第99話 エスカレートする声
剣術の授業が終わり、更衣室で着替える。
トレーメルが、苦労しながらズボンを上げた。
お腹が引っかかり、随分と苦しそうだ。
新しくズボンとシャツを仕立てたようだが、そもそも前屈みになるとお腹が圧迫されるらしい。
「……あの女の子にも、迷惑をかけてしまったな。」
トレーメルが言っているのは、イレーネのことだ。
「今は慣れていないから、仕方ないかもしれないね。でも、この経験も後でアドバンテージになるよ。」
まだ、個人としての技量を上げていくことに主眼を置いた授業だが、そのうち授業内容も変わっていく。
試合では教師が組み合わせを決めるので、貴族家の縁者も王族も関係なく、相手をしなくてはならなくなる。
また、二人で組んでの連携や、班での連携なども学年が上がるとやるようになる。
今のうちに王族や貴族に少しでも慣れておくことは、イレーネの今後にきっとプラスに働くはずだ。
「イレーネは、学院に来て初めて
「どうと言われてもな……。あんなにガチガチでは、実力が出せているとも思わんが……。」
そう言って、トレーメルは少し考える。
「でも、姿勢は悪くなかったな。余計な力が抜け、もっと筋力がつけば、意外に鋭い剣になるかもしれん。…………まあ、努力を続ければ、だが。」
「大丈夫だよ、きっと。」
トレーメルが意外に悪くない評価を下し、エウリアスは少し嬉しくなった。
イレーネの頑張りは、少しずつでも実を結んでいるように思う。
着替えが終わり、エウリアスとトレーメルは更衣室を出た。
少し離れた所で、平民の女の子たちに囲まれているルクセンティアがいた。
どうやら、ルクセンティアの賞賛タイムはまだ終わっていないようだ。
周りにいる女の子たちが「すごいです」「格好良かったです」とルクセンティアに話しかけ、ルクセンティアが笑顔で応じていた。
そんな様子を見て、トレーメルが感心したように頷く。
「随分と人気者になったものだな。」
「そうだね。まあ、ティアが恰好いいのは事実だしね。」
だって、戦の女神マリーアンヘーレ様の生まれ変わりだし!
微笑ましいものを見るように、遠巻きに眺めていると、ルクセンティアがエウリアスたちに気づく。
そうして、女の子たちに詫びながら、こちらに走ってきた。
「はぁ……良かったわ。二人がまだいてくれて。」
「ははっ、人気者はつらいなあ。」
「笑い事じゃないわよ、もう。」
ルクセンティアが、少し疲れたような顔で溜息をつく。
その表情が気になり、エウリアスは尋ねる。
「どうかしたの?」
「んー……、何て言えばいいのかな。」
ルクセンティアは表情を曇らせ、また溜息をついた。
「……氷銀騎士会に入らないんですか、って聞かれたわ。私にお誘いが来ないのはおかしい。私に声がかかるように、みんなで推薦しようって言い出す子がいて……。」
「何それ?」
エウリアスが驚いて聞き返すと、ルクセンティアも首を振った。
トレーメルが腕を組んで、一つ頷く。
「どうやら、僕たちが考えているよりも、氷銀騎士会は学院生に受け入れられているのかもしれないな。」
「そう、なのでしょうか? 寮で暮らす学院生にとっては、確かに身近なものなのかもしれませんけど……。」
一般の学院生に言われ、ルクセンティアは少し困惑していた。
「とはいえ、すでに断ったのだから、関係ないのではないか?」
「それはそうなのですが……。」
エウリアスは微笑み、ルクセンティアを見る。
「わざわざ『もう断りました』なんて言うのも何だし。それに、今だけなんじゃないかな?」
「そうだな。まあ、放っておけばすぐに収まるさ。実害も無いのだろう?」
「それが、実害はあるのです……。」
そう言って、ルクセンティアは困ったように護衛騎士を見る。
「あんな風に囲まれて、護衛騎士が困っていて……。」
「確かにな! 女の子相手では、あまり乱暴もできないか!」
護衛騎士の苦労を知り、トレーメルが笑った。
護衛なのだから、不用意に近づく子がいれば、勿論排除する必要はある。
だが、そうでなくても取り囲まれた状況は、護衛をする側からすると心臓に悪いだろう。
「しばらくの辛抱だよ。しっかりティアを護衛してあげてね。」
