第100話 怖れられる存在




 エウリアスが、イレーネから話を聞いた日。

 放課後になり、ルクセンティアは騎士学院の敷地内にある、雑木林を歩いていた。

 ルクセンティアに付き従う護衛騎士たちは、やや剣呑な空気をまとっている。


 騎士学院は広い。

 演習場などは別にあるのだが、そうでなくてもかなりの土地を確保していた。

 普通に走ったり運動したりするグラウンドの他に、障害物を設置したコースや雑木林もあるので、かなりの広さだった。


 そんな騎士学院の敷地の端、雑木林の中にちょっとした広場と小さな建物がある。

 氷銀騎士会の本部と練習場だ。


 随分と昔、学院の許可を得て、私費を投じて本部を作った貴族家の嫡男がいたらしい。

 今でも氷銀騎士会に所属している学院生は、放課後になるとここで訓練をしていると言う。


(…………ごめんなさい、ユーリ様。)


 ルクセンティアは雑木林を奥へと進みながら、心の中でエウリアスに詫びた。

 そうして歩いていると、拓けた場所を見つける。


 本部前の練習場では、二十人ほどの学院生が剣の訓練をしていた。

 その中で、一際大きな怒号を上げる、モルデンを見つける。


「ダラッシャアァァアアー!」

 ドカッ!


