第65話 ワッティンソン子爵の謝罪




 ヒューゴーはガタガタと震えながら、剣を構えていた。


 ビュッ!


 エウリアスが長剣ロングソードを薙ぐと、ヒューゴーの上腕に当たり、足をもつれさせ横倒しになる。


「あっ……くっ……!」

「立て。」


 エウリアスは静かに長剣を構え、ヒューゴーが立ち上がるのを待った。


 ヒューゴーは、すでにボロボロだった。

 何度となく転倒し、衣服は汚れ、あちこちに擦り傷を負っていた。


「お、お許しくださいっ……! だ、だから、家族だけはっ……!」


 ヒューゴーは、立ち上がろうとはせず、家族の助命を口にした。


「早く立て、ヒューゴー。」

「お願いしますっ! 家族だけはっ……家族だけはどうかっ……!」


 そんなヒューゴーを冷たく見下ろし、エウリアスはそっと息を吐いた。


「ここまでか。」


 そうして構えを解くと、チェスターの方を向いた。


「勝負はついたな。ヒューゴーは俺に膝をつかせることができなかった。…………チェスターの首を刎ねろ。」

「そんなっ……!?」


 冷たく言い放つエウリアスに、ヒューゴーが愕然とする。


「何が『そんな』だ? 始めからそういう話だったろう? お前が諦めた時点で勝敗が決する。家族を救いたいなら、死に物狂いでかかって来い。」


 そう言って、エウリアスは再び構えた。

 エウリアスが懇願を聞く気がないことを悟り、ヒューゴーはふらふらと立ち上がった。

 そうして剣を構えるが、身体が震え、足も萎える。

 剣を構えながら、ヒューゴーはぽろぽろと泣き始めた。


「……お願い、しますっ……! ……僕が……間違って、いましたっ……お願……ですから、……どうか、家族だけはっ……!」


 エウリアスはそんなヒューゴーに構わず、強く踏み込む。


 ダンッッッ!!! ガキンッ!


