第68話 エウリアスの屋敷、見学
ステインに案内され、エウリアスはエントランスから外に出る。
芝生の上を歩いていくと、少し離れた場所に生えている木の下に、テーブルが用意されていた。
数人の護衛騎士と、屋敷を眺めていたトレーメルがエウリアスに気づく。
「やあ、ユーリ。今日は招待してくれてありがとう。」
「いらっしゃい、メル。来てくれてありがとう。」
エウリアスが席を勧め、木陰のテーブルに着く。
「郊外の屋敷とは聞いていたけど、思った以上に郊外だったな。」
「いい所でしょ? あんまり街中だと、騒がしそうだし。」
「それは確かにそうだな。それに、思った以上に立派な屋敷だ。……というか、本当にここに一人で暮らしているのか?」
トレーメルの疑問に、エウリアスは苦笑する。
エウリアス一人のために用意するには「さすがに大き過ぎるのでは?」という感想は、エウリアスだけではなかったようだ。
「もうすぐティアも来るだろうし、そうしたら中を案内してくれ。」
「いいよ。」
柑橘類を絞った水で、中にミントも入っていた。
貴族の間では、夏によく飲まれる
トレーメルは毒味役を遮り、すぐに受け取った水を飲んだ。
エウリアスに対する信頼の表れだが、万が一の時には、ラグリフォート家を取り潰せば良いと考えているのかもしれない。
トレーメルは、自分自身が毒味役のつもりなのだ。
王家にとって、ラグリフォート家は毒か否か、と。
とはいえ、さすがに本当に疑っていれば、毒味役を遮りはしないだろう。
そうしてテーブルで休んでいると、門からエントランスへ向かう道を、一台の馬車がやって来た。
馬車の後ろには、護衛の騎馬隊もいる。
「お、ティアが来たようだな。」
トレーメルも気づき、手に持っていたグラスをテーブルに置く。
エウリアスは立ち上がると、馬車に向かって軽く手を振った。
エウリアスとトレーメルは、並んでエントランスの方へ歩いた。
馬車を下りたルクセンティアの姿が見え、エウリアスはもう一度手を振る。
「ティア、いらっしゃい。」
「ユーリ様、お招きありがとうございます。」
エウリアスに気づき、ルクセンティアが軽く会釈する。
ルクセンティアは、涼し気なワンピースだ。
その可憐な姿に、一瞬見惚れそうになる。
「ティアも来たことだし、中を案内してくれるか?」
「そうだね。」
エウリアスが先頭を歩き、その後ろにトレーメルとルクセンティアが続く。
更に後ろには、護衛騎士やらラグリフォート家の使用人やら、ぞろぞろと続いた。
「ここが
「これだけのリビングを、使っていないのですか?」
トレーメルとルクセンティアが、広々としたリビングを眺める。
テーブル席とソファーセットを備え、絵画や彫刻が飾られた立派なリビングだが、ほとんど使っていなかった。
「自室にいることが多いから、ほとんど使わないんだよね。食事は
「言われてみれば、僕もあまりリビングには行かないかもしれないな。父や兄がいれば、話をするのに使うこともあるが。」
「私もそんな感じかしら? ユーリ様は一人でこちらに住んでいるから、そういうこともないのね。」
トレーメルはともかく、ルクセンティアは領地に実家がある。
家族は
応接室、
「先程のダイニングのテーブルもそうだが……。一人用の屋敷とは思えないな。」
一人用の屋敷というのも変な言い回しだが、確かに一人で暮らすには広すぎる。
まあ、使用人や騎士が何十人といる状態を「一人で暮らす」と表現していいものか、微妙なところだが。
「ここが俺の部屋ね。」
そうしてエウリアスが部屋に入ると、トレーメルとルクセンティアが目を丸くした。
「なんだ、この部屋は……!」
「……すごい。」
五部屋をぶち抜き、豪華に改装した立派すぎる部屋に、二人は驚いていた。
じとっとした目で、トレーメルがエウリアスを見る。
「…………えらい贅沢しているな、ユーリ。僕の部屋よりも広いぞ。」
「あはは…………ま、まあ、王都のど真ん中と郊外じゃ、土地の使い方に違いがあるのは当然じゃないかな?」
ということにしておく。
実際、それは事実だし。
「敷地も広いし、ラグリフォート伯爵はユーリ様をとても大事にされているのね。」
ルクセンティアの感想に、エウリアスは頷く。
この、一人暮らしには過剰な屋敷も、ゲーアノルトがエウリアスのことを思って用意させたものだ。
「俺は、領地では野山を駆け回ってたからさ。もっと貴族らしくしろ、が父上の口癖。」
エウリアスが肩を竦めて言うと、トレーメルとルクセンティアが笑った。
