第42話 聖文字と怪しい石




 エウリアスは、別邸の庭を歩いていた。

 屋敷の西側に回り、辺りを見回す。

 タイストたち護衛騎士には、遠巻きに警戒するように指示をしたため、少し離れた場所からエウリアスの様子を見ている。


、もう少し先じゃ。」

「……あのさ。その、エウって何だ?」


 クロエに言われるまま外に出てきたが、先程からクロエの呼び方が妙だった。


「其方の名前であろう?」

「俺には、エウリアスって立派な名前がある。変な略し方するな。」

「其方の名前は言いにくくてのぉ。あ、もうちょい右じゃ。」


 クロエの言い分に顔をしかめ、言われるまま歩く方向を修正する。


「だったらユーリでいい。」

「長い。一文字増えておるではないか。」

「お 前 の 名 前 と 文 字 数 は 同 じ だ ろ う が!」


 に、なぜという呼び名を「長い」と文句を言われなくてはならないのか。


「じゃあ、これからはクロエのこともクロって呼ぶからな。」

「失礼な奴じゃの。わらわの名前を勝手に略すでない。」

「…………………………。」


 黒水晶、へし折ってもいいか?

 エウリアスが握った拳を震わせていると、クロエが何かを発見する。


「あった。あれじゃの。」

「あれ……?」


 あれと言われても、特に何も見当たらない。

 敷地を囲う、高さ二メートルほどの壁。

 壁の手前に木が植えられたりしているが、それだけだ。

 土の地面には、石ころがあるだけ。


「もう少し前に行くがいい。あの木の下あたりじゃ。」

「あの木って、正面の木か?」


 よく分からないが、エウリアスは一本の木に近づく。


「ストップ。足元を見るがよい。」

「足元?」


 エウリアスは、視線を正面の木から足元に移した。

 石ころ以外には、特に何もなかった。


「何もないぞ?」

「あるじゃろう。その石ころよ。」

「石……?」


 エウリアスはその場で膝をつき、目の前の石を観察した。

 子供の握り拳ほどの大きさの石。

 その石は、よく見ると二つに割れているようだった。


「……これ、触っても平気か?」

「うむ。もはやそれ自体には大した力はないの。残りかすじゃ。」


 エウリアスは、石を拾うと割れた断面を見る。

 ……が、どう見てもただ石が割れただけのようにしか見えない。


「これに、何かがあった? ていうか、これってただの石じゃないのか?」

「おそらく、それ自体はただの石じゃの。もしかしたら、何かの化石かもしれんが。」

「…………化石?」


 大昔の生物が、長い年月で石化するというやつか。

 どうしてそうなるのかは知らないが、そんな石があることは知っている。


「何で、化石なんかがこんな所にあるんだ?」

「化石なんぞ、その辺にいくらでもあるじゃろ。」


 クロエの話を聞き流し、割れた石の断面を合わせて元の状態にする。

 そうして表、裏と石ころを眺める。


「あれ……これって。」


 地面に落ちていた時、下側だった面に何かが描かれていた。


「大丈夫ですか、坊ちゃん。何かありましたか?」


 その時、エウリアスの様子を見に、タイストがやって来た。

 地面から何かを拾うのを見て、確認に来たようだ。


「この石に、何かが施されていた……?」


 エウリアスが石に描かれた記号のようなものを見ていると、タイストが訝し気な顔になる。


「その石が、どうかしましたか?」


 しかし、タイストにはさっぱり分からず、エウリアスに尋ねる。


(クロエが何かを感じている以上、よく分からん力があることは確かだ。)


 クロエ自身、歪みの力というわけの分からない力を使う。

 同種の力かどうかは分からないが、何かしらの力が施されていたのは間違いなさそうだ。


(あとは、それが使用人の死と関係あるかだが……。)


