第62話 極悪非道ではなく冷酷無比




 エウリアスが、騎士学院の学院長を務めるミーラワード公爵と話をしていると、ドアがノックされた。

 そうして入室してきたのは二人の男。


 一人は、明らかに貴族だった。

 四十代半ば、スラッとした品のある男性。


 もう一人は、その貴族の護衛といった出で立ち。

 三十代に見えるが、今は憔悴しきった表情をしていた。


 エウリアスは貴族の男を認めると、ソファーから立ち上がった。

 ミーラワード公爵が、入室してきた貴族を紹介してくれる。


「彼はワッティンソン子爵。私が寄り親を務める、ワッティンソン子爵家の当主だ。現在、この農務省で生産計画局の局長を務めている。」

「ネイト・フォン・ワッティンソンです。よろしく、エウリアス君。」

「ラグリフォート伯爵家嫡男、エウリアス・ラグリフォートです。お初にお目にかかります、ワッティンソン子爵。」


 エウリアスが挨拶をすると、ミーラワード公爵がソファーに座るように促す。

 ミーラワード公爵の向かいに、エウリアスとワッティンソン子爵が並んで座った。


「ワッティンソン子爵は私と同じ、西部に領地を持つ領主だ。農務省でも、局長として王国の『食』を支えてもらっている。」


 王国の西部には、穀倉地帯が広がっている。

 そのため、農業などを司る農務省の官職には、西部の領主が就くことが多いと聞く。


 ただ、実際は農務省が司るのは農業だけではない。

 漁業、林業、酪農と幅広い。

 それでも、王国の穀物の大半を生産する領地の貴族家が、農務省の舵取りを任されるのは理に適っていると思う。

 現場を知らない者がトップに立てば、王国の『食』が崩壊しかねないからだ。


 そんな前知識を頭に思い浮かべ、エウリアスは微笑みながら頷いた。


(…………そんな子爵が、なぜこの場に? 全然関係ないよね?)


 子爵家の当主でも、局長クラスに就ける者は多くない。

 そのポストの多くは、伯爵家が持って行くからだ。


 大臣・長官クラスは、上級貴族である公爵と侯爵。

 局長クラスは伯爵。

 室長、部長クラスを子爵、男爵。

 大雑把に言うと、こんな感じで官職は割り当てられる。


 子爵で局長になるということは、ワッティンソン子爵は相当に優秀なのだろう。

 ミーラワード公爵が寄り親ということなので、自身の腹心を引き上げた、とも言えそうだが。


 しかし、今はそんなことは関係ない。

 なぜなら、エウリアスが呼ばれたのは騎士学院での騒動について話し合うため、だからだ。


 そして、もう一つ気になることがある。

 エウリアスは、ワッティンソン子爵とともに入室してきた、護衛らしき騎士を見た。

 その騎士は俯き、唇を引き結んでいる。


「なぜ、二人がこの場に来たか。私の方から説明しよう。」


 エウリアスが騎士に視線を向けたことに気づき、ミーラワード公爵が説明する。

 しかし、ミーラワード公爵の説明を待たず、騎士が跪いた。


「エウリアス様! この度は、まことに申し訳ございませんでした!」

「え……?」


 騎士の突然の行動に驚き、エウリアスはミーラワード公爵を見る。

 ミーラワード公爵は、騎士を見て顔をしかめていた。


「……彼は、ヒューゴーの父だそうだ。」

「そして、私の片腕でもある。エウリアス君。」


 ミーラワード公爵に続き、ワッティンソン子爵が補足する。

 エウリアスは少し驚きつつも、隣に座るワッティンソン子爵を見た。


「ヒューゴーの言っている、父の仕える貴族というのは…………ワッティンソン子爵のことなのですね。」

「ああ、その通りだ……。」


 ワッティンソン子爵が、複雑な表情で頷く。


(これはまた、ややこしいことになりそうだ……。)


