第46話 漆黒の百足




 キューパー子爵が亡くなった日の深夜。


「あだだだだ……っ!?」


 エウリアスは、ベッドでエビ反りになって目覚めた。

 背骨が軋むほどに反り返り、痛みによって目が覚めたのだ。


「ようやく起きたか、エウ。」

「クロエ!? お前の仕業か!?」


 エビ反りにしていた力が解かれ、エウリアスは大きく溜息をついた。

 歪む力って、こんなこともできるのか?


「何時だと思ってる!? 悪ふざけも――――!」

「問答している暇はないぞ。。」


 クロエの真剣な声に、エウリアスの意識が瞬時に切り替わる。

 だが、目が覚めたばかりで上手く頭が働かない。


「……どこだ?」

「ここに決まっておろう。おそらく、敷地内に投げ込まれたのじゃ。」


 クロエの返答に、エウリアスが目を見開く。

 エウリアスは慌ててベッドから飛び降りると、脇に立て掛けていた長剣ロングソードをひっ掴み、クローゼットへ向かった。

 急いで寝巻から、衣服を着替える。


「悠長に着替えなんぞしている場合ではないぞ?」

「敷地に投げ込まれたのだろう?」


 おそらく、敷地に投げ込まれたというのは、あの聖文字リトラ・シュトスの描かれた石。

 では、その投げ込んだ者は誰だ?


(…………犯人に決まっている!)


