第59話 剣は振るだけでも大変なんです




 ある日、エウリアスが騎士学院から戻ると、ホーズワース公爵からの遣いという人が来ていた。

 ホーズワース公爵からの手紙……というか報告書を届けにきた使用人と、応接室で面会する。

 エウリアスは、受け取った報告書をその場で読んだ。


(…………あの漆黒の百足については、ほとんど分からず、か。)


 大昔、魔法のようなもので、魔物というか化け物を使役する方法があったことは確かなようだ。

 ただ、そういうことをする者もいた、程度の情報しか残っていないらしい。

 使役方法や対処法などについて、現在王城の書庫などに残されていないか、調べを進めているという。


 また、聖文字リトラ・シュトスの描かれた石は、エウリアスの屋敷とホーズワース公爵の屋敷の両方で見つかっている。

 ややピンク色っぽいその石にも、別邸で見つかったリトラ・シュトスと同じものが描かれているが、こちらも特に情報はない。

 エウリアスが思ったように、知恵の女神ティサ・へラーフスのリトラ・シュトスに似ている、というのが専門家の見解として書かれていた。


 そして実行犯の女だが、身元がいまいちはっきりしていない。

 どうやら貧民窟スラムに住んでいた、行方不明の女に似ているらしい、という証言が得られただけだ。

 女の風貌は、本人が掻きむしったために元の顔さえ分からない。

 そのため、衣服なども含めた総合的な特徴で判断するしかないのだが、ぶっちゃけボロを着た者などスラムにはいくらでもいる。

 それでも「もしかしてこの人物か?」と当たりをつけられたのは、襲撃のあった日にスラムで事故があったからだ。


 事故――――火災だ。

 女の住んでいたと思われる小屋から、明け方に火が上がった。

 周囲の小屋にも飛び火したその火災によって、六戸が焼けたらしい。

 死者三名、負傷者十一名を出したその火災で、火元と思われる小屋の住人が行方不明。

 この行方不明の住人が、この女ではないかと書かれていた。


 エウリアスは報告書から視線を上げ、公爵からの遣いに笑顔で礼を伝える。


「わざわざ有難うございました。ホーズワース公爵によろしくお伝えください。」

「かしこまりました。」


 恭しく一礼し、その遣いは帰って行った。







「坊ちゃん、何か分かりましたか?」


 応接室から自室に戻る途中で、タイストが尋ねる。

 だが、エウリアスは首を振った。


「ほぼ、ゼロ回答だ。あの女がスラムの住人っぽいことは分かったが、それも確証はないしな。」


 あの百足や、女自身の人間離れした力の理由に繋がるようなことは、何も分からなかった。


「今、王城に何か記録が残っていないか調べてくれているらしいから、大人しく待つとしよう。」

「王城ですか……。さすがは、ホーズワース公と言ったところですね。」


 エウリアスが自分で調べようとしても、王城の書庫など絶対に手が出せない。

 そこを易々と調査できるのだから、それだけでもホーズワース公爵に任せた意味があるというものだ。


 ちなみに、魔法などについて、エウリアスはクロエにも聞いてみた。

 しかし、返答は「知らん」の一言だった。

 人間の使う力について、とくに興味なしという感じだ。

 エウリアスからすればクロエの使う『歪みの力』も魔法のような物だが、クロエからすれば特別な力でも何でもない。


 そこにあるから、使う。

 ペンで文字を書いたり、コップで水を飲んだり。

 ある物を利用するという点で、これらと何が違う、という意見だった。

 この例は、ちょっと極端じゃないですかね?


 エウリアスが自室前に着いたところで、ステインが追いかけてきた。


「エウリアス坊ちゃま、少々よろしいでしょうか?」


 エウリアスは部屋に入ると、ステインを招き入れる。

 ソファーに座ると、報告を促した。


「どうした?」

「その……、今月の予算なのですが。」

「予算? 何の?」

「エウリアス坊ちゃまの、でございます。」


 俺の予算?

 エウリアスは首を傾げる。


 どうやら、エウリアスが騎士学院に通っている間の予算というのが、管理口座に毎月振り込まれているらしい。

 エウリアスの予算、という言い方をすると分かりにくいが、要は屋敷の維持管理費、使用人や騎士の給金、食費から何からすべてをひっくるめた予算だ。


「それが、どうかしたのか?」

「はい。いつもの金額よりも、少々増えておりまして。」

「増えてる? 何で?」

「それを、旦那様から何か聞いていないかと。」


 なるほど。

 しかし、エウリアスにもまったく心当たりがない。


「うーん……聞いてないなあ。」

「そうでございますか……。」


 ステインは、少し困り顔で頷く。


「そのうち、何か言ってくるんじゃない?」

「そうでございますね。では、増えた分には手をつけず、残しておこうと思います。」

「うん、それがいいと思うよ。」


 とりあえずの方針が決まり、ステインの表情も幾分か晴れる。


「……ちなみに、いくらぐらい増えてたの?」

「二千万リケルでございます。」

「に、せっ……!?」


 それ、少々って言うのか!?

 あまりの金額の多さに、エウリアスは絶句する。


(……そもそもの、俺の一カ月の予算って幾らなの?)


