第60話 騎士学院の秩序
騎士学院、座学の時間。
黒板には、大まかな地形と陣形の図が描かれていた。
ルクセンティアは担任教師のテオドルに指名され、立ち上がった。
川沿いに配置された部隊の、メリット・デメリットを説明する。
「――――のため、注意が必要です。ですが、右側の川が側面からの攻撃を消しています。仮に渡河しての奇襲があったとしても、川岸で迎撃する方が有利となります。」
「その通りです。ありがとう、ルクセンティア。」
ルクセンティアが座ると、次にトレーメルを指す。
「トレーメル殿下。こちらの森の横に配置された部隊の特徴はいかがでしょう。」
テオドルに指名され、トレーメルが立ち上がる。
「川と同様に回り込まれる心配がない。特に、騎馬での侵入は困難だ。ただし、川と違って伏兵に注意する必要がある。歩兵や弓兵なら、伏せておくには都合がいい。川では迎撃する側が有利だが、この場合は伏兵の方が有利になる。」
「はい、ありがとうございます。お座りください、トレーメル殿下。」
テオドルに促され、トレーメルが席に座る。
「このように、それぞれの地形で気をつけるべきポイントというのが異なる。当然ながら、指揮をする者は、いちいちこんなことまでは説明しない。自分がどこに配置されるかで、求められる役割を自分で理解しなさい。」
現在の授業内容では、敵味方ほぼ同数の場合で、配置された各部隊の利点や注意点を憶える。
圧倒的な数の差がある場合は、多少の損害があろうが数に物を言わせて蹴散らすことができるからだ。
これでは基本を憶えるも何もあったものではないので、敵味方ほぼ同数という条件下で考える。
テオドルの説明が続く。
「騎士学院でも、上の学年になると実際に演習場で陣取りを行う。地形を利用しつつ、守りを固める部隊。相手の目を引きつける部隊に、その間に回り込む部隊など、実際に山や川、森のある場所で行う。一年で習ったことなど忘れた、なんてことがないように各自でしっかり憶えなさい。……その時になって、いちいち周りに聞くことがないように。」
教室に乾いた笑いが起こり、みんな必死に黒板の内容を書き写した。
テオドルは、エウリアスを呼ぶ時はエウリアス様。
トレーメルを呼ぶ時は、トレーメル殿下だ。
そして、ルクセンティアを呼ぶ時は、ルクセンティアと呼び捨て。
この違いは、言うまでもなく身分が関係する。
エウリアスは、教師は学院生に対して普通に接するだろうと、入学する時に予想した。
だが、実際は違った。
ここにも身分差があった。
テオドルは男爵家の出身だが、次男だ。
兄が家督を継ぎ、テオドル自身は平民ということになる。
まあ、貴族家の縁者という大きい枠には入っているが。
そして、その視点で見ると、エウリアスやトレーメルは教師よりも目上ということになる。
トレーメルは王族だし、エウリアスは伯爵家の嫡男だからだ。
これでは指導もままならないのでは、と思ってしまうが、実はそうでもない。
そもそも、教師より目上の学院生など少ないし、そうした者は弁えている。
教師は教師、ときちんと敬って接するのだ。
中には、そうした礼儀のなっていない者もいるようだが、そうした場合にもきちんと対応される。
騎士学院を退学させてしまえばいい。
以前は、騎士学院を修了できなければ、家督を承継できなかった。
そのため、どれだけ尊大な者でも、退学だけは免れたいと態度を改めるしかなかった。
しかし、現在は家督承継の条件から、騎士学院の修了が外された。
これでは歯止めが利かないのではないか、と思ったがこれも問題ない。
そうした問題のある学院生には、きちんと学院長が対応するからだ。
騎士学院、学院長。
伝統により、そのポストは公爵家の当主が就くことになっている。
まあ、ただの名義貸しのようなもので、普段は現場の教員に丸投げだ。
だが、身分差によって言うことを聞かない学院生には、より高い身分で対抗する。
そうした学院生は学院長に呼び出されるのだが、これがマジでやばい。
何せ、現役の公爵家の当主である。
大臣や長官など、国家の要職に就いているのが普通だ。
そのため、呼び出される場所は公爵の都合に合わせられる。
つまり、軍務省や財務省などの本部。または、公爵の屋敷。
極めつけは、王城に呼び出されるのである。
どこに呼び出されるかは、公爵の都合次第。
エウリアスは、この話を聞いただけで背筋が凍る思いだった。
多忙を極める国家の重鎮が、公務の合間を縫って、こんな瑣事に煩わされる。
その影響は計り知れない。
家の序列に影響するのは当然として、「躾もロクにできない家」とのレッテルを貼られる。
出来の悪い嫡男のために、家と当主が笑われるのである。
この、貴族社会というシステムにより、著しく問題のある学院生というのは排除された。
授業が終わり、食堂へ行こうとエウリアスたちは教室を出た。
廊下を歩いていると、後ろから男の子の声が聞こえてきた。
「……ちょっと通してくれ。すまない、ちょっと通してくれないか。」
エウリアスは何気なく振り返り、声の方を見る。
そうして見ていると、食堂に向かう学院生たちを掻き分け、一人の男の子がこちらに向かって来ていた。
(…………?)