 犯人か、少なくとも犯人に繋がる者だ。

 急いで取り押さえたいが、街中を追いかけ回すことになるかもしれない。

 それに、寝巻のままでは動きにくかった。


 エウリアスは急いで私服に着替えると、部屋を飛び出した。


「エ、エウリアス様!?」

「坊ちゃま!?」


 エウリアスの部屋の前で不寝番をしていた、護衛騎士と女中メイドが慌てる。


「総員起こし! 敷地内に侵入者だ!」


 エウリアスが走りながら伝えると、護衛騎士が「総員起こしぃ!」と何度も声を上げながらついて来る。

 その声に気づいた夜間警備の担当が、外でラッパを鳴らす。

 総員起こしを知らせるラッパだ。


「何事だ!?」

「どうした! 何があった!?」


 待機していた騎士たちも待機部屋を飛び出し、屋敷内は突然の事態に騒然となった。

 ほとんどの者が、何が起きたのか理解できない。


「エウリアス様!? どちらに行かれるのですか!」

「エウリアス様はこっちだ!」


 それでも、偶然にもエウリアスの姿を見かけた者は、声をかけ合ってエウリアスを追いかけた。


「クロエ、どっちだっ。」

「左じゃ。」


 屋敷のエントランスを出て、クロエの誘導に従ってエウリアスは走る。

 そんなエウリアスを追いかけ、騎士たちも走った。

 エウリアスを先頭に、三人がすぐ後ろで追いかけ、その後ろにもパラパラと追いかける騎士が続く。


 真っ暗な、広い敷地をひたすら走る。

 松明を持った騎士が追いつき、僅かな灯りが辺りを照らす。


「エウリアス様、危険です! お戻りください!」

「いいから不審者を探せ!」


 そこに、タイストもやって来る。

 タイストは、ピンクのパジャマのままで、ソードだけ持ってきたような出で立ちだった。


「坊ちゃん、一体どうしたのですか!」

「例の不審死に関わる者が、こっちに何かしたんだ。」

「…………どういうことです?」


 なぜ、そんなことが分かるのか。

 そう訝しむが、タイストはそれ以上は聞かず、周囲を警戒した。


 敷地を囲む柵まで、あと五十メートルほどの所で、クロエが声をかけてきた。


「エウ、止まれ。」

「どうした。」


 クロエは、タイストや他の騎士たちには聞こえないように、小声で話しかけてくる。

 おかげで、少々聞き取りづらかった。


「正面、二十メートルほどの所に、――――。」


 クロエがはっきりと断言したことで、エウリアスがごくりと喉を鳴らした。

 何人もの使用人を、そしてキューパー子爵を不審死させた原因が、もう目の前にある。

 エウリアスは松明を騎士から一つもらい、慎重に近づいた。


 エウリアスが一歩、また一歩と進むと、クロエがおおよその距離を教える。

 そうして、それらしき石を見つけた。

 残り、五メートルほどの距離で、その石を凝視する。


「坊ちゃん? 一体、何が?」

「目の前の石。あれに、何か仕掛けられている可能性がある。」


 エウリアスが指さすと、タイストが真剣な表情でその石を見た。


 その時、パキッという音が聞こえた。

 それは、本当に微かな音だった。

 だが、確かにそれは聞こえたのだ。

 ――――目の前の石が、割れる音が。


「こいつは、少々まずいのぉ、エウ。」


 クロエが、耳元で囁くように警告を発する。


。」


 別物?

 クロエの言っている意味が分からず、エウリアスは眉を寄せる。


「不揃いの……でたらめな力なんかではない。こいつは、。」


 クロエの言葉に反応するように、石から黒いもやのようなものが噴き出す。


「なっ!?」

「坊ちゃん、下がって!」

「エウリアス様、お下がりください!」

「ユーリ様をお護りしろ!」


 噴き出した黒い靄に、騎士たちの警戒心が一気に跳ね上がる。

 その靄は、巨大な球状に広がった。

 あっという間に見上げるような大きさにまで膨れ上がり、騎士たちが慌ててエウリアスを後ろに下げた。


「何なんだ、こいつは!?」

「エウリアス様を避難させろ!」


 騎士たちが口々に驚きの声を上げ、剣を抜いて靄に向ける。

 が、その靄が急速に縮んだ。

 そして、ただの球状だったものが、徐々に形を成していく。


「こいつは……一体……っ。」


 みるみる形を作る靄に、エウリアスは後ろに退げようとする騎士を振り払って凝視する。


「魔物……?」

「……百足むかでか?」


 それは、巨大な百足のようだった。

 全長で三メートルはありそうな、巨大な百足。

 一切の光を反射しない、漆黒の百足だった。


「これが…………不審死の、正体?」

「いや、おそらくそうではあるまい。」


 エウリアスの呟きに、クロエが答える。


「以前に残されていた残滓とは、まったく別物じゃ。どうやら、仕掛けた者は上達しておるようじゃの。」

「上達、だと……?」


 クロエの言い方が癪に障り、エウリアスは顔をしかめる。

 こんな、得体の知れない物を送りつけるのを、上達した?


「ふざけやがって……っ!」


 エウリアスは松明を騎士に渡すと、長剣ロングソードを抜き、漆黒の百足に向けた。


漆黒の百足こいつは不審死の犯人が送りつけてきたものだ! どうやら次は、この屋敷の者を狙ってきたらしい!」


 エウリアスが高らかに宣言すると、騎士たちの表情がガラリと変わった。

 これまでは驚きが一番であったが、使用人の不審死に繋がると言われ、動揺が一気に治まった。


「思い出せ! あの苦悶に満ちた表情を! どれほどの恐怖を感じながら、彼の者は亡くなったのか!」


 目を見開き、苦し気に歪んだ表情。

 死の際の恐怖を、ありありと伝えるようだった。


「苦しかったろう! 怖ろしかっただろう! 家族を遺して逝く無念は、如何ばかりか!」

「…………そうだ……っ!」

「その通りです、エウリアス様……!」


 エウリアスの声に、騎士たちが奮い立つ。

 仲間を殺された。

 その思いに今、エウリアスと騎士たちは心を一つにした。


「これは、弔い合戦だっ! 彼の者の無念! 我らが晴らすっ!」

「「「うおおおぉぉおおおおっっっ!!!」」」

「仇を討ってやるぞっ!」

「弔い合戦だあああっ!」


 屋敷から駆けつけた騎士二十数名が、エウリアスの鼓舞に雄叫びを上げた。


 エウリアスは大きく息を吸い込むと、全身に気合を行き渡らせる。

 そうして、一気に吐き出すように叫んだ。


「いくぞおおおっ!!!」

「「「おうっ!!!」」」


 漆黒の百足を取り囲んだ騎士たちとともに、エウリアスは斬りかかるのだった。




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