第66話 暴力の誘惑




 エウリアスとワッティンソン子爵の前で、チェスターがヒューゴーの頭を地面に押しつける。

 その様子を、エウリアスは黙って見ていた。


 ワッティンソン子爵が、厳しい表情で口を開く。


「ヒューゴー。キミはどうやら、騎士には向いていないようだ。」


 ワッティンソン子爵からの評価を、ヒューゴーは黙って聞いていた。

 もはや悔しがることもできず、チェスターに押さえつけられるままになっている。


「エウリアス君に感謝しなさい。彼が憎まれ役を買って出て、キミの思い上がりを正してくれた。そのおかげで、完全に芽を摘まれずに済んだのだから。」

「………………………………え?」


 ワッティンソン子爵の言っている意味が分からず、ヒューゴーの目が泳ぐ。

 そうして、押さえつけられたまま、エウリアスの方に視線が向けた。


「エウリアス様は、お前の思い上がりを見抜いておられたのだ! ただ助命されても、いや……そうしてしまうからこそ、いつか取り返しのつかない失敗をしでかすと! そうなれば、子爵にとんでもない迷惑をかけることになる!」


 チェスターが、ヒューゴーの襟を掴んで起こす。


「エウリアス様は! 初めから罰が家族に及ばないように、子爵と話をされていたのだ! その上で、自分が憎まれ役を買い、お前を助命すべきかを見定めたのだ!」


 再びチェスターが、ヒューゴーの頭を地面に押しつける。

 ワッティンソン子爵が、エウリアスを見た。


「エウリアス君は、我がワッティンソン家の将来の禍根にならないよう、ここでしっかりと見極める必要があると考えた。ヒューゴーの思い上がりを打ち壊し、正しき道に戻るならば、キミの助命に応じると初めから言っていたのだよ。」

「…………え、あ…………え……?」


 ヒューゴーは、聞かされていた話を引っ繰り返され、何が起きているのか理解できていないようだった。

 戸惑い、ただ「え……」や「あ……」と声を漏らす。


「ヒューゴー。キミの下らない正義感など、足元にも及ばないところにエウリアス君はいるのだよ。」


 そうして、事の発端になった「エウリアスによる女子学院生へのいじめ」を、ワッティンソン子爵が説明した。

 イレーネには災難なことだが、ヒューゴーの言い分を聞いた時、担任教師のテオドルによって事情聴取が行われている。

 いじめ疑惑を知った時、イレーネは焦りまくり、「エウリアス様にご迷惑をかけてしまった」と青くなったらしい。

 可哀想に……。


 ワッティンソン子爵が、これまでのエウリアスの苦労を、ヒューゴーに言い聞かせる。


「言いがかりをつけられ、決闘を申し込まれても、エウリアス君は大事おおごとにしないように腐心したのだ。その場で斬り捨てて当然のキミや、累が及ぶ家族のことを思い、穏便に済ませようとした。その温情を投げ捨て、踏み躙ったのがヒューゴー。キミのやったことだ。」


 ワッティンソン子爵の口から告げられる事実に、ヒューゴーが愕然となった。


「これほど慈悲深い貴族を、私は他に記憶がない。ラグリフォート伯爵が私は羨ましい。どうすれば、この若さでこれほどの人格者となれるのか。立派な跡取りを育て上げた伯爵も、さぞ人格者なのだろうな。」


 ゲーアノルトのことを羨ましいと言われ、エウリアスはちょっと嬉しくなった。

 ゲーアノルトもエウリアスのことを「よく頑張っている」と褒めてはくれるのだが、いつもその後にお小言が付いてくる。

 もっと貴族らしくするように、と。

 是非とも、ワッティンソン子爵の言葉をゲーアノルトに伝えて欲しい。


 そして、ワッティンソン子爵から沙汰が下される。


「ヒューゴー、キミは騎士には向いていないのではないか、と私は思う。」


 その言葉に、ヒューゴーは苦し気に顔を歪めた。


「だが、ほんの僅かにだけ、可能性が残された。その可能性は、エウリアス君がキミに与えてくれたものだ。」


 厳しい口調で、ワッティンソン子爵が続ける。


「騎士学院を修了したからと言って、易々と騎士になれると思わないことだ。キミが騎士に相応しいか、私自らこれから見定めるとしよう。」

「…………はい。」


 ヒューゴーが、消え入りそうな声で返事をする。


「問題が決着したからと言って、キミが王国軍や他の領主軍に入れる可能性は無い。こんな問題を起こした者を、どこも登用するわけがない。」

「はい……。」

「五年後、キミが心を入れ替え、真に騎士に相応しいと判断すれば、我がワッティンソン子爵家で取り立てよう。さもなくば、キミはどこに行こうと騎士になれることはない。肝に銘じ、精進するがいい。」

「分かりました……。申し訳ありませんでした、ワッティンソン様。」


 ヒューゴーの謝罪を聞き、ワッティンソン子爵が首を振る。


「キミがまず謝罪すべきは、私ではない。」

「エウリアス様に、誠心誠意詫びるのが先だ。」


 チェスターに小突かれ、ヒューゴーがエウリアスの方に向き直る。

 そうして、しっかりと頭を下げた。


「申し訳ありませんでした、エウリアス様……。」


 ヒューゴーの謝罪を聞き、エウリアスは頷く。


「ヒューゴー、キミは剣よりも、まずは心を鍛えた方がいい。剣は、正しい心で振るわなくては、ただの暴力だ。そして、暴力は甘美な薬のようなものだ。使いたくて堪らなくなる。気をつけるといい。」

