第67話 【偃月斬】の完成




 決闘騒ぎも片付き、今日は週に一度の休日。

 エウリアスはいつものように朝の訓練を終え、【偃月斬えんげつざん】の練習をしていた。


「それでは、よろしいですか?」

「ああ、やってくれ。」


 薪を手にした騎士に、エウリアスは長剣ロングソードを構えて頷く。

 騎士はエウリアスに背を向け、薪を思いっきり放り投げた。

 大きく放物線を描き、薪が飛んでいく。


 エウリアスは、長剣を振り上げた。


「【偃月斬】っ!」


 エウリアスが一気に振り下ろすと、数瞬の間を空け、薪が空中で割れた。

 二つに割れた薪が、そのままフラフラと地上に落下していく。


「おおっ!?」

「あんなに遠くの薪が、本当に斬れたぞ!」


 見学していた騎士たちが、驚きの声を上げる。

 一人の騎士が駆け出し、薪を拾いに行った。


「……本当だ。少し離れた方が狙いやすいんだな。」

「だから言ったであろう?」


 エウリアスが小声で呟くと、クロエが囁くように返事をした。







 エウリアスはずっと【偃月斬】の練習をしていたが、相変わらず一メートルも離れると、命中精度は半々くらいだった。

 これは、エウリアスの剣を振る速さに、クロエが合わせきれていないのが原因だ。

 何せ、瞬きをする程度の、ほんの僅かなタイミングの差で【偃月斬】の飛ぶ方向に影響してしまう。

 そうして、目標が一メートル程度という近距離の場合、すぐに目標に到達してしまうのだ。


「薪が近すぎて、これ以上はどうにもならんわっ!」


 というクレームが、昨夜話をしていてクロエから上がった。


「じゃあ、距離が離れればいいのか?」

「限度はあるがの。ある程度離れていれば、軌道修正がしやすいのは確かじゃな。」


 どうやら、【偃月斬】が飛んだ後もクロエは干渉できるようで、ある程度距離があれば補正が間に合うらしい。


 そこで、最初は地面に置いた薪を、二十メートルほど離れた場所から斬るのを試した。

 これが思いのほか上手くいき、放り投げた薪を狙うのを試してみた、というわけだ。


 タイミングが合わないなら、剣を振るのではなく、単に構えて飛ばすというアイディアもあった。

 ただ、これではだめらしい。

 クロエの歪みの力では、『斬る』ということにはならないからだ。

 離れた対象を歪ませたり、曲げたりということはできても、斬ることはできない。

 エウリアスが、「あれを斬ってくれ」と言うだけでは、【偃月斬】にはならないそうだ。







 騎士が拾ってきた薪を受け取り、よく観察する。

 見事に真っ二つになっていた。


「これはすごいな。綺麗に割れてる。」


 切断面を見て、エウリアスは頷いた。


わらわも、この方が楽じゃの。タイミングを合わせるのに、そこまで気を遣わないで済む。」


 これまでは、ほんの僅かなタイミングの差で、当たったり当たらなかったりしていた。

 しかし距離が離れていれば、【偃月斬】を出すだけ出せば、あとは軌道修正で何とでもなる。

 クロエ的にも、このやり方がいいらしい。


「元々【偃月斬】は遠距離専用って思っていたし。これで実用の目途が立ったな。」


 漆黒の百足を斬った時のように、ゼロ距離じゃないと当たらないと思っていた【偃月斬】が、むしろ離れた方が当たりやすいというのは盲点だった。


「目標が、三十メートルから五十メートルくらいがやりやすいかのぉ。最初に試した二十メートルだと、ちと忙しいわ。」

「……速さを抑えても? というか、飛ぶ速さは変えられないのか?」

「やれなくはないかもしれんが、それはそれで大変じゃの。今は、其方の剣を振る速さに依存しておる。切れ味もな。」


 そういう仕組みらしい。

 エウリアスが剣の遅く振れば、速度も遅く、切れ味も落ちる。

 これはこれで、使い道があるかな?