 これについては、さっぱり分からない。

 だが、使用人の亡くなった部屋に、『漂っていた力』がある。

 そして、その力を辿り、クロエはこの石の存在に気づいた。

 まったくの無関係とは言えないだろう。

 まあ、他の人には説明のしようがないのだけど。


 そうして手元の石を見ていて、一つ気がつく。

 エウリアスは、手に持った石の向きを引っ繰り返した。

 これまで見ていた記号の向きを、逆にしたのだ。


「これは…………聖文字リトラ・シュトス?」


 エウリアスには、その記号に見覚えがあった。


 聖文字、リトラ・シュトス。

 神々を表す文字であり、一文字で一柱の神を表す。

 神様は八十柱とされているため、聖文字も八十個ある。


 タイストが、エウリアスの手元の覗き込む。


「リトラ…………確か、聖文字でしたっけ?」

「そう。教会とかで見覚えない?」


 エウリアスがそう言うと、タイストは眉間に皺を寄せて肩を竦めた。


「すみません、あまり熱心な方じゃないもので……。」

「ははっ。まあ、普通はそうだよね。」


 聖職者でもなければ、普通はリトラ・シュトスを憶えたりはしない。

 だが、エウリアスはこのリトラ・シュトスに見覚えがあった。


「これは『知恵の女神ティサ・へラーフス』を表すリトラ・シュトスに似てるんだ。ちょっと違う部分もあるけど、よく似ている。」


 女神フェチ…………もとい、エウリアスは、女神のリトラ・シュトスに関しては、すべて暗記していた。

 リフエンタール王国で広く信仰されている宗教では、八十柱の神々がいて、約半数が女神だ。

 男神や女神に分類できない、特殊な神様もいるので、完全に半分が女神というわけではないが。


 エウリアスが石を観察していると、タイストが辺りを見回す。


「何かの悪戯でしょうか?」

「それは、ちょっと分からないけど……。」


 クロエのことを知らないタイストには、なかなか説明が難しい。

 というか、タイストは割と一緒にいることが多いので、教えておかないとこれから苦労しそうだ。


 エウリアスは、クロエのことをタイストに伝えるべきか少し考え、一旦棚上げすることにした。


「今日は、ちょっと学院には行けそうにはないな。休みの連絡をしておいてくれ。」

「分かりました。…………すみません、坊ちゃん。」

「何でタイストが謝るのさ。ラグリフォート伯爵家うちで起きたことだ。父上がいない以上、俺が対応するのは当たり前だろ?」


 恐縮するタイストに、そう笑いかける。


(とはいえ、どうするかな……。)


 これまで、使用人が不審死した貴族家は、警備隊に届けていない。

 そして、それはエウリアスも同じ気持ちだった。


(警備隊には申し訳ないが、やはり勝手に荒らされるのは嫌だな。)


 貴族家の者なら、誰でもそう考えるだろう。

 特に今は、ゲーアノルトがいない。

 警備隊の捜査を別邸に入れ、後でゲーアノルトにとって都合の悪いことが起きないとは限らない。

 これは別に、不正が発覚するといった話ではない。

 政治的な意味で、ゲーアノルトと敵対する勢力の息のかかった者が紛れ込んでも、エウリアスには分からないのだ。


 エウリアスは少し考え、タイストに追加の指示を出す。


「学院に休みの連絡をする時、トレーメル殿下に手紙を渡して欲しい。」

「手紙ですか?」

「先週、侯爵家でも使用人の不審死があったろ?」

「ええ、それで夜間警備の強化を考えましたからね。」


 エウリアスは頷く。


「その侯爵は、王城にだけは報告したらしい。」

「ですが、坊ちゃんは王城には……。」


 事前の許可なく王城へ行けるのは、貴族家の当主と、その当主からの遣いだけだ。

 残念ながら、エウリアスにはまだ王城へ行く資格がなかった。


「だから、トレーメル殿下に手紙で知らせるんだよ。殿下なら、王城も顔パスだ。」

「そりゃあ、王城に住んでますからね。」


 エウリアスの言い方に、タイストが苦笑する。


 トレーメルなら、悪いようにはしないだろう。

 トレーメルが必要だと思う最低限の範囲に話を留め、後はエウリアスに任せてほしいと頼むつもりだった。


「父上にも連絡が必要だな。ロランディ子爵領に寄ってからラグリフォート領に戻るつもりらしいけど、さすがに日程までは分からないか。」

「ゲーアノルト様が王都を発って一週間ですから、順調にいけば今頃はラグリフォート領に向かっているとは思いますが……。」


 南部にあるロランディ子爵領までは、王都から五日くらいだ。

 そのロランディ領から、ラグリフォート領までは四日くらいか?

 とはいえ、ロランディ領に滞在する日数も分からないし、事前の予定から変更になる可能性もある。


「ラグリフォート領の実家と、ロランディ領のコルティス商会。両方に遣いを出すか。」

「そうですね。それが一番確実でしょう。」

「ポーツスにも、別で指示を書いた手紙を出しておくか。」


 手紙が届いた時点で、まだゲーアノルトがラグリフォート領に戻っていない場合、父を探して王都の別邸での変事を伝えてもらわなくてはならない。


「はぁー……、手紙かあ。何通も書くの、面倒なんだよなあ。」

「こればっかりは、坊ちゃんに書いてもらう必要がありますので。」


 重要な手紙は、代筆をさせずに自分で書かなくてはならない。

 これも、ある種の伝統のようなものだ。


「しゃーない、書くか……。あ、ステインにも家族のことを教えてもらわないと。」

「家族宛の手紙は、代筆でも問題ありませんが?」


 タイストがそう提案するが、エウリアスは首を振った。


「……いや、俺が書くよ。」


 長年、懸命に勤めてくれた使用人にしてやれる、最後のことだ。

 せめて、これくらいはしてやりたい。


「家族の生活のこととか、ステインに考えてもらわないと。……家族は王都こっち?」

「その辺りも、ステインに聞く必要がありますね。」


 不審死の調査に、方々ほうぼうへの連絡。

 やらなくてはいけないことがいくつもある。


「あー……、今日は別邸こっちに泊まることになりそうだな。」

「それも、ステインに伝えておきましょう。」


 そんな話をしながら、エウリアスは別邸の屋敷に戻るのだった。




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