「…………はい。」


 これは、師匠の教えだった。

 守るためにと剣術を身につけても、人は『暴力』に魅入られてしまう。

 その甘美な魅力に、心が侵されてしまうのだ。

 特に、貴族という強大な力と合わさると、その魅力は相乗効果で強烈なものになる。

 常に己を見つめ直し、暴力に溺れることのないように、と言われていた。

 これは、騎士道にも通じる考えだ。


 エウリアスは、ワッティンソン子爵の方を見る。


「それでは、後はよろしくお願いします。」

「ああ。今回のことは、本当にすまなかったね。それと、ありがとう。エウリアス君。」


 エウリアスは一つ頷き、踵を返す。

 そうして、トレーメルとルクセンティアの方に歩き出した。


 連座による斬首は免れたが、チェスターもまた処分を受けることになる。

 どういった処分が下されるかは分からないが、おそらく降格だろう。

 ただ、ワッティンソン子爵の仕事に多大に貢献しているようなので、実務的には変わらないと予想される。

 そのため降格と言いながら、実質は減給のような処分なのではないだろうか。


 また、ヒューゴーも学院から処分を受ける。

 退学処分でもおかしくないが、今回は貴族家同士で決着をつける関係上、そこまでにはならない。

 謹慎三週間くらいだと、学院長であるミーラワード公爵からすでに聞いていた。







「大変だったな、ユーリ。」

「災難だったわね。」


 トレーメルとルクセンティアの所まで行くと、二人がエウリアスを労ってくれた。

 しかし、事前に今回の決着を聞いていた二人は、少々納得できない部分があるようだ。

 特にトレーメルは、不満が表情に出ていた。


「今更ではあるがな。やはり、甘すぎるのではないか?」


 歩きながら、三人で話をする。


「ユーリが分け隔てなく接するのは美徳だとは思うが…………平民とは距離を取るべきではないか? 近すぎれば、こうして勘違いする者も出てくる。」

「そうかもね。でも……。」


 エウリアスが言葉を続けられずにいると、ルクセンティアが話題を変えてくれる。


「ユーリ様は随分と強いのね。正直言うと、これほどとは思わなかったわ。」

「ああ、それは思った。授業では、随分とやりにくそうにしているしな。」


 確かに、授業では慣れないリフエンタール流の動きに戸惑うし、相手もイレーネだ。

 思うように長剣ロングソードを振れない。


「今度、ユーリ様と本気でやってみたいわね。勝負しましょ?」

「え”?」


 にっこりと勝負を挑まれ、エウリアスが目を丸くする。


「それは面白そうだな。僕もやろう。」

「え”え”っ?」


 トレーメルまで便乗し、勝負を挑まれる。

 エウリアスは慌てて、手と首を振った。


「じゅ、授業でそんなことやったら、怒られるじゃすまないよ!?」

「あら? それならホーズワース家うちの庭でもいいわよ?」

王城うちの中庭でもいいぞ。」

「ちょっ!?」


 王城で王子と勝負とか、勘弁して!

 実際はただの試合……というか練習の延長のようなものだが、それでも王城は無理。

 いずれは足を踏み入れることになる場所ではあるが、まだちょっと近づきたくない。


 エウリアスは、わざとらしく空を見上げる。


「さ、さーて、急げば昼食の時間には間に合うかな。午後の授業は出られそうだ。」

「こら、ユーリ。勝負を受けろ。」

「ユーリ様!」

「タイスト、急げ! 俺は昼抜きで午後の授業を受けたくない!」


 馬車に向かって走り出したエウリアスを追って、トレーメルとルクセンティア、タイストを始めとする護衛騎士の面々が走り出す。


「ちょっと、ユーリ様! 返事は?」

「しばらくは勘弁してええぇぇえええっ!」


 エウリアスの叫ぶような声が、夏空に吸い込まれていくのだった。







 後日。

 ラグリフォート伯爵領のゲーアノルトの下に、二通の手紙が届いた。


 一通は騎士学院の学院長であるミーラワード公爵から。

 農務大臣も務める大物からの手紙に、ゲーアノルトは顔を引き攣らせた。

 手紙の内容自体は、一連の騒動の簡単な説明。

 そして、「立派な子息で感服した」というお褒めの言葉。

 それはそれで、ゲーアノルトは頭を抱えたくなった。

 エウリアスは、公爵の前で粗相をせずに済んだか、と肝が冷えたからだ。


 もう一通は、ワッティンソン子爵からだ。

 やはり簡単な顛末が書かれた上で、謝罪と感謝が綴られていた。


 …………実のところ、先日もホーズワース公爵から手紙が届いている。

 トレーメル襲撃事件とは別件で、再び感謝の手紙が届いたのである。

 屋敷への襲撃を受けたところを、エウリアスに助けられた、と。

 これについては、エウリアスからも詳細な内容が報告されていたが。


 この、立て続けに届けられる手紙に、ゲーアノルトは胃が痛くなる思いだった。

 しかも差出人が、これまでほとんど接点のなかった大物が多い。


 エウリアスが王都に行って、三カ月余り。


「このペースで手紙が届いたら、私の方が倒れそうだ……。」


 胃の辺りを押さえ、ついそんなことを呟いてしまうゲーアノルトだった。




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