第48話 みすぼらしい女




 やっとの思いで漆黒の百足を倒し、エウリアスがそっと息をつく。

 だが、すぐに悔し気に顔を歪ませた。


「…………さすがに、手間取り過ぎたか。」


 百足を倒せたのは喜ぶべきことだが、エウリアスは素直に喜べなかった。


 エウリアスの屋敷に、百足これを放った者がいる。

 しかし、追跡するには少々時間をかけ過ぎた。

 とっくに犯人は逃げ果せたことだろう。


 その時、落胆しているエウリアスの耳元に、クロエの囁きが聞こえた。


「エウ、良い話と悪い話があるんじゃがの。どちらから聞きたい?」

「……何だよ、突然。どっちでもいい。話してくれ。」


 エウリアスがそう呟くと、クロエが溜息をついた。


「何じゃ、つまらん。まあ……どちらも同じ話なのじゃが。」

「何だそりゃ。いいから言えよ。」


 エウリアスは長剣を払い、鞘に収める。

 エウリアスが催促すると、クロエの口調が場にそぐわない気楽なものになった。


「どういうわけか…………これを仕掛けた者は、もう一つ同じ物を持っておるようじゃ。」

「……………………なんだと?」


 クロエの言葉の意味を悟り、エウリアスの声が低いものになる。


「これまでのような、弱い力ではないのでな。特徴を掴めたおかげで、まだ追えておる。…………どうする?」


 クロエの問いかけに、エウリアスが口を端を上げた。


 つまり、悪い話とは、まだあの百足と同じような物がいるということ。

 そして良い話とは、犯人の行方が掴めているということだ。

 確かにこれは、良い話と悪い話が同じだった。


「でかしたぞ、クロエ。どっちだ?」

「王都の中心の方に向かっておるの。なかなかに速い。おそらく、相手は馬に乗っているようじゃな。」


 それを聞き、エウリアスは厩舎の方に駆け出した。

 突然走り出したエウリアスに、騎士たちが戸惑う。


「え? エウリアス様!?」

「坊ちゃん!? どちらへ!?」

「犯人を追う! 半分は俺について来い!」


 屋敷の警備を無くすわけにはいかないため、エウリアスは半分を残すことにした。

 厩舎に着くと、タイストが追跡班と屋敷の警備に騎士を分けた。


 そうして指示をしながら、タイストはピンクのパジャマを着替える。

 不寝番だった騎士の衣服や軽鎧を借り、戦う準備を整えた。

 他にも着の身着のままだった者で、追跡隊に選ばれた者は同様に装備を整える。


「ごめんな、こんな時間に。でも、お前の足が必要なんだ。」


 ブルルルン……!


 エウリアスが首を撫でると、馬は身体を震わせた。

 騎士たちが鞍を付けたりと、次々に馬の準備をする。

 エウリアスは準備が整ったのを見て、馬に飛び乗った。


「行くぞっ!」

「「「はっ!」」」


 エウリアスが馬の走らせると、追跡班の騎士たちもすぐに続いた。

 エウリアスは先頭を走り、騎士たちを先導する。


「どうだ、クロエ。まだ追えているか?」

「何とかの…………しかし、距離が離れ過ぎておる。急いでくれ。」

「分かってる。頼むぞ、お前だけが頼りだ。」


 エウリアスは松明を掲げながら器用に馬を操り、王都の中心を目指した。

 エウリアスを含む、十三騎の騎馬が王都をひた走る。


「いいぞ。こちらの方が速いようじゃ。距離が縮まっておるぞ。」

「よし。」


 距離が縮まり、クロエも追跡がしやすくなったようだ。


「どこかで、一旦右に入った方がいいの。進行方向は同じでも、少しズレているようじゃ。」

「分かった。」


 エウリアスは大きな道を選び、右に曲がった。

 そうしてその道を進み、再び大きな道にぶつかると左に進路を取る。


「どうだ?」

「うむ。おそらく、相手もこの道を進んでおるの。正面じゃ。」


 このまま、クロエからの指示があるまでは直進する。

 そう考え、エウリアスは馬を走らせることに集中した。


 焦燥感を抱きながら、エウリアスはひたすら馬を走らせる。


「大分近づいてきたの。昼間なら、目でも見える距離じゃ。」


 エウリアスは前方を睨むように見るが、さすがに松明の灯りも届かない。

 だが、百メートルほど先にある店の灯りを、何かが通り過ぎたのが見えた。

 深夜でもやっている酒場などはあり、その灯りを通り過ぎたのだ。


 そうして前方を凝視していると、また同じように通り過ぎるものがあった。

 距離は縮まり、おそらく七十~八十メートル先、といったところか。


(何だ……?)