 モルデンが大袈裟に振るったソードに、男の子が打たれる。

 その男の子は、打たれた左腕を押さえて転倒した。


「どうしたどうしたっ! さっさと立て!」

「グッ……、は、はいっ……!」


 転倒した男の子は、左腕を摩りながら何とか立ち上がろうとする。

 しかし、起きかけの無防備な男の子を、モルデンは蹴り飛ばした。


「アッ……クゥ……!」

「油断するんじゃねえよ! このグズがっ! そんなことで氷銀騎士会の騎士が務まるか!」


 そう言いながら、モルデンの顔は嗤っていた。


 その様子を見て、周りで訓練をしている学院生たちの手が止まる。

 不運にもモルデンの相手に選ばれてしまった男の子に同情の目を向け、モルデンに対しては忌々し気な視線を送る。


「あ? 何見てんだ? 次はお前がやるか?」

「え!? ……あ……その。」


 これまた不運にもモルデンと目が合ってしまった男の子が、ビクリと震える。

 巻き込まれては堪らないと、その男の子の周りにいた子たちが、少しずつ距離を空けた。


「…………随分と楽しそうですわね。」


 そこに、雑木林から姿を現したルクセンティアが声をかける。

 視線が、一斉に集まった。


「おお、これはこれは! よく来てくれた、ルクセンティア!」


 慇懃無礼の手本のように、モルデンがいやらしい笑みを浮かべて一礼する。


「ルクセンティアなら、きっと氷銀騎士会の意義を理解し、来てくれると思っていたよ!」


 ルクセンティアがモルデンの方へ進んで行くと、訓練をしていた学院生たちが道を空けた。

 ルクセンティアは、モルデンの三メートルほど手前で止まる。


「……嫡男の方は、基本的に名前を貸すだけだと伺っていましたけど。随分と熱心なのですね。」

「ああ、そうなんだよ。まったく、グズばっかりなものでね。こいつらが騎士会の名前に泥を塗らないように、こうして指導してやっているんだ。」


 モルデンの言い草に、ルクセンティアは顔をしかめた。

 だが、そんなルクセンティアの様子に気づかないのか、気づいていても気にしないのか、モルデンは続ける。


「こうして来てくれたってことは、氷銀騎士会に入ってくれるんだろう? 良かったなあ、お前ら!」

「は、はいっ!」

「ありがとうございます、ルクセンティア様!」


 モルデンに言われ、周りの学院生たちがルクセンティアを歓迎する声を上げる。

 それを聞き、心底うんざりしたようにルクセンティアは溜息をついた。


「…………そうして、一年生の子たちを脅していたのですね?」


 ルクセンティアがそう言うと、モルデンの目がスッと冷えた。


「何のことでしょう?」

「とぼけなくても結構です。すべて、聞かせていただきました。」


 モルデンが視線を巡らせると、この場にいる学院生が慌てたように首を振った。

 モルデンはにっこりと微笑み、ルクセンティアの方に足を踏み出す。


「何か誤解をしているようだ、ルクセンティア。折角こうして来てくれたんだ。じっくりと話し合おうじゃないか。」


 だが、ルクセンティアの護衛騎士が前に出て、近づくモルデンに警戒する。

 その手は、腰に佩いた剣に添えられていた。


「何をしているか、分かっているのか? 俺は嫡男だぞ?」

「ええ、勿論です。」


 ルクセンティアは剣を抜き、モルデンに向けた。


「安心してください。これは模造剣です。」


 そうして、冷めた目でモルデンを見据える。


「貴方の腐った性根を叩き直すには、丁度いいでしょう?」

「おいっ、ルクセンティア……! 嫡男である俺にそんな口を利いて、ただで済むと思っているのかっ……?」


 モルデンが、憎々し気に顔を歪める。

 突然の一触即発の空気に、その場にいる学院生たちは一斉に青褪めた。


 ……………………。

 …………。







■■■■■■







「……命令?」


 朝、廊下の端に移動してイレーネから話を聞くと、エウリアスは耳を疑った。

 思わず繰り返したエウリアスの言葉に、イレーネがこくんと頷く。


「三年の、貴族家の嫡男から、ルクセンティアを氷銀騎士会に引き込むように命令があった。イレーネは、そう聞いたんだね?」

「…………はい。私も協力するようにって……。」


 寮に住む一年生に、上級生からそうした命令が来たのだという。

 これが、一週間以上前のことらしい。

 ほぼ、ルクセンティアがモルデンの勧誘を断った直後だ。


「もっと、早くにお伝えしようと思ったのですが…………その、怖くて。エウリアス様とも、お話する機会がなくて……。」


 丁度その頃、トレーメルに言われてイレーネの剣の相手を交代していた。

 ルクセンティアやトレーメルのいる場では、イレーネもエウリアスに声をかけづらかったのだろう。


 平民からすれば、貴族家の嫡男に逆らえばどうなるか。

 そう思い、みんなも従わざるを得なかったようだ。


 そして、それはイレーネも同じだ。

 確かに他の平民の子と比べて、イレーネはエウリアスとの接点がある。

 とはいえ、だからと言ってエウリアスがイレーネを守るかと言えば、そんなことをするわけがない。

 平民のちょっとした知り合いなど、煩わしくなれば遠ざけるだけの話だ。

 …………普通なら。


 エウリアスは、イレーネの肩にポンと手を置いた。

 イレーネは、微かに震えていた。


「よく話してくれたね。とても、勇気がいったことだろう。ありがとう、イレーネ。」

「い、いえ……。なかなか言い出せず、申し訳ありませんでした。」

「そんなことないよ。君の勇気は、とても尊いものだ。心から尊敬し、感謝する。」


 エウリアスは姿勢を正すと、軽く頭を下げた。