エウリアスが立ち止まると、気づいたトレーメルやルクセンティアも立ち止まる。
エウリアスと同じように、後ろを振り返った。
学院生たちを掻き分けてこちらに向かって来ていた男の子は、エウリアスたちの前に来ると立ち止まる。
男の子が学院生なのは制服で分かるが、見覚えはない。
シャツに刺繍がないので、見る限りはおそらく平民だろう。
身長は結構あり、エウリアスよりも高い。
やや剣呑な雰囲気を纏ったその少年に、護衛騎士たちが若干警戒する。
男の子はエウリアスを真っ直ぐに見ていた。
その目は、決して友好的なものではない。
タイストが前に出ようとするのを、エウリアスは手で抑えた。
「何か用かな?」
エウリアスは、努めて微笑む。
だが、男の子はエウリアスを指さした。
「エウリアス・ラグリフォート、キミに決闘を申し込む。」
「………………………………は?」
その瞬間、ざわっと声が上がった。
何事かと見ていた学院生たちが、驚き、騒ぎ出す。
「……決闘?」
「何考えてんだよ、あいつ。」
「相手はお貴族様だぞ……。」
エウリアスに抑えられていたタイストだが、剣に手をかけ前に出ようとする。
「待て待て待て、タイスト! ちょっと待て!」
「いえ、待てません。後の処分は如何様にでも。この無礼者を許しては、ラグリフォート家が笑われてしまいます。」
剣を僅かに抜き、剣身を見せてしまったタイストを、エウリアスは必死に止めた。
「「「キャーーーーーッ!」」」
タイストが剣を抜こうとしていることに気づき、野次馬から悲鳴が上がる。
(どうすんだよ、これ! 大問題だぞっ……!)
こういうことがあるから、伯爵家以下は護衛騎士も帯剣も禁止にされていたのだ。
タイストは、貴族を貴族と思わぬ無礼な男の子を、斬り捨てる気だった。
エウリアスはタイストを押し留めながら、男の子の説得を試みる。
エウリアスのもう一人の護衛騎士も、トレーメルの護衛騎士が説得してくれていた。
「何を考えているのか知らないが、今のは聞かなかったことにしてやる! 早く行け!」
だが、エウリアスの説得など聞く気はないのか、男の子が再び口を開いた。
「決闘を受けろ、卑怯者のラグリフォート!」
それを聞いていたトレーメルが、肩を怒らせ前に出る。
「貴様っ……、我が友を卑怯者呼ばわりか! いいだろう、この場で斬り捨ててくれる!」
トレーメルが剣に手をかける。
その横には、ルクセンティアも並んだ。
「そちらの護衛騎士の言う通りです。いかにユーリ様が寛大でも、これを許しては貴族家の名折れ。」
二人まで剣に手をかけたため、護衛騎士が必死に押し留めた。
「で、殿下っ! お待ちください!」
「ルクセンティア様! 堪えてください!」
「ええいっ! 放せっ! 友を侮辱されて黙っていられるか!」
「ユーリ様を侮辱する者など、剣の錆にして――――!」
もはや、廊下は阿鼻叫喚の大騒ぎだった。
男の子はエウリアスを指さし、吠える。
「殿下の後ろに隠れて逃げる気か、卑怯者! 決闘を受けろ!」
「まだ言うか、貴様っ!」
「命令です! あの者を斬りなさい!」
トレーメルとルクセンティアが声を上げたところで、担任のテオドルが野次馬を掻き分けてやって来た。
テオドルは、男の子の後ろから首に腕を回し、ガッチリと取り押さえる。
「先生!? な、何を!」
「…………この馬鹿者が……っ! 決闘だと?」
テオドルが苦し気に顔を歪め、エウリアスを見た。
「エウリアス様、ご事情はまた後程。」
「た、頼む! 早くそいつを連れて行ってくれ!」
エウリアスが男の子を連れて行くように言うと、トレーメルがテオドルに命じる。
「テオドル! そいつを斬れ!」
テオドルは、一瞬だけ困ったようにトレーメルに視線を向けるが、一礼するだけで下がった。
原因がいなくなったことで、騒ぎは収束の兆しを見せる。
かなり時間はかかりそうだが……。
(一体、何なんだ!? というか、この騒ぎどうするんだよ……。)
すっかり頭に血が上ってしまったトレーメルとルクセンティアを、どうやって宥めればいいのか。
頭を抱え、蹲りそうになるのを堪えるエウリアスなのだった。
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