第55話 誰にでも、学院が面倒な日はある




 ホーズワース公爵の屋敷からの帰り道。

 行きとは違い、エウリアスたちはあまり急がず、馬を進めた。

 陽が昇り、通りに人や馬車が頻繁に行き交うようになったためだ。


「……では、後のことはホーズワース公にお任せすることになったのですね。」


 エウリアスは、ホーズワース公爵との話し合いの内容を、掻い摘んでタイストに伝えた。


「うん。俺が調べるには、どうしても限界があるし。」

「そうですね……。もしも一連の事件ことが繋がっているとしたら、相当に厄介な事態になりそうですしね。巻き込んでおいた方が得策でしょう。」


 仮に、事態がさらに大きく、ややこしいことになった場合、エウリアスでは対処できない可能性が高い。

 しかし、予めホーズワース公爵もしておけば、丸投げできるかもしれない。

 ホーズワース公爵とエウリアスの望む決着に差異がある場合、エウリアスの望みからはズレてしまう可能性もあるが。

 これは仕方のないことだろう。







 一時間ほどをかけて郊外の屋敷に戻ると、使用人たちが総出で出迎えてくれた。

 全員が、満面の笑顔を浮かべている。

 モップを後ろ手に持っている使用人もいるところを見ると、エウリアスが戻ったことを聞き、掃除中に慌てて駆けつけてくれたようだ。


 エウリアスの馬がエントランス前に着くと、ステインが前に進み出た。


「エウリアス坊ちゃま。ご無事で何よりでございます。」

「心配かけた。屋敷は、その後はどうだ?」

「問題ございません。特には何も起きませんでした。」

「そうか。」


 エウリアスは馬を下りると、その馬の首を撫でてやる。


「ありがとうな。いっぱい食べて、よく休んでくれ。」


 エウリアスに撫でられた馬が、ブルルル……と身体を震わせた。


 そうして使用人たちに視線を向けて、軽く違和感を覚える。

 よく見ると、全員がニコニコと笑顔ではあるのだが、手を後ろに隠しているのだ。

 それはもう、明らかに、不自然に。


 屋敷に残した騎士たちを見ると、引き攣った笑顔を浮かべている。

 というか、えらく疲れてる?


「……?」


 エウリアスは何気なく、ステインの背中を見ようとする。

 だが、ひょいと機敏な動きで、ステインが躱す。

 まるで、エウリアスに背中を見せないようにしている感じだ。


「……………………。」


 エウリアスが、じとっとした目でステインを見るが、ステインは曇りのない笑顔。

 使用人の方を見ると、やはり使用人たちもニコニコしている。


「…………何か、隠してない?」

「何のことでございましょう?」


 笑顔のままステインが答える。

 そんなステインの背後に近づいたタイストが、隠していたハンマーを取り上げた。

 エウリアスからは見えないが、タイストからは丸見えだった。


「な、何を!?」

「何をじゃない、何をじゃ。たく……どうせ、坊ちゃんの加勢にとか、そんなことを企ててたんだろう?」


 タイストが屋敷に残した騎士に視線を向けると、苦笑しながら頷いた。


 どうやら、屋敷を飛び出したエウリアスを追って、使用人たちは加勢に行こうとしていたらしい。

 どこに向かったかも分からないのに。

 屋敷に残した騎士たちは、それを必死に止めていたのだという。


 その話を聞き、エウリアスはがっくりと項垂れる。

 なんか、疲れがどっと来たわ。


(うちの使用人って、こんなに武闘派だったっけ? というか、俺が知らなかっただけで、これが普通なのか?)


 エウリアスは、はぁー……と溜息をつき、使用人たちに視線を向ける。


「出せ。」


 短く、それだけ言うと、使用人たちが顔を見合わせながら、背中に隠していた物を見せる。

 包丁、カトラリーのナイフ、フォークあたりは、まあ武器にはなるか。

 ハタキやらフライパンを手にしている使用人もいる。

 恥ずかしそうにモップを出す使用人もいるが、お前それ隠せてなかったからな!


「あー……、もういいや。今日は疲れた。」


 エウリアスがそう言うと、使用人たちがあからさまにホッとした顔になる。


「汗を流して、学院に行く。ゆっくり食事を摂る時間もなさそうだし、馬車の中で食べられるように、サンドイッチでも作ってくれ。」

「かしこまりました。」


 ステインが目配せすると、料理人や厨房女中キッチンメイドが急いで戻っていった。

 エウリアスは浴室に向かいながら、タイストやステインにいくつかの指示を出す。


「前に、別邸で拾った石があるだろう? あれに似た紋様の描かれた石が、百足の出た辺りに落ちている可能性が高い。探して拾っておいてくれ。」

「分かりました。」

「それと、総員起こしで今日は負担が大きい。仕事の調整を。騎士だけじゃなく、使用人たちもだ。」

「はい。」

「かしこまりました。」

「キッチン周りの使用人には負担が増えてしまうが、今夜か明日の食事を豪華な物に。騎士や使用人たちに、いい酒も振る舞う。」

「かしこまりました。」

「料理人とキッチンメイドには、代わりの報酬を考えてくれ。」

「かしこまりました。」


 エウリアスは、財布カードウォレットからその費用を出すように言って、脱衣所に入った。


「ふぅ……。」


 そうして一人になり、一つ息をつく。

 眠気と疲労に、弱音を吐いてしまいそうになる。

 だが、使用人たちの前では、あまり気を抜くわけにはいかなかった。


 エウリアスにとって、人払いをした自室と浴室だけが、本当に一人になれる時間だ。

 まあ、今は一人とは言えないかもしれないが。


「其方、わらわとの約束を忘れてはおらんの?」


 使用人たちに酒と食事を振る舞うように指示したエウリアスに、クロエが早速催促してきた。

 エウリアスは上着を脱ぎながら、苦笑する。


「酒瓶三本。」

「ほっほっほっ……忘れていないようで何よりじゃ。危うく反故にされるところだったからのぉ。」


 エウリアスの言った冗談を、根に持っているらしい。

 エウリアスは馬鹿みたいに広い浴室に入ると、お湯に浸かった。


「ぁふうーーー……っ。」


 気の抜けた声を漏らし、足を伸ばす。


「これから学院か…………面倒だなぁ。」

「面倒なら、休めばいいのではないかえ?」

「まあ、休んでもいいとは思うけどね。」


 正直言えば、騎士学院の座学の内容など、すでに家庭教師から教わっているのだ。

 これはエウリアスだけでなく、トレーメルやルクセンティアも同じ。

 入学して二カ月ほどの授業内容など、貴族家の縁者なら、ほとんどが教わっていると思う。

 憶えているかは別として。


「でも、行かないと心配かけそうだし。」


 別れ際のルクセンティアの表情を思い出す。

 ホーズワース公爵がルクセンティアにどこまで伝えるか分からないが、きっと学院を休んだら心配するだろう。


「くぅぅぁぁああ……っ!」


 エウリアスはぐぐっと全身を伸ばした。

 そうしてバシャバシャと顔を洗い、立ち上がる。


「よし、行くか。」

「律儀なことよのぉ。」


 クロエのその声には答えず、エウリアスは脱衣所に向かうのだった。




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