 それを見て、イレーネが慌てる。


「そそそ、そんなことっ!? 私なんかに、そんなことをされてはだめです、エウリアス様!」

「でも、イレーネも怖かっただろう? 俺に話したことがバレたらって。」

「そ、それは……。」

「それでも、『伝えなくては』って勇気を振り絞ってくれたんだ。ありがとう。」


 エウリアスはにっこりと微笑み、しっかりと頷いた。


「何か困ったことがあれば、いつでも言って欲しい。俺は、イレーネの勇気に必ず報いよう。」

「そんなっ、いいんです! 私の方こそ、エウリアス様にはいつも助けていただいているんですから!」


 イレーネは以前も、ラグリフォート産家具の偽物について教えてくれている。


 立場が違う、身分が違う。

 それでも、互いに尊敬し合い、友誼を結ぶことができる。

 ラグリフォート領の領民だけではなく、こうして新たな絆ができたことが、エウリアスは嬉しかった


「身分を笠に着た相手には、イレーネでは大変だろう? もし何かあれば遠慮なく言うんだ。言ってくれないと、その方が悲しいよ。」

「エウリアス様……。」

「教えてくれて本当にありがとう。後のことはこっちに任せて。君は、俺に言い寄られて困ってるとでも言って、誤魔化せばいいよ。」

「な、何をっ……!?」


 エウリアスと話をしてるところを、誰かに見られているだろう。

 誤魔化す言い訳は必要かもしれないが、エウリアスがとんでもないことを言い出したため、イレーネが赤面した。


「さあ、行くんだ。」

「は、はい……。エウリアス様、お気をつけて。」


 そう言うと、イレーネはぺこりと頭を下げて、教室に戻っていった。

 そんなイレーネを見送り、エウリアスは呟く。


「さて、どうしようかな……。」


 虚空を睨み、エウリアスはこの問題の決着点を頭に思い描くのだった。







■■■■■■







 …………。

 ……………………。


 ルクセンティアは、睨みつけるモルデンの視線を真っ直ぐに受け止める。


「あまりにも下らなすぎて、にわかには信じられませんでした。『おだてれば、すぐに乗って来るだろう』ですって? 呆れて開いた口がしばらく塞がりませんでしたわ。」


 モルデンは氷銀騎士会に所属する学院生を使い、寮に住む学院生たちを脅していた。

 何としても「ルクセンティアを氷銀騎士会に引き込め」と。


 その命令の際に、「煽ててやればすぐに調子に乗って、入るだろう」と伝えていたらしい。

 それが、ここ最近の不自然な声援の正体だ。

 おそらく、寮で暮らす学院生たちはこの命令に逆らえず、しかしやる気もないため言われるままに実行しただけなのだ。


 ルクセンティアは溜息をつき、護衛騎士を下がらせた。


「貴方のような人はそれで気をよくするのでしょうけど、普通は困惑しますわ。なぜ、そんなことで入会したくなると考えたのか、教えていただいてもいいかしら?」


 ルクセンティアには本当に理解できず、思わずそう聞いてしまう。

 だが、それがモルデンの自尊心をいたく傷つけたのか、剣をルクセンティアに向けた。


「公爵家の縁者だろうが、嫡男を侮辱してただで済むと思ってるのか!? 身の程を弁えろっ!」

「弁えるのは貴方です、モルデン・ツバーク。誰一人、貴方を敬いも、恐れてもいませんわ。みなはただ、子爵家の名を怖れているだけです。」

「き、貴様っ……! まだ侮辱するかぁ!」


 モルデンは、自己顕示欲と自尊心の怪物だった。

 普通は、氷銀騎士会に所属する貴族家の嫡男は、名前だけを貸している。

 しかし、モルデンはこの氷銀騎士会の本部に足繁く通っていた。

 そうして、平民や貴族家の縁者に威張り散らし、「稽古をつけてやる」との名目で剣を振るっていたのだ。


 みんな、モルデンの性格はすぐに分かったため、逆らうことができなかった。

 他にも貴族家の嫡男が氷銀騎士会にはいるが、こちらは名前を貸しているだけ。

 密告してもモルデンを止めてくれるとは限らないし、何より密告したことがバレたらどんな報復を受けるか分からなかった。

 そのため、じっと我慢するしかなかったのだ。


 ルクセンティアは剣を構えると、モルデンを見据えた。


「稽古をつけていたのでしょう? 私が相手を務めてあげましょう。精々、その腐った性根を叩き直して差し上げます。」

「この、アマ……!」


 モルデンは顔を真っ赤にし、剣を構える。

 ルクセンティアの護衛騎士は、黙って後ろに下がった。

 こうなることは初めからルクセンティアに言われていて、手を出さないように指示されていたからだ。

 いざとなれば止めに入るが、一応まだ「稽古」ということになっている。


 モルデンが、不吉な笑みを浮かべて唇を舐める。


「ここまで侮辱されれば、多少やり過ぎたところで原因はそっちになるな……。」


 そうして、狂気を滲ませる目でルクセンティアを見る。

 口の端が、醜く歪む。


「公爵家の縁者だからって、思い上がるなよ? 後から公爵が何を言おうと、貴族社会が俺を守ってくれる。嫡男を侮辱しておいて、身内可愛さに我を通せば、公爵の顔に泥が塗られるぞ?」


 モルデンが、我慢できないように含み笑う。

 だが、ルクセンティアは一切怯まず、揺らがず、静かに剣を構えていた。


「もう、しゃべらないでくださいます? 貴族家の者として、貴方の言動は聞くに堪えません。」

「はっ! なら、まずはその耳ぃ潰して、聞こえなくしてやるぜえっ!!!」


 モルデンは叫ぶように言うと、ルクセンティアに剣を振り下ろすのだった。




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