「まあ、いっか。今日は【偃月斬】の完成を祝って、酒瓶を出すよ。」

「ほっほっほっ。ええ心掛けじゃの。そうして其方から進んで供してくれれば、こちらも快く協力するというものじゃ。」


 クロエが上機嫌で言う。


「妾は、シャンペーンなる酒を所望するぞ。」

「え!? シャンペン?」


 クロエのリクエストに、エウリアスは驚く。

 実は、使用人たちに酒と料理を振る舞った時、クロエはシャンペンを飲めなかった。

 なぜなら、そもそもクロエ用になど用意していなかったからだ。

 ステインが手配したのは使用人の分だけで、シャンペンタワーで使用した物しかなかったのだ。

 まあ、クロエの存在を隠しているから、それは仕方がないのだけど……。


「手に入るかな?」

「其方が言えば、用意するであろう?」

「……そうかもしれないけどさぁ。」


 ステインに「シャンペン買ってこい」って言うの?

 すでにエウリアスが酒を飲んでいると誤解されてはいるが、一応こっそり確保しているのだ。

 もっとも、エウリアスの酒の調達先など遊戯室プレイルームしかないし、いつも補充されているからバレバレだとは思うのだけど。


「エウの父も了承しておる話じゃろ。何の問題もないの。」

「そうだった……。」


 エウリアスは、がっくり肩を落とす。

 ゲーアノルトに注意を受けたが、あくまで「飲み過ぎるな」である。

 飲むこと自体を止められたわけではない。


「んー……まあ、頼んでみるよ。でも、さすがにすぐは難しいかもよ?」

「構わんぞ。ほっほっほっ、ようやく妾もシャンペーンが飲めるのぉ。」


 エウリアスは話を切り上げ、割れた薪を騎士に渡した。


「じゃ、片付けておいて。」

「はっ。」

「ユーリ坊ちゃん。そろそろ、どうやってるか教えてくださいませんか?」

「ははっ……それは教えられないな。さて、汗を流しに行くか。」


 離れた薪を斬る方法をいつも聞かれはするが、エウリアスははぐらかす。

 みんなも遠慮してしつこく聞いてこないのは、正直助かっていた。







 そうして浴室で汗を流し、朝食を摂る。

 給仕に就いたステインに「シャンペンを一本手に入れてくれ」と頼むと、目を丸くしていた。

 だが、そこはさすがのステインである。

 ただ一言、「かしこまりました」と一礼した。


 食後は自室で、制作中の浮き彫り細工レリーフ造りに精を出す。

 これは、戦の女神マリーアンヘーレが跪き、戦に赴く許可を願い出ている場面。

 …………に見せかけた、ルクセンティアのレリーフだったりする。


 トレーメル殿下襲撃の時、ルクセンティアは自分の護衛騎士をトレーメルに差し出した。

 あの、ルクセンティアの覚悟を示す場面が、エウリアスに強烈に印象付けられたのだ。

 この出来事がエウリアスの制作意欲をいたく掻き立て、これまでに何度となく作り直した。

 エウリアスが立ち会った実際の場面の再現ではなく、神話に落とし込むことで、納得の『形』が見えた。

 あとは、頭の中のイメージを、そのまま彫るだけである。


 そうしてエウリアスがレリーフ造りに熱中していると、ステインが呼びに来た。


「エウリアス坊ちゃま。トレーメル殿下がお見えになりました。」

「あ、もうそんな時間?」


 エウリアスは顔を上げ、軽く肩を解す。

 集中して作業していたため、肩が少し張っていた。


 エウリアスは造りかけのレリーフを机に仕舞い、片付けを女中メイドに指示する。

 別のメイドたちが、エウリアスの着替えを手伝った。


 今日は、トレーメルとルクセンティアを昼食に招待していたのだ。

 決闘騒ぎの時、トレーメルとルクセンティアは、エウリアスのために真剣に怒ってくれた。

 貴族という仕組み自体を蔑ろにする行為だから、というのもあるだろうが、二人がエウリアスのために怒ってくれたことは本当に嬉しかった。

 まあ、そのために騒動がさらに大事おおごとになったという側面も、あるにはあるが……。


 とはいえ、そうしてエウリアスのことを考えてくれる友人は、かけがえのない存在ものだ。

 そのため、お礼を兼ねて昼食にご招待、となったわけである。


 エウリアスは夏用のジャケットにTシャツ、スラックス。

 殿下相手に気軽すぎる格好ではあるが、今日はあくまで友人同士の昼食会という位置付けだ。

 そのため、二人にも気軽な格好で、と伝えてあった。


 姿見で確認し、エウリアスは頷く。


「よし、行こうか。」


 ステインに案内されて、部屋を出るエウリアスだった。




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