 何となくの、嫌な予感を覚える。

 エウリアスは、その灯りを遮るものを凝視した。


 それは、人だった。

 馬ほどではないが、凄まじい速さで走る人が、店の灯りを時折遮っているのだ。


「………………嘘だろ。」


 暗く、また距離もあるためはっきりとは分からないが、間違いなくそれは走っているようだった。

 更に距離は縮まり、五十メートルほどになる。


「もしかして…………ていうか、?」


 エウリアスの曖昧な問いかけを、それでもクロエは肯定した。


「うむ。あれじゃの。……だが、ちと予想外じゃった。」

「…………何がだ?」

「其方の屋敷に放った物を、もう一つ持っておる。これは間違いない。」

「ああ。」

「それとは別に、もう一つ何やら持っておるの。こちらは、いまいちはっきりせんのじゃが……。」


 クロエの話に、エウリアスは片眉を上げる。


「もしかして…………他にもまだ、怪しげな物を持ってる?」

「そういうことじゃ。」


 それを聞き、はぁあ……、とエウリアスは大きく溜息をつく。

 だが、たとえそうでも、やることに変わりはない。


 いよいよ高級住宅街に入り、その先に貴族たちの屋敷の並ぶ区画がある。

 どうやらあの人影は、どこかの貴族家の屋敷に向かっているようだ。


(まあ、それは当たり前か。)


 これまでも、貴族家の屋敷に狙いを定めている。

 実際にターゲットになる人には、いまいち共通項を見つけられないが。

 今日、エウリアスが狙われたことで、余計に分からなくなった。


 人影との距離はさらに縮まり、三十メートルほどだ。


「あれが犯人だ! 斬り捨てて良し!」


 エウリアスにそのような権限はないが、貴族家を襲った者だ。

 従う騎士たちに「斬り捨てる許可」を出すことで、万が一にも何か責任が発生すれば、エウリアスが負うことを明言する。


 そうして、ついにその人影が立ち止まる。

 一際大きな屋敷に、何かを投げ入れるのが見えた。


「くそっ、やりやがった!」


 そこは、三メートルはありそうな高い壁に囲まれた屋敷だった。

 おそらく、相当に高い爵位を持つ貴族家だろう。


 エウリアスたちは、馬で犯人を取り囲んだ。


「二人行け! 異常を中に知らせて来い!」

「はっ!」


 エウリアスは、この屋敷の家人に知らせるよう、騎士にめいじた。


 また漆黒の百足が出てくれば、普通に斬っても倒せはしない。

 それでも、斬りまくれば時間だけは稼げる。

 まずは犯人を押さえ、百足退治は後に回す。


「他にも怪しげな物を持っている可能性がある。油断するなよ。」

「「「はっ!」」」


 エウリアスは騎士たちに注意を促し、馬を下りた。

 全員で犯人に剣を向け、じりじりと距離を詰める。

 犯人の姿をはっきりと捉えられるようになり、エウリアスは内心で驚きを感じていた。


 犯人は女だった。

 みすぼらしい女。

 ぼさぼさの髪で、立ち姿は二十代にも五十代にも見える。

 えらく老け込んでいるのか、それとも相応に年を重ねているのか、見ただけでは分からなかった。


 女は俯き、がりがりと首の辺りを掻いている。

 女の顔や首には、小さな瘡蓋かさぶたが無数にあった。

 胸元を掻き、次いで脇腹を掻く。

 服の内側に手を入れたため、エウリアスたちは何か取り出すのではないか、と警戒した。

 しかし、ただ掻くだけで、再び首の辺りを掻き始める。


「何者だ? これまで貴族家の屋敷に怪しげなものを仕向けていたのも、お前だな?」


 エウリアスが問いかけても、女は答えない。

 ただ、身体中を掻くだけ。


「…………ぃ……。」


 女が、何事かを呟く。

 いや、これまで気づかなかっただけで、女はずっと呟いていたのだ。


「……痒いんだよ……まったく、嫌んなるねぇ……痒くって痒くって……。」


 がりがりと、頬を掻く。

 強く掻き過ぎたためか、瘡蓋が取れ、所どころ出血しているようだった。


「…………何なんだ、こいつは……?」


 騎士の一人が呟く。

 この状況にあっても、女は俯いている。

 一度も、取り囲むエウリアスや騎士たちを見ていないのだ。


「あぁー……痒い、痒い痒い……痒いんだよ、本当にっ……!」


 がりがりと爪を立てる。

 すでに、頬は血だらけになっていた。


「痒い痒い痒い、ああーっ痒い痒い痒い痒いかゆい、かゆいぃぃいいいいっ……!」


 掻きむしった首の皮膚が裂け、だらだらと血が流れる。

 その、異様な光景に、エウリアスたちは絶句した。


「斬れえっっっ!!!」


 その時、タイストが大声で命じた。

 タイストの鋭い声は、女の異様さに飲まれていた騎士たちを、正気に引き戻す。


「う……うおおぉぉおっ!」

「くたばれええっ!」


 不気味な女に、二人の騎士が斬りかかる。

 弾かれるように、女の顔がガバッと正面を向いた。


「かぁあゆいいぃぃぃぃいいいいいいいぃぃいいいいいっっっ!!!」


 耳をつんざくように叫ぶ女の目は、爛々と輝くようだった。




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