「騎士学院に通うついでに、貴族としての生活にも慣れさせる狙いか。……少々やりすぎな気もするが、伯爵の考えは間違っていないな。」
壁に飾られた絵画や、緻密な細工の施された燭台を見ながら、トレーメルが感想を漏らす。
「当たり前かもしれないけど、調度品はラグリフォート産ばかりね。羨ましいわ。」
「実にけしからんな。こんなに高級品ばかり揃えおって。」
トレーメルが、あえて難しい顔をして、エウリアスを見た。
そんなトレーメルの顔を見て、エウリアスは笑ってしまう。
「地元なんだから当たり前だよ。」
「それにしたってずるいじゃないか。僕も欲しいぞ。」
トレーメルが、両手を腰にあてて抗議してくる。
ずるいと言われても……。
「多分、これらをラグリフォート産で揃えたのは、高級だからって理由だけじゃないと思うけどね。」
「そうなの?」
ルクセンティアが聞き返すと、エウリアスが頷いた。
「こっちの椅子は、ニムサ。こっちはヤンジャスが造ったんじゃないかな。こっちのは……。」
エウリアスは会議机に備えられた椅子に手を触れ、名前を挙げていく。
それを聞いて、ルクセンティアが目を丸くする。
「もしかして…………造った職人ですか?」
「うん。俺がよく行ってた工場の物だと思う。」
おそらくゲーアノルトは、エウリアスが寂しくならないように配慮してくれたのだ。
仲の良かった職人の物を傍に置き、いつでも思い出せるように、と。
「まったく……どんな目利きだ? どこで造られた物かは分かる者もいるだろうが、さすがに職人まで当てられる者はいないぞ?」
「ずっと見てきたからね。職人にも得手不得手はあるし、好みもあるから。細工のちょっとした所に癖が出てたりするんだ。」
エウリアスが寂しそうに笑うと、ルクセンティアが「そうですか……」と呟く。
トレーメルが椅子に顔を近づけて観察していると、不意に視線を上げた。
遠くを見る視線の先には、置物がある。
「……あれは、女神像か?」
そうして、エウリアスの執務机の後ろに飾ってあった、木の彫刻に近づく。
「おおっ……!? 何だこれはっ!」
トレーメルがまじまじと眺める女神像は、水の女神の彫刻だった。
エウリアスが騎士学院に旅立つ前日に、職人から贈られた物だ。
「それも、仲の良かった職人が造ってくれた物なんだ。俺の宝物だよ。」
「なんと見事な……!」
トレーメルがあまりにも褒めるので、ルクセンティアが興味を持ったようだ。
しかし、そんなルクセンティアを遮るように、エウリアスは笑顔で立ちはだかる。
「あの……ユーリ様?」
「ん? 何かな?」
エウリアスはわざとすっとぼけ、にこにこと笑顔を作った。
あの女神像の彫刻は、確かに素晴らしい出来ではあるのだが、ルクセンティアに見せるには艶やか過ぎる。
以前、エウリアスの造った
そうして笑顔でブロックしていたエウリアスだが、ルクセンティアから何かを言われる前に、急いで女神像を取りに行くと机の引き出しに仕舞った。
「こら、ユーリ! まだ見ているんだぞ! もっと見せてくれ!」
「ま、またの機会に!」
エウリアスは小声でトレーメルに言い、ちらちらと視線でルクセンティアを示した。
エウリアスの意図を察し、トレーメルが不承不承で頷く。
「…………あの女神像、譲ってはくれないか? いくらだ?」
「そ、それはちょっと……。」
トレーメルがこそこそと頼んでくるが、エウリアスは首を振った。
職人から好意で譲ってもらった物を、勝手に売るわけにはいかない。
「さっきの椅子を造った職人の一人なんだけど、若いけど腕のいい職人だよ。…………紹介しようか?」
「……頼む。」
エウリアスがリクエストを聞き、職人のヤンジャスに発注するという密約が成立した。
ヤンジャスには、注文主が王子だということは黙っておこう。
さすがにプレッシャーが半端ないだろうから。
エウリアスとトレーメルが密約を交わしていると、ルクセンティアが肩を竦めた。
そこに、ステインがやって来る。
「ご歓談中、失礼いたします。エウリアス様、昼食の準備が整いました。」
「分かった。今行く。」
エウリアスは、にっこりと笑顔を作った。
「それじゃ、行こうか。料理人に、腕によりをかけて用意させたから。気に入ってもらえると嬉しいのだけど。」
そうしてエウリアスは、トレーメルとルクセンティアを外へと案内するのだった。
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