第103話 人ではなくなった存在 再び




 氷銀騎士会の本部でロルフと話し合っていたら、突然悲鳴が聞こえてきた。

 悲鳴の主は、先程ここを出て行ったモルデン。

 モルデンは血だらけになり、明らかに重傷を負っていた。


 エウリアスは、苦し気に顔をしかめる。


「さすがに、モルデンを放っておくわけにはいかないな。」


 少々性格に難のある男ではあるが、彼も貴族家の嫡男だ。

 ただ、なぜ負傷したのか原因が分からないのでは、迂闊に建物を出ることもできない。

 モルデンの救助は必要だが、こちらまで負傷するわけにはいかなかった。


「ティア。そのソードは模造剣だよね? いつも帯剣しているのは?」

「すみません。他の護衛騎士に預けてしまっています……。」

「その、他の護衛騎士は?」

「馬車で待機させています。」


 用事を片付けたら、そのまま帰るつもりだったのだろう。

 いつも校舎内に待機させている護衛騎士たちは、馬車の方に行っているらしい。


 エウリアスは首を振った。


「うちも同じだよ。この二人以外にも護衛騎士はいるけど、やっぱり馬車で待機だ。」


 傍に控えさせる護衛は二人までと決まっているため、ここには二人しか連れて来なかった。


(…………さっきの悲鳴が聞こえていれば、異変に気づいて応援に駆けつけるだろうけど。)


 ここは、学院の端にある。

 雑木林の中にあり、馬車を停めている場所は、校舎の向こうだ。

 さすがに声が届くには無理があるか。


「外の様子はどうですか?」


 エウリアスがそう声をかけると、ロルフが首を振る。


「分からない。動きがない。」


 モルデンは建物前の広場で転倒し、動かなくなっているらしい。

 そのモルデンを襲撃した者については、姿を見せていない。

 もっとも、現状では襲撃か事故かの判断さえつかないのだが。

 それでも襲撃の可能性を一番に考え、安全策を採るしかない。


 ダンッ!

「キャアッ!?」


 その時、壁が叩かれた。

 ドアとは反対側の壁だ。


 突然の事態に、ルクセンティアが咄嗟にエウリアスにしがみつく。


 バキバキバキィ!


 そうして、壁が破られて腕が突き出てきた。

 いくら木造だからって、そんな簡単に破れるものか!?


「くっ……!? この建物ではもたないか! 出るしかない!」


 ロルフは建物の外に出る覚悟を決めると、護衛騎士を先頭にして飛び出した。

 そうして入り口前に展開し、周囲を警戒する。


「チッ! 見切りが早すぎる!」


 タイストは、外に出ることを決めたロルフに舌打ちをした。

 それでも、このままロルフたちだけを行かせるわけにもいかず、後に続くことにする。


「ティア! 先に!」

「はい!」


 エウリアスは壁から突き出た手を警戒しながら、ルクセンティアを先に外に出した。

 ルクセンティアが護衛騎士に挟まれて外に出ると、後に続く。


 エウリアスは剣を手にして外に出ると、そのまま建物を離れた。

 建物の裏側に、壁を破った何者かがいるはずだからだ。


 全員で広場の中心付近まで進み、全周警戒する。

 モルデンは雑木林の近くに倒れているため、まだ少し距離があった。


 エウリアスは本部の建物を見ながら、慎重に進む。

 そうして建物を見ていると、一人の男の子が姿を現した。

 その男の子は、学院の制服を着ていた。


「何者だっ、お前たちっ!」


 ロルフの誰何の声に、エウリアスは振り返った。

 見ると、雑木林から次々と学院生が姿を見せた。


(五人……六人?)


 広場に姿を見せたのは、全員が学院生だ。

 六人の学院生が、こちらを包囲するように、バラバラの場所から出てきた。

 やや俯き、ゆっくりとこちらに歩いてくる。


 そして、そのうちの一人の学院生は、口の周りやシャツに大量の血がこびりついている。

 モルデンの倒れた場所から、もっとも近い男の子だ。


(……モルデンをやったのは、あいつか?)


 あの血はおそらく、モルデンの返り血だろう。

 エウリアスたちを取り囲む男の子たちは、誰も武器らしき物を持っていない。

 全員が素手だ。


(まさか……噛みついたのか?)


 モルデンは首を押さえていたため、その辺りを負傷したと思われる。

 しかし、襲撃者と思われる男の子は武器を手にしていなかった。

 剣で斬られたのではなく、まさか噛み千切られた?


