明確にエウリアスとルクセンティアを害することが目的なのか。

 結果からでは、そこまでは分からなかった。


「私たちを…………私たちの死を望む者がいるのでしょうか。」

「……ティア。」


 部屋に入ってきた時は、明るく振る舞っていたルクセンティア。

 だけど、本当は不安で押しつぶされそうなのかもしれない。


 そんなルクセンティアを見て、エウリアスは意識して笑顔を作った。

 ここで一緒に不安を口にしても、余計にルクセンティアを不安にさせるだけ。

 ならば、無理矢理でもカラ元気でも、せめてルクセンティアを支えたいと思った。


「公爵とヨウシアさんに任せておけば大丈夫だよ。貴族である以上、場合によっては恨まれることもある。たとえ恨みじゃなくても、何らかの理由で邪魔だと思われることもあるよ。」

「それは、そうかもしれませんが……。」

「中には身勝手な理由で『邪魔だから消す』と考えるような人もいる。そんな人のために、ルクセンティアが思い悩む必要なんかないんだ。」


 エウリアスは毅然とした態度で、ルクセンティアを真っ直ぐに見つめる。


「自分の利益のために、人を人とも思わず、簡単に殺そうとするような人もいる。裏に隠れてこんなことを企てる人が、まともだと思う?」


 エウリアスがそう言うと、ルクセンティアが少しだけ表情を和らげる。


「……いえ、思いません。」

「そうさ。こんなことを企てる人に疎まれて、何が悪いのさ。こっちがまともな証拠じゃないか。」

「フフ……そうかもしれませんね。」


 ルクセンティアも、無理矢理に笑顔を作った。


 人に悪意を向けられるのは、つらいものだ。

 たとえ自分に非がないと分かっていても、心に重く圧し掛かる。

 無理してでも自分を奮い立たせないと、圧し潰されてしまうかもしれない。


 ルクセンティアが不意に、メイドたちの方を見る。


「貴女たち、少し出ていて。」


 そう命じるが、メイドたちは戸惑う。

 さすがに、エウリアスと二人きりにするわけにはいかないからだ。


 人払いの目的は、話を聞かれないためだろう。

 そう見当をつけたエウリアスは、ソファーから立ち上がった。


「少し、外に行こうか。閉じ籠ってると気が滅入っちゃうよ。」


 エウリアスはルクセンティアを誘い、庭に行くことにした。







 護衛騎士たちには距離を取らせ、遠巻きに周囲を警戒するようにさせる。

 内緒話をするだけなら、これでも十分だ。

 ルクセンティアと花壇の間を歩きながら、エウリアスは尋ねる。


「それで、何か話したいこと?」

「ええ。クロエさんに。」

「クロエ?」


 エウリアスが黒水晶のネックレスをシャツから引っ張り出すと、ルクセンティアが小声で話しかけた。


「クロエさん、ありがとうございました。貴女のおかげで助かりました。」


 ルクセンティアがそうお礼を伝えるが、返事がない。


「クロエさん?」

「どうしたんだ、クロエ?」


 エウリアスが声をかけると、溜息が聞こえた。


「…………わらわはエウに手を貸しただけじゃ。礼ならエウに言うが良い。」

「勿論ユーリ様には感謝していますし、お礼も伝えています。ですが、クロエさんの助力があってのことでしょう?」

「そうだね。あんなの、俺だけじゃどうにもならないし。」


 だが、クロエにはそんなことは関係ないようだ。


「エウがやろうとしていることに、手を貸したに過ぎんの。妾だけなら、放っておくじゃろう。」

「それでも、クロエが手を貸してくれたから助かったんじゃないか。」

「はい、その通りです。ありがとうございました。」

「はぁ……分かった分かった。なら、感謝は酒で示してくれ。」

「お酒……?」


 ルクセンティアにまで酒を要求するクロエに、エウリアスが苦笑する。


「それは屋敷に戻ったら出すからさ。ティアにまで催促するな。」

「クロエさんは、お酒が好きなのですか?」

「うむ。酒はいいぞぉ。」


 それを聞き、ルクセンティアが真剣に悩み始めた。


「だめだって! ティアが酒をくすねて、俺の部屋に持ってったなんて公爵にバレてみなよ! どうなることか! 主に俺がっ!」

「ユ、ユーリ様、声が大きいです。」


 ルクセンティアに言われ、エウリアスは慌てて辺りを見回す。

 訝し気な顔でこちらを窺うホーズワース公爵家の護衛騎士と、ばっちり目が合った。

 エウリアスの背中に、嫌な汗が流れる。


「…………間違いなく聞かれた。」

「それは、あんなに大きな声で言えば……。」

「当たり前じゃの。」


 これで、ホーズワース公爵家の使用人たちから「ラグリフォート家のエウリアスは、酒を好むらしい」と思われることが確定した。

 誤解なのに……。


「とにかく、酒は屋敷うちに戻ってからな。頼むから、ここでは大人しくしててくれ。」

「分かっておる。だから、妾は何もしておらんじゃろう。」


 そうして、エウリアスは黒水晶のネックレスをシャツに仕舞った。


「気持ちだけ受け取っておくよ。お酒は俺とクロエの契約みたいなものだから。」

「…………分かりましたわ。ユーリ様、この度は本当にありがとうございました。」

「もう何回も聞いたよ。そんなに気にしないで。俺もこうして、公爵にはお世話になっているんだから。」


 両家の間で交わされた協定…………ほぼ密約のようなものだが、おかげでエウリアスはホーズワース公爵という強大な力で庇護された状態だった。


 立て続けに起きる襲撃事件。

 しかも、今度は騎士学院での事件だ。

 政治的に、この事態を利用しようと考える者が出てもおかしくない。

 ホーズワース公爵家、ラグリフォート伯爵家、ヒンケル侯爵家の序列を、まとめて下げてやろうと考える者もいるかもしれない。


 特に、嫡男が犠牲になったツバーク子爵家は、かなり複雑な心境のはずだ。

 なぜモルデンだけが命を落とさねばならなかったのか。

 ホーズワース家やヒンケル家には手出しできないが、当主が王都にいないラグリフォート家にならば圧力をかけられる。

 逆恨みではあるが、そう考え、何かしてきても不思議はなかった。


 エウリアスたちが花を眺めながら歩いていると、騎士が一人こちらにやって来る。

 そうして、少し離れた場所で見守っていた、ルクセンティア付きの執事に耳打ちした。

 執事は一瞬だけ目を見開くが、すぐにルクセンティアの傍にやって来る。


「失礼いたします、お嬢様。」

「ええ、どうかしたの?」


 恭しく一礼して報告する執事に、ルクセンティアが続きを促す。


「その……トレーメル殿下が……。」

「メル様? 遣いの方がお見えなのですか?」


 今回の事件を聞き、様子を見て来るように遣いを出したのかもしれない。


「い、いえ……それが、その……門の方にお見えです。」

「………………………………は?」


 騎士の報告を聞き、エウリアスが思いっきり気の抜けた声を漏らす。

 ルクセンティアも、目を丸くして驚いていた。


「まさか……本人が!? 遣いも無しに、急にお越しに!?」

「はい。ただいま、取り急ぎ応接室にお通しするように手配したようですが、どうかご対応をお願いします。」

「分かりました。す、すぐに行きます。」


 遣いも出さず、いきなりの本人の訪問。

 突然の事態に、エウリアスとルクセンティアは急いで応接室に向かうのだった。




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