 ヒューゴーの剣を払うと、剣戟の音を響かせ、剣が飛んでいった。

 ヒューゴーが、その場で崩れ落ちる。


「……エウリアス、さまぁ……どうか……お許し、くださ……家族……だけは……っ!」


 ヒューゴーは完全に戦意を喪失し、泣き崩れた。


「立て。」


 エウリアスが声をかけても、ヒューゴーはただうわ言のように繰り返す。

 家族だけは助けて欲しい。

 許してください、と。


 エウリアスが構えを解かずにいると、ワッティンソン子爵がやって来て、横に並んだ。

 そうして、エウリアスの長剣にそっと手を置くのだった。


 ……………………。

 …………。







■■■■■■







 農務省本部。

 騎士学院の学院長を務める、ミーラワード公爵の執務室。


「その申し出は、受け入れられません。」


 ワッティンソン子爵からの謝罪を拒否するというエウリアスの返答に、執務室が凍りついた。

 向かいに座ったミーラワード公爵が、表情を強張らせる。


「キミは…………何を言っているのか分かっているのかね?」


 低く抑えられた、ミーラワード公爵の声。

 そこには、怒気が滲んでいた。

 エウリアスの返答は、仲介したミーラワード公爵の面子を潰すことになるからだ。


 エウリアスは、ミーラワード公爵を真っ直ぐに見た。


「今ここで、私がワッティンソン子爵の謝罪を受け入れて、それでどうなるのでしょうか。」

「どうって、それで丸く収めようという話ではないか。」


 苛立ったようなミーラワード公爵に、エウリアスは首を振る。


「問題自体はそれで収まるでしょう。そうではなく、ヒューゴーのことです。」

「……ヒューゴー?」


 エウリアスの投げかけた問いに、ワッティンソン子爵が呟くように声を漏らす。


「自分の知らないところで勝手に決着がついた。ついてしまった。それを知ったヒューゴーは、どう思うでしょう?」

「勿論、彼には私の方からよく言って聞かせる。エウリアス君の温情で、今回は収めてもらったと――――。」

「お言葉ですが、おそらく何を言っても無駄でしょう。」


 ワッティンソン子爵がヒューゴーに説明するというが、エウリアスはそれを無駄だと切り捨てた。


「卑怯者のラグリフォート。尊敬する子爵から、卑劣な手段で……伯爵家いえの力を笠に、謝罪を引き出したに違いない。そう思うに決まってます。」

「う、うーむ……。」


 エウリアスの考えに、ミーラワード公爵が唸る。

 あり得る、と考えているのだろう。


「ヒューゴーの正義感は歪んでいます。女の子がいじめられている。そのことに怒るのは悪いことではないが、それでいきなり決闘ですよ?」


 エウリアスの目が、スッと冷える。


「力を誇示したかった。情けない貴族を捻じ伏せたかった。自分の力こそが正しいんだ。そんな思い上がりが、透けて見えませんか?」

「……………………。」


 エウリアスは、横に座るワッティンソン子爵を見た。

 ワッティンソン子爵は、何かを言いかけて飲み込んだ。


「彼の考えは危険です。子爵が言えば、その時は受け入れるでしょう。ですが、彼の中に憎悪は燻り続けます。それが、次はどんな形で燃え上がるか、予想がつきません。」


 今回は、ワッティンソン子爵よりも下位のエウリアスだから、謝罪で済む。

 しかし、次の相手がもしもワッティンソン子爵よりも上位だった場合は?

 謝罪だけで収まるわけがない。


 エウリアスの話を聞き、ミーラワード公爵が厳しい表情で尋ねる。


「それでは、エウリアス君はどうするつもりだ? やはり斬首か?」


 エウリアスは、首を振った。


「私も、できればそれは避けたいと思っています。だから、ワッティンソン子爵の謝罪は受けようと思います。」


 そこでエウリアスは、真剣な表情でワッティンソン子爵を見た。


「ですが、それは今ではありません。」

「今ではない? では、いつなら受け入れるというんだい?」

「勿論、ヒューゴーがどれだけ反省したかを見極めてからです。」


 そうして、にっこりと微笑んだ。


「徹底的に追い詰め、心を折り、二度と馬鹿なことを思いつかないようにするのです。そこで彼が本当に反省し、後悔するならば、助命のための謝罪を受け入れます。」

「はっはっはっ! それはいい! 確かに、もう二度と馬鹿なことをしでかさないように、教育しつけは必要だな。」


 エウリアスの提案に、ミーラワード公爵は笑い、ワッティンソン子爵は顔を強張らせた。

 エウリアスは、床に座り込み、見上げるようにして話を聞いていたチェスターを見る。


「この件で、家族にまで累が及ばないようにします。そのために、ワッティンソン子爵の謝罪は必要です。……ただ、ヒューゴーの首まではどうなるか分かりません。それを決めるのは彼自身です。そこは、理解してください。」