 ロルフが、エウリアスたちを見る。


「逃げるぞ。しっかりついてきてくれ。」


 取り囲みはしているが、たったの六人だ。

 包囲というには、あまりにも薄い。

 ロルフは男の子たちのことは相手にせず、逃げることを決めた。


「分かりました。」


 ルクセンティアが、ロルフの提案に頷く。


 エウリアスがモルデンに視線を向けると、横にいたタイストが咄嗟に腕を掴んだ。

 真剣な目で、エウリアスに訴える。


「だめです、エウリアス様。それにもう手遅れです。」


 タイストのその言葉にエウリアスは何も言えず、顔をしかめる。

 エウリアス一人ならともかく、今はみんながいるのだ。

 上位者であるロルフや、ルクセンティアまで危険に晒すわけにはいかない。


 ロルフもまた、エウリアスやルクセンティアのことを考えて、一番の安全策を採ろうとしていた。

 騎士学院には、王国軍の騎士や兵士が警備として常駐している。

 たったの六人ならエウリアスたちだけでも問題ないだろうが、より安全な手段としては、警備の王国軍に任せてしまうことだ。

 常駐している場所まで逃げきれば、あとは王国軍が対処してくれる。


「行くぞ!」


 ロルフの声を合図に、全員で駆け出す。

 目指すは、校舎。

 ここからもっとも近いのは、校舎にある詰所だった。


 雑木林を抜け、草叢を抜ける。

 そこから校舎と屋内運動場の間を通り、校舎の正面へ。

 おおよそ、一キロメートルもないくらいの距離だ。


 そこまで行けば王国軍の警備がいるし、何よりエウリアスやルクセンティアの馬車を停めている場所にも近い。

 当然、ヒンケル侯爵家の馬車も停めてあり、護衛もいるはず。

 応援を期待できるというわけだ。


 ロルフは、雑木林から現れた男の子たちの間を抜けるつもりのようだ。

 六人で広く包囲してれば、一人ひとりの間隔は当然ながら広くなる。


「危ないっ!」


 エウリアスが声を上げると、先頭を走るロルフの護衛騎士が、剣で攻撃を受け止めた。

 斜め前方の男の子が、大きく振りかぶって距離を詰め、殴りかかったのだ。


「なっ!? は、速い!」


 あっという間に距離を詰める、驚異的な速度。

 別の男の子が、側面から殴りかかってきた。


「グッ!? 何だ、この力は!?」


 ルクセンティアの護衛騎士が受け止めるが、やや押し負けるように、僅かに後退あとずさった。

 エウリアスたちの足が止まると、一斉に男の子たちが襲い掛かる。

 瞬く間に乱戦となった。


 男の子たちはすばしっこく動き、一撃を入れては離れる。

 護衛騎士たちは自身の主を護りながらのため、苦しい戦いを強いられた。


 相手は六人。

 人数的には護衛騎士も同じだが、素早く動かれ、どこから攻撃が飛んでくるか分からない。


「ぐぁ!?」


 ロルフの護衛騎士が男の子に殴り倒され、抜かれた。

 そのまま殴りかかってきた男の子を、ロルフは剣で受け止める。


「クッ!」


 しかし、男の子は止まらない。

 ロルフの横を抜け、ルクセンティアに後ろから迫った。


 エウリアスは咄嗟にルクセンティアに腕を伸ばすと、引き寄せた。


 ブンッ!

「キャア!?」


 ルクセンティアの後頭部を狙った拳が、空を切る。

 エウリアスが引っ張ったため、ギリギリでルクセンティアは攻撃を受けずに済んだ。


 エウリアスはルクセンティアを庇いながら、空振りした腕を狙って斬り上げる。

 しかし、男の子は素早く距離を取り、別の護衛騎士を狙いに行った。


「ティア、離れないで!」

「は、はいっ! ユーリ様!」


 エウリアスはルクセンティアを庇いながら、周囲を警戒する。

 鋭く、ロルフに提案した。


「ロルフ様! これを振り切るのは無理だ! った方が早い!」

「ちっ……仕方ないか。」


 簡単に逃げきれるなら、逃げた方が損害は少ない。

 しかし、交戦しながらの逃走では、正面からぶつかるよりも損害が大きくなりかねない。


 人数はこちらが有利で、護衛騎士以外にもエウリアスとルクセンティア、ロルフもいる。

 ただ、ルクセンティアは模造剣しかなく、エウリアスはそんなルクセンティアを護るつもりだった。


 六人の男の子たちは、どうやら本当に素手のようだ。

 少々驚く身体能力を持っているが、それだけ。

 速さと膂力はあるが、素手であることに変わりはない。


「ハアッ!」

「フッ!」


 襲い掛かる男の子たちを、タイストとロルフが斬り伏せた。

 それを見て、エウリアスは警戒しながらも、そっと息をつく。

 他にも潜んでいる可能性があるため、油断はできない。

 しかし、二人が倒れ、残りは四人。

 制圧は時間の問題だ。


「…………これは……少々まずいのぉ、エウ。」


 そうして周囲を警戒していると、クロエが小声で話しかけてきた。

 傍にいるルクセンティアにも聞こえたのか、エウリアスの方を向いた。


「何だよ、こんな時に――――っ!?」


 エウリアスは小声で言い返そうとして、絶句する。

 タイストに斬られて倒れていた男の子が、不自然な動きでゆっくりと立ち上がった。

 何だ、これは……?


「こやつら、いつぞやの女のようじゃぞ。」

「女……?」

「黒いもやのような力を持っておった女じゃ。ごく弱いものじゃが、同じような力を感じるの。」

「おいおい、それって……!?」


 人ではなくなった存在か?

 倒れていた男の子たちが立ち上がり、護衛騎士たちがおののく。


「……何だ、こいつらは?」

「どうなってやがる……!」


 斬られた男の子たちは、痛がりも呻きもしない。

 腕が落とされ、首から血を噴き出しても、意に介さない。


「ユ、ユーリ様……。」


 ルクセンティアも不安を感じているのか、エウリアスの腕を強く掴むのだった。




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