「はい。」
「それは勿論です。」
エウリアスの激励に、ルクセンティアの護衛騎士はしっかりと頷くのだった。
■■■■■■
そんな話をしてから、一週間が経過した。
ところが、状況は一向に改善しなかった。
「はぁ…………おはようございます。」
ルクセンティアは教室に入ってくると、早速溜息をついた。
「おはよう、ティア。どうしたの?」
ルクセンティアはトボトボと自分の席に着き、大きく肩を落とした。
「朝から、随分と疲れた顔をしているな。…………もしかして、またか?」
「ええ……。」
トレーメルの問いに、ルクセンティアが頷く。
この一週間、とにかくルクセンティアはいろんな女の子に声をかけられた。
そのほとんどが、ルクセンティアを褒め称えるものではあり、みんなが口を揃え「氷銀騎士会に入って欲しい」とお願いしてきた。
知らない子から頻繁に声をかけられる状況に、ルクセンティアは少々お疲れ気味だ。
「…………なんかさ、さすがに変じゃない?」
「ユーリも、そう思うか?」
エウリアスが訝し気に言うと、トレーメルも頷く。
本来、貴族家の縁者は、平民からは恐怖の対象だ。
最初は貴族の怖さを理解していない女の子のうち、ルクセンティアに憧れを抱いたりした子が、声をかけているのだと思った。
確かにルクセンティアは可愛い。綺麗だし、凛々しいし、格好いい。
それは認めよう。
女神様に憧れを抱いてしまうのは、人の身ならば当然だ。
だから、エウリアスがルクセンティアのことをちょっと気にしてしまっても、全然不思議じゃない。
うん、全然普通のこと。
……とはいえ、日に日にエスカレートしていく現状は、さすがにおかしいと思えた。
「エウリアス様。」
エウリアスがルクセンティアを気遣わし気に見ていると、タイストが声をかけてきた。
振り返ると、タイストは教室のドアを指さす。
「イレーネ?」
教室のドアには、いつぞやのようにイレーネがいた。
「ごめん。ちょっと行ってくる。」
「ん? ……ああ。」
トレーメルもイレーネに気づき、頷く。
教室を出ると、エウリアスは微笑んでイレーネに挨拶した。
「おはよう、イレーネ。何か用かな?」
「お、おはようございます。エウリアス様。」
イレーネは、少し緊張しながら挨拶を返した。
イレーネとはここしばらく、ほとんど話をしていなかった。
剣術の時間ではトレーメルが相手をするようになり、単純に接点が以前と比べて減っていたのだ。
イレーネは、周囲を気にしているようだ。
周りの目を気にしていた。
「何か、言い難いこと?」
小声でそう尋ねると、小さく頷いた。
「じゃあ、また放課後に――――。」
「いえ、できればもっと早くに。」
そう言って、イレーネはルクセンティアに視線を向けた。
その目は、やや苦し気だ。
「もしかして…………ルクセンティアのことで、何か知ってる?」
「……っ。」
エウリアスがそう言うと、イレーネは少し身体を強張らせた。
これは……。
「分かった。ちょっとこっち来て。」
そう言って、エウリアスは廊下の端に向かう。
護衛騎士二人を立たせて壁を作り、イレーネがエウリアスの影に入るようにする。
「こちらを気にする者は、睨みつけろ。」
「はっ。」
好奇心で視線を向ける者は、睨みつけて威嚇するようにタイストたちに指示を出す。
あぁ……これでまた一般の学院生からのエウリアスの評判に、「怖い」「目を合わせてはいけない」が増えることだろう。
「それで、どうしたの? ルクセンティアに関係することみたいだけど。」
エウリアスがそう尋ねると、イレーネは少し怯えているようだった。
もしかして、この状況で怖がらせてしまったか?
「ごめん。危害を加えるつもりはないし、イレーネに対して思うところがあるわけじゃないから。」
「あ……いえ、エウリアス様に対してではなくて……。」
イレーネは唇を引き結び、迷う。
それでも、意を決したように顔を上げた。
「…………その、先週のことなのですが……。」
そうして、イレーネは重い口を開くのだった。
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