 もしも、どれだけ追い詰めてもエウリアスに憎悪を向けるようなら、首を刎ねるしかない。

 元々、それがヒューゴーが犯した罪の報いなのだ。

 自らの首で償うのか、赦されるかを決めるのは、ヒューゴー自身である。


「それでは、私の謝罪により、家族は助けてもらえるのだな?」

「はい。そこにヒューゴーを含めるかどうかは、見極めてからです。」

「……分かった。」


 ワッティンソン子爵は頷き、チェスターの方を見る。


「私は、エウリアス君の言っていることは正しいと思う。親として、ヒューゴーのことを信じるなら、この提案を受け入れられるはずだ。」


 ワッティンソン子爵の言葉に、チェスターは苦し気に顔を歪める。

 だが、逡巡した後、頷いた。


 ミーラワード公爵が、満足そうに頷いた。


「うむ、話はまとまったな。しかし、ヒューゴーを追い詰めるというのは、具体的にどうする気だ?」


 ミーラワード公爵の問いに、エウリアスにきらきらとした笑顔を見せる。


「勿論、剣に自信があるというなら、剣で叩きのめすだけです。」

「……え? 剣でかい?」


 しかし、エウリアスの案に、ワッティンソン子爵が驚きの声を上げる。


「た、確かにエウリアス君はなかなかの腕をしているらしいというのは聞いているが……。ヒューゴーも、かなり剣は達者だぞ?」


 幼少の頃より、騎士であるチェスターに鍛えられてきた。

 だが、エウリアスの笑顔は変わらない。


「だから何ですか? 負けられない戦いに、絶対に負けない。だから貴族は貴族なのです。」


 エウリアスの目に、ギラリとした光が宿る。


「独りよがりの正義と、将来領地を背負う覚悟の貴族。格の違いを見せてやりますよ。」

「はっはっはっはっはっ! いいぞ、エウリアス君! 実に愉快だ!」


 エウリアスの宣言に、ミーラワード公爵は再び高らかに笑うのだった。







■■■■■■







 …………。

 ……………………。


 エウリアスの横に立ち、ワッティンソン子爵は長剣にそっと手を置いた。


「……そろそろ、いいだろうか? 私には、彼が十分に反省し、後悔しているように見えるが。」


 ワッティンソン子爵に言われ、ヒューゴーを見る。

 そうして、エウリアスは長剣を下ろした。


「エウリアス君。キミから見てどうだろうか?」


 ワッティンソン子爵にそう聞かれ、エウリアスは頷く。


「……いいと思います。後は、ワッティンソン子爵の良いように。」

「ありがとう。」


 エウリアスが同意したことで、ワッティンソン子爵が姿勢を正す。

 美しい所作で、頭を下げた。


「私の身内が、ご迷惑をおかけした。ここに謝罪し、お詫び申し上げる。」

「受け入れます。」


 また後日、別の機会を設けて謝罪をすると思っていたエウリアスは、一瞬驚く。

 だが、エウリアスが答えないとずっと頭を下げ続けることになるため、すぐに受け入れることを伝えた。


 エウリアスがワッティンソン子爵の謝罪を受け入れたことで、対外的にはこの問題は解決したことになる。

 ヒューゴーをワッティンソン子爵がどう処罰するかは、すでにエウリアスの手を離れた。

 内々のことに、外からとやかく言うものではない。


 そこで、チェスターがヒューゴーに駆け寄り、殴り飛ばした。

 ワッティンソン子爵が謝罪するところを見て、の終了が周りにも分かったのだろう。

 チェスターを押さえつけていたラグリフォート家の騎士が、解放したのだ。


「このっ、馬鹿者がっ! お前って奴はっ、お前って奴はっ……!」

「ごめ……なさいっ! ……ごめんなさいっ……父さんっ……グブッ!」


 チェスターは、涙を流しながらヒューゴーを何度も殴った。

 まあ、そうしたくなる気持ちも分かる。

 馬鹿息子のために、危うく家族全員の首が刎ねられるところだったのだから。


 そんな様子を見ていると、警備隊の兵士が一人こちらに歩いてきた。


「ワッティンソン子爵、エウリアス様。我々はもう戻っても?」

「ああ、ありがとう。協力に感謝する。」

「後で、ワッティンソン家うちから酒を差し入れをさせてもらう。手間を取らせた、せめてもの礼だ。みんなで飲んでくれ。」

「ありがとうございます。これくらいのことなら、お安い御用です。」


 では、と言って警備隊の兵士たちが撤収を始める。


 タイストもやって来て、見学していたトレーメルやルクセンティアもこちらに向かって歩いて来る。

 チェスターは引きずるようにして、ヒューゴーをエウリアスたちの前に連れて来た。


「エウリアス様っ! この度は、本当に申し訳ありませんでしたっ!」


 ヒューゴーの頭を地面に押しつけ、チェスターが謝罪する。

 その姿を見て、エウリアスはもう一度表情を引き締めるのだった。




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