第44話 呪殺の魔女とエラフス
キューパー子爵が不審死したことを聞いたエウリアスは、騎士学院を早退して、すぐにキューパー子爵の屋敷に向かった。
とはいえ、エウリアスとキューパー子爵には何の繋がりもない。
突然押しかけても、屋敷に入れてもらえるわけがなかった。
当主が亡くなった当日であれば、猶更だ。
「どういうことですか、坊ちゃん? どうして、いきなり……。」
何の説明もせず、キューパー子爵の屋敷に向かうと言い出したエウリアスに、タイストたち護衛騎士は戸惑った。
それでも、エウリアスの命令に忠実に従い、馬車を出してくれた。
「……………………。」
エウリアスは、クロエの存在を説明するべきか迷う。
実は、先日の別邸の事件のあと、クロエに相談したことがあるのだ。
クロエの存在を、信頼できる一部の者に伝えてもいいか、と。
だが、答えはノーだった。
エウリアスにとって信頼できる者でも、それは
エウリアスに対してさえ、「先に利を見せて」から交渉をしようとしたクロエだ。
無闇に存在を知られることは、ただのリスクでしかないと考えたようだ。
エウリアスから離されれば、クロエの最終目標である「黒水晶からの解放」が遠のく。
下手をすれば、怪しげな存在を滅しようと、黒水晶の破壊といった行動に至る可能性すらある。
そのため、クロエが慎重になるのも分かるので、その意志を無視したくはないのだけど……。
「キューパー子爵の屋敷が見えてきました。」
御者が、キューパー子爵の屋敷の近くに来たことを伝えてくる。
「子爵の屋敷の周囲を走っててくれ。」
「分かりました。」
エウリアスの指示に、御者が答える。
エウリアスは客車の窓を少し開け、外の景色を眺めた。
王都の中心に近いため、この辺りは貴族家の屋敷が多い。
ラグリフォート伯爵家の別邸とは離れていて、キューパー子爵の屋敷は、貴族の屋敷が集まっている区画の端の方だった。
この辺りから、人通りは少なくなっている。
商店などはほとんどなく、あっても高級店の部類だ。
平民が、そうそう利用するような店ではない。
そうして外を眺めていると、王国軍の兵士を見かけた。
ある屋敷に集中している。
「あれが、キューパー子爵の屋敷か……。」
「おそらく。」
エウリアスの呟きに、タイストが頷く。
今回の不審死は貴族家の当主ということで、国も動かざるを得なくなったらしい。
トレーメルが、王国軍が調査に乗り出すだろうと言っていた。
ガラガラガラ……と車輪の音を聞きながら、エウリアスはその屋敷を眺めた。
屋敷の周りを半分も進んだ頃、エウリアスが一瞬だけ目を瞠る。
そうして一度目を閉じると、そっと溜息をついた。
「もういい。屋敷に戻ってくれ。」
「は、はい。分かりました。」
エウリアスが屋敷に戻るように指示すると、御者がすぐに返事をする。
黙って窓の外を眺めるエウリアスの目は、非常に厳しいものになっていた。
■■■■■■
エウリアスがキューパー子爵の屋敷から帰る頃、王都にある
「あっはっはっはっはっ……! ようやく当たりを引いたのね!」
ぼさぼさの髪を振り乱し、高らかに笑う。
恍惚とした表情で、まるで踊るように女ははしゃぐ。
薄暗い部屋の中、女の見開いた目は、爛々と輝くようだった。
まだ噂にも上っていないことだが、女は知ることができた。
自らの行った、呪いによって。
女は、貴族に恨みを抱いていた。
女には、高貴な血が流れていた。
そう、貴族の血だ。
女の母は、かつて騎士学院に通っていたらしい。
そこで、ある貴族の嫡男に見初められた。
母とその貴族は、道ならぬ恋に酔い痴れた。
周囲の目から逃れながら、逢瀬を重ねたという。
だが、その蜜月は終わりを迎える。
その貴族が、騎士学院を修了したからだ。
『必ず迎えに行くから待っててくれ。』
母は、その言葉を信じた。
すでに、その頃には母は妊娠していた。
妊娠が発覚し、学院を続けられなくなり、学院を出ることになった。
しかし、貴族は迎えに来なかった。
当たり前だ。
貴族の子息からすれば、退屈な騎士学院での、ほんのお遊び。
ただの火遊びだ。
平民の女が妊娠しようと、それが何だと言うのか。
愚かにも、母はその貴族の言葉を信じ続けた。
死の際になっても、貴族への想いを呟き続けるほどに。
「あはははははっ……!」
女は、笑いながら小躍りした。
ようやく、一人の貴族を呪い殺すことに成功した。
愚かな母のために、女は幼い頃から苦労してきた。
母が病気になったことで、生活はより困窮するようになった。
それでも母は、死ぬまでその貴族の名を言わなかった。
『あなたには高貴な血が流れているのよ。』
『いつかきっと、お父さんが迎えに来てくれるからね。』
そんな世迷言を吐き続けた。
だから、女には資格がある。
貴族を恨む資格がある。
貴族という制度、貴族という存在の尽く。
そのすべてを恨む資格が、女にはあるのだ。
「はあっ……はあっ……はあっ……!」
はしゃぎ疲れ、女は床に座り込んだ。
それでも、おかしくて笑いが込み上げる。
「まだ、たったの一人……。だめだめ、もっともっと殺さなくちゃ。」
女は頬を流れる汗を拭うと、よろよろと立ち上がる。
健康とは程遠い身体に鞭を打ち、机に向かう。
「…………散々試して、ようやく一人か……。」