 詳しく聞くのが、ちょっと怖くなるエウリアスだった。







■■■■■■







 翌日の騎士学院、剣術の時間。

 グラウンドには、其処彼処そこかしこから剣戟の音が響く。

 エウリアスは、愛用の長剣ロングソードに合わせた模造剣の使用を許され、少しだけやりやすくなっていた。


 イレーネと組むようになって、すでに一カ月以上が経過している。

 イレーネの剣は、まだまだ危なっかしい。

 筋力が足りず、剣の重さに振り回されてしまっているのだ。


 そのため、エウリアスはイレーネにアドバイスを行った。

 本気で騎士を目指すなら、もっと筋力をつけるべきだ、と。


 コルティス商会を営むイレーネの父メンデルトは、イレーネが騎士を目指すことを許した。

 詳細は不明だが、ゲーアノルトが資金提供することで、商会を立て直す目途が立ったため、無理に婚約を進めることをしなくなったのだ。

 しかし、肝心の本人が、騎士に向いているとは言い難い。


 お嬢様として育てられたため、著しく体力がないのだ。

 そこで、少々厳しい現実ではあるが、イレーネのために直近の目標を二つアドバイスした。


 その一つ目が、体力をつけること。

 エウリアスも、授業だけでは身体が鈍ってしまうため、毎朝剣の訓練をしている。

 イレーネも自分から取り組まないと、いつまでも大変なままだよ、と。


 二つ目が、食べること。

 身体を作るのに、運動だけでは思うようには作れない。

 しっかり食べ、しっかり鍛える。

 地道だが、これ以外に方法はないのだ。


 幸いイレーネは、教育を幼い頃から受けていたようなので、座学の心配がほぼない。

 戦術や戦略など、一部の授業はさすがに習っていないが、もっとも面倒な王国史や礼儀作法はすでに教わっていた。

 ならば、とりあえず座学のことは二の次にし、とにかく身体を鍛えることに集中するべきだと伝えた。


 そうして、今はイレーネも早起きして、走り込みや素振りを行っているらしい。

 まだ一カ月ほどなので、それほど効果が出ているわけではないが、これは仕方がない。

 未来の変化を信じ、今はひたすら頑張るしかなかった。







 ガキンッ!


 イレーネの振った剣をエウリアスが受け、甲高い音が響く。

 しかし、剣に伝わる強い振動に、イレーネは手を放してしまう。


 ガシャッと、剣が地面に落ちた。


「あっ、す、すみません!? エウリアス様!」


 イレーネが頭を下げるが、エウリアスは首を振る。


「こっちは大丈夫だよ。イレーネは怪我してない?」

「は、はいっ。」


 イレーネは返事をしながら、慌てて剣を拾った。


 今やっているのは、全力で剣を振る練習だ。

 とは言っても、実際はその手前の八割程度での練習だが。


 騎士を目指す以上、全力で剣を振るなんてのは当たり前のことだ。

 だが、実はこれが意外とハードルが高い。


 しっかりと身体のできた者が、正しい姿勢で振らないと身体を痛める。

 互いに剣をぶつけ合った時の衝撃など、相当な負担がかかるからだ。

 特に手首、肘、肩が、その強い衝撃に耐えられない。


 騎士である以上、何度も何度も全力で剣を振れなければ話にならないが、それができるようになるためにも時間がかかる。

 イレーネは、現在全力よりは力を抑えている。

 そして、エウリアスも押し負けない程度で受けるに留めていた。

 それでも、その衝撃に握力が耐えられないのだ。

 イレーネは、たびたび剣を落としてしまっていた。


「イレーネ、手を見せて。」


 エウリアスがそう言うと、イレーネはおずおずと手のひらを差し出した。

 イレーネの手は、ぷるぷると震えてしまっている。


「今日はもう、この練習は止めておいた方がいいかな。残りの時間は素振りをしようか。」

「…………すみません、エウリアス様。」


 しょんぼりするイレーネに、エウリアスは微笑む。


「そんなに謝らないで。誰だって、慣れるまではそうなんだから。俺だって最初はそうだったよ?」

「エウリアス様でも、そうなのですか?」


 エウリアスは頷いた。


「俺は無茶して、しばらく腕が上がらなくなったよ……。騎士は身体が一番だからね。身体ができるまでは、無理をしない方がいい。下手に痛めると、一生引きずることになるから。」


 そうして、長剣を鞘に収める。


「まずは、身体を作ること。鍛えて鍛えて、鍛えまくる。身体さえできてしまえば、後からいくらでも追いつけるからさ。」


 エウリアスは、イレーネに中段の構えを取らせ、素振りをさせた。

 変な癖がつかないように、姿勢を修正させながら。


「そうそう。いい感じだよ。背筋を伸ばして、腕だけで振らないように、常に意識してね。」

「は、はいっ。」


 エウリアスは、授業が終わるまでイレーネの素振りを見てあげた。







 そんなエウリアスとイレーネを、校舎から見下ろす目があった。

 その目が、怒りに染まる。


「…………もはや、我慢できんっ……。」


 男の子は、そう呟くのだった。




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