 エウリアスはそんなことを思うが、勿論表情には出さない。

 この場に現れたワッティンソン子爵と、ヒューゴーの父という騎士。

 その意味を、冷静に考えていた。


「助命嘆願、ですか?」


 エウリアスが確認すると、ミーラワード公爵が頷く。


「法に照らせば、ヒューゴーはもとより、その父母、兄弟、子にまで累が及ぶ。全員斬首が相当だろう。」


 平民が、貴族に剣を以て挑もうとしたのだ。

 処分としては、これ以外にはないだろう。

 それが分かっていたから、エウリアスも咄嗟に「聞かなかったこと」にしようとした。

 しかし、それをぶち壊したのも、やはりヒューゴーだ。


 ワッティンソン子爵が、エウリアスを見る。


「ヒューゴーのことは、私も面識があってね。チェスターの自慢の息子だった。私も、将来を楽しみにしていたんだ。」


 チェスターというのは、目の前で跪いている騎士の名前だろう。


 ワッティンソン子爵が言うには、チェスターも教育には熱心だったらしい。

 ヒューゴーに、きちんと礼儀作法などを教えていた。

 実際、ワッティンソン子爵と面会した時などは、年齢の割にしっかりとした作法だったという。


 ただ、一点。

 すっぽり抜け落ちていたようだ。


『貴族に逆らってはいけない。』


 当たり前すぎる常識のため、そこだけが抜け落ちてしまっていた。


 貴族の素晴らしさを教え、貴族に失礼のないように接することを教えた。

 しかし、逆については伝えることを忘れていたようだ。

 つまり――――


 その話を聞き、エウリアスは呆れて溜息をついてしまった。

 呆れて言葉もないとは、まさにこのことだろう。


 とはいえ、知りませんでした、で済まないのが法である。

 これを引っ繰り返せば、王国が揺らぐ。


 跪いたチェスターが、ひれ伏す。


「エウリアス様! 私が代わりに償います! ですから、どうかヒューゴーと家族の生命いのちだけは! どうか!」


 チェスターはひれ伏し、エウリアスにヒューゴーと家族の助命を請う。

 それを見て、ワッティンソン子爵が息をついた。


「先程も言ったが、チェスターは私の片腕でね。…………彼を失うわけにはいかないんだ。」


 領地には、チェスターの家族がいるそうだ。

 妻と、ヒューゴーの妹にあたる女の子も。

 ワッティンソン子爵の話に、向かいに座ったミーラワード公爵が、エウリアスを真っ直ぐに見る。


 つまり、ここまでの流れはこうだろう。

 学院長であるミーラワード公爵に、学院での騒動の報告が届いた。

 当事者の詳細も、当然報告されただろう。

 問題の学院生ヒューゴーの出身地を見て、累の及ぶ家族のことをワッティンソン子爵に調べさせようとした。

 これも当然だ。

 ヒューゴーの出身地とは、ワッティンソン子爵領なのだから。

 すぐにヒューゴーの父がチェスターと気づいたかはともかく、最終的にはそう判明した。

 そうして、その刑罰にもすぐに思い至ったのだろう。


 しかし、チェスターを失うわけにはいかない。

 そう考えたワッティンソン子爵は、ミーラワード公爵に相談した。

 それが、今の状況というわけだ。


(チェスターは、自分の生命と引き換えにしても、ヒューゴーと家族を助けたい。だが、ワッティンソン子爵はチェスターを失うわけにはいかない。)


 それで、どうしろと?

 ここでエウリアスが、「水に流しましょう」と言ったところで、それでいいのか?

 ある意味、貴族社会に挑戦した逆賊ですけど?

 本人に、そのつもりがなかったにしても。


 ワッティンソン子爵は、エウリアスに真剣な目を向けた。


「すまないね。エウリアス君を困らせるつもりはないんだ。ただ、こちらも必死でね。」

「そうかもしれませんが…………しかし、私に言われても。」


 エウリアスが困った顔になると、ワッティンソン子爵が頷く。


「キミの考えは分かるつもりだ。このままというわけにはいかない。それは、キミが許す許さないに関わらずだ。……違うかい?」

「いえ、その通りです。」


 そう。

 この話は初めから、エウリアスの個人的な考えの外にある。

 エウリアスが許したところで、貴族社会が許さない。

 そのために、法で定められているのだから。


 ワッティンソン子爵が、重く頷いた。


「だから、少々ズルいやり方になってしまうが…………これを私の背負う罪としようと思う。」


 ワッティンソン子爵の提案に、エウリアスは驚く。

 思わずミーラワード公爵を見るが、驚いた様子はない。

 どうやら、ここまでがすでに決まっていたことのようだ。


(ワッティンソン子爵が罪を背負う。つまり、これをワッティンソン子爵の、という扱いにしようってことか。)


 平民が貴族に刃を向ける。

 普通なら、斬首以外にあり得ない。

 だが、例外が存在する。

 それは、貴族家に仕える者が行った場合だ。


 貴族家に仕える者の不始末は、その責のすべては貴族家当主が負うことになる。

 貴族家当主が罰を受け、その後本人を当主が罰すればいい。


 今回のことで言えば、貴族家同士の諍いという話に持って行こうということだ。

 こうすれば、ヒューゴーの罰はワッティンソン子爵の裁量に委ねることになる。


 ミーラワード公爵が、ワッティンソン子爵を見てから、エウリアスに視線を向ける。


「ここでワッティンソン子爵がエウリアス君に謝罪し、キミがこれを受け入れれば、後のことはワッティンソン子爵に任せることになる。そう、悪い提案ではないと思うが?」


 子爵家当主が、まだ嫡男でしかないエウリアスに頭を下げる。

 この意味は大きい。


 力関係で言えば、現役当主であるワッティンソン子爵の方が上だからだ。

 そこまでされれば、エウリアスが受け入れても周囲は納得するだろう。

 貴族社会のルールにも則っている。


 有能な家臣の息子とはいえ、まだ正式に仕えてもいない子供一人のために頭を下げる。

 ワッティンソン子爵は、相当に度量の大きい人物のようだ。


 これにより、今回の騒動の決着に道筋が見えた。


「…………お断りします。」

「え?」

「……何?」


 しかし、エウリアスはその申し出を断った。


 ワッティンソン子爵は、予想外の返答に呆気に取られる。

 ミーラワード公爵は、仲介した面子を潰され、その表情が固まった。


 凍りついた執務室の空気。

 それでもエウリアスは、姿勢を正し、はっきりと断言した。


「その申し出は、受け入れられません。」


 エウリアスの冷酷無比な言葉に、チェスターは絶望したように嗚咽を漏らし始めた。




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