少しだけ冷静になり、女は呟いた。
一年以上も前から試し、失敗を繰り返してきた。
最初は上手く
ようやく呪いを宿しても、ターゲットは運任せ。
死ぬのは屋敷内の誰か、という不確実な呪いだった。
それでも、呪い殺す効果は折り紙つき。
発現すれば、必ず誰かを呪殺する。
対象が不確実な呪いではあるが、今回は上手く貴族を引き当てた。
そして、この呪いの素晴らしいところはそれだけではない。
なんと、呪いで死ぬ瞬間を、女も見ることができるのだ。
呪いは「失敗した時かけた本人に返ってくる」なんて話は聞いたことがある。
しかし、この呪いは成功した時に返ってくるのだ。
女に、その死の瞬間を見せるために。
先程、その死の瞬間が届き、呪い殺したのが子爵本人だと分かった。
そのため、女は歓喜に小躍りしてしまったのだ。
女は、肩をがりがりと掻く。
「やっと貴族を殺してやれた……。少しは、精度が上がったのかしらね?」
「そんなわけないでしょう。」
女の独り言に、背後から突っ込みが入る。
女が振り返ると、ドアが開けられていて、部屋の入り口に一人の女性が立っていた。
「せっかく教えてあげたのに、やっと一人だけなんてね。」
女性は長い髪を背中に流しながら、嘲るように微笑む。
「ふんっ、あんたか……。何しに来たのよ、エラフス。」
女は、勝手に入ってきた女性を、不愉快そうに見た。
エラフスと呼ばれた女性は二十代半ば、非常に女性らしい容姿だった。
清潔な衣服、艶やかな黒い髪。
すらっとしながらも、胸や腰回りに女性特有の美しい曲線を感じる。
女は、みすぼらしい自分とのあまりの違いに、見ているだけで怒りが湧くような気がした。
「あんたが教えた方法が不確実なんだから、しょうがないでしょう?」
「それは仕方ないわよ。貴女、才能ないもの。」
そう、エラフスは心底おかしそうに笑う。
「貴女にあるのは、その八つ当たりの逆恨みだけ。それだけは人並み外れてるわね。そこだけは認めてあげる。」
「うるさいっ!」
女は恨みを『八つ当たり』と評され、声を荒らげた。
しかし、エラフスはまったく気にした素振りを見せない。
実際に、微塵も気にしていないのだろう。
エラフスは、じっと女の目を見る。
その目の鋭さに、女はそれまでの怒りなど忘れ、身が竦む感じさえした。
「…………それでも、それなりに下地はできたかしら。」
エラフスは呟き、ポケットから二つの石を取り出す。
それは、ややピンクがかった石だった。
「今の貴女なら、これも使えるかしらね。」
エラフスは女の前に立つと、二つの石を女の手の上に落とした。
「これまでの
女は、そのピンクの石を顔の前に持ってきて、眺める。
これまでの呪いは、死の間際を見せるという素晴らしい効果があるが、デメリットがないわけではない。
それが、反動だ。
女に死を見せる時、全身に痛みが襲う。
それすら、女にとっては大した問題ではないのだけれど。
「これを使って、二つほど狙って欲しい家があるの。」
「何で相手を指定されなきゃいけないのよ。呪う相手は私が自分で選ぶ。」
「そう言わないで。その石がきちんと扱えるか、確かめるつもりでやってみてよ。」
「だから、何であんたに指図されなきゃいけないのよっ!」
女の反発に、エラフスは肩を竦める。
「貴女に、この方法を教えてあげたのは誰? いつも使ってる
エラフスがそう言うと、女が悔し気に歯ぎしりした。
「そう怒らないでちょうだい。ちゃんとご褒美もあるわよ。」
エラフスが、口の端を上げる。
「ようやく下地ができてきたようだし、もう少し精度が上がるように、ちょっとした
「まじない……?」
「そうよ。そもそも、才能の欠片もない貴女が、それでもそれなりの
「…………。」
エラフスの言っていることは、間違ってはいない。
エラフスがあの日、この掘っ立て小屋に尋ねて来なければ、今も女はただ恨みを募らせるだけだった。
精度に問題はあるが、呪殺自体は扱えている。
それまで、まったくそうした経験も知識も無かった女に、だ。
「……分かったわ。」
「そう。それなら、こっちに来て背中を出して。」
「背中?」
「背中に施すのよ。面倒なんだから、いちいち説明させないで。」
エラフスに言われ、女は仕方なく上着を脱いだ。
全身のあちこちを掻きむしるため、女の肌は小さな
女はエラフスの前に立ち、背中を向ける。
エラフスもシャツのボタンを外し、胸元を大きく開けた。
エラフスの胸の中心には刺青が掘られ、その内側には何かの刺し傷のような跡があった。
「……シェラ……アハ…………ラバ……。」
何事かを呟き、胸元に手を当てる。
エラフスの胸に彫られた刺青が、微かな光を帯びる。
エラフスは、女の背中を指でなぞった。
それは、何かの記号のようだった。
指でなぞると、微かに黒っぽい跡が残るが、すぐに消えた。
エラフスが口元を歪め、嗤った。
エラフスはササッと描くと、最後にポンと肩を叩き、
「はい、いいわ。」
「そう……何か、変わったような気はしないのだけど……?」
「それは仕方ないわよ。だって、貴女才能ないもの。些細な違いなんて気づくわけでしょう?」
エラフスのその言い方に、女は露骨に顔をしかめるのだった。
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