第35話 商人の誇り




 王都のラグリフォート伯爵家、別邸。

 エウリアスは、ロランディ子爵領でコルティス商会を営むメンデルトと、娘のイレーネを連れて来ていた。


 学院の正門での騒ぎに首を突っ込み、メンデルトとイレーネの事情を知った。

 多額の売掛金が回収不能になったコルティス商会は、倒産の危機に瀕していた。

 そして、その打開策にイレーネを大店と婚約させようとしたが、当の本人が反発。

 家出をしてしまった。


 望まぬ結婚を強いられるイレーネに同情はするが、かと言って「婚約をやめろ」というのは無責任だろう。

 それは、コルティス商会に「潰れろ」というのに等しいからだ。


 こうなると、エウリアスにはどうしようもない。

 一番の解決策は、コルティス商会の資金繰りを改善することだが、エウリアス個人にそんな力はない。

 そこでエウリアスは、父ゲーアノルトを頼ることにしたのだった。







 突然訪問してきたエウリアスに驚きつつも、ゲーアノルトはメンデルトと面会してくれた。

 イレーネについては現在、こことは別の応接室で待機してもらっている。


 そうして一通りの話を聞き、ゲーアノルトが一言。


「金具の調達先は、すでに取引する商会が決まっている。」


 ですよねー。


 家具造りにも様々な金具が使われており、すでに長年の実績による信頼関係が築かれていた。

 それを一方的に切り、コルティス商会に切り替えるなどあり得ないだろう。


 ゲーアノルトは呆れたようにエウリアスを見て、溜息をつく。


「突然やって来たと思ったら、そんなことか。すでに信頼できる商会があるのに、わざわざコルティス商会そちらから調達する理由がない。」

「はい……。」


 やはり、取引先にコルティス商会をねじ込むのは難しいようだ。

 単純に「これからお付き合いしましょう」という話ではなく、相当量の取引を確立し、かつ先払いで資金繰りを改善させなくてはならない。


 ゲーアノルトは、テーブルの上に広げられたいくつかのサンプルから、一つを手に取る。

 メンデルトが、突然の商談のために常に馬車に載せている物から、特に自信のある物を選んでもらったのだ。


「質は、悪くない。職人の腕もいいのだろう。だが、このくらいの物は、他でも手に入る。」


 金属を加工した、室内装飾品をじっくりと観察する。

 その目は、一切の妥協を許さない、とても厳しいものであった。


「……お言葉ですがゲーアノルト伯爵。その評価は納得できません。」


 これまで、お貴族様の前だ、と恐縮していたメンデルトが、初めて真っ直ぐにゲーアノルトを見た。

 その目の鋭さは、ゲーアノルトにも負けないほど。

 おそらく、これがメンデルトの真の姿なのだろう。


 自らが扱う商品に自信と誇りを持つ、商人の目。

 エウリアスには、それはラグリフォート伯爵領で家具造りをする職人と、同じように見えた。


 メンデルトが、別の室内装飾品とアクセサリーを手に取る。


「これらは、クレシタン鋼とラルカノ鋼の合金ですが、本来であればこの二つの合金はあり得ません。」

「勿論知っている。それぞれが持つ特性を、著しく低下させてしまうからだ。」

「その通りです。」


 何やら専門的な話が始まった。

 エウリアスには、その『なんちゃら鋼』がどんな特性を持っているのか、分からなかった。


「ですが、ある方法を用いることで、我々はそれらの特性を活かしながら、合金とすることに成功しました。」

「何を馬鹿なことを。そんな話は聞いたことがない。この場では確かめようがないのをいい事に、適当なことを……。」

「そのようなことはございません!」


 メンデルトは、強い口調で否定した。

 そうして、持参した鞄から資料を取り出す。


「…………これだけは絶対に漏らせないと、これまで秘匿していました。正直に申し上げれば、この情報を売れば、資金調達自体は可能だったのです。」

「では、そうすればよいではないか。」

「ですが、そうして延命した後はどうなるでしょう? 他の商会に真似され、コルティス商会われわれの強みは失われるのです。」


 すでに、コルティス商会の製品の特性に気づいたある商会から、その資料の提供を求められたことがあるらしい。

 だが、この情報を同業者に売れば、コルティス商会の競争力は失われる。

 商会が今後も発展していくために、それだけは受け入れるわけにはいかなかった、とメンデルトは言った。


「それほど大事な資料を、なぜ今は出した。」

「ラグリフォート伯爵が、同業者でないこともありますが……。」


 そうして、メンデルトは少しだけ頬を和らげた。


「一番は、私が伯爵を尊敬しているからです。素晴らしい品質を維持し続けることは、みなが思うよりも遥かに大変なことです。常に上を目指さなければ、必ず質は低下していきます。……僅かずつではありますが。」


 同じ物を造っているつもりでも、質は少しずつ落ちていく。

 人はからだ。


 慣れることで技術が上がり、より質が向上する。

 ……が、ある時点から徐々に質が低下していく。


 技術は上がっても、心が慣れてしまう。

 緊張感が低下していく。

 それは、製品に如実に表れるとメンデルトは言う。


「ラグリフォート産家具は、今も質が上がり続けています。……伯爵の足元にも及びませんが、私もまた、職人たちの『より良い物を造ろう』という熱意を大事にしてきたつもりです。」

「……………………。」


 メンデルトは一度資料に視線を落とし、それからしっかりと差し出した。


「こちらは重要な部分をあえて省いた資料ですが、少々専門的な知識の必要な内容となっております。ですが、伯爵であればご理解できるかと。もし分からない部分があれば、何でもお聞きください。」


 メンデルトから差し出された資料を受け取り、ゲーアノルトが目を通していく。

 メンデルトが、概要の説明を始める。


「金は腐食しませんが、その強度が問題になります。逆に、銀は特殊な腐食性をしていますので、それを利用して使用することがあります。これは、クレシタン鋼も同じです。」

「……食器やカトラリーであろう。そんなことは分かっている。」


 ゲーアノルトは資料から視線を上げず、煩わし気に答える。


「ですが、私たちはそこにあえてラルカノ鋼を混ぜました。」

「まったく意味が分からんな。クレシタン鋼の腐食性を利用しているのに、その腐食性を失くしてしまうのだから。おそらく、強度も落ちるであろう。」

「その通りです。」


 エウリアスは、黙ってゲーアノルトとメンデルトのやり取りを聞いていた。

 ……腐食性?


(銀やクレシタン鋼は、毒に反応するってのは聞いたことがあるな。特殊な腐食性っていうのは、そのことか?)


 毒に反応しやすいため、銀やクレシタン鋼は食器やカトラリーに使用されることも多い。

 食事に毒を盛られていないかが、変色で分かるからだ。


 黙って資料に目を通していたゲーアノルトが、あるページで目を瞠る。

 資料のある部分をトントンと指先で叩き、視線を上げた。

 メンデルトに何かを言おうとして、視線をエウリアスに向ける。


「少し、込み入った話になる。お前は出ていなさい。」

「……分かりました。」


 どんなやり取りがされるのか気になったが、エウリアスは素直に従うことにした。

 ここでの話し合いが、コルティス商会の命運を左右するのだ。

 それは、イレーネの人生を左右することにもなる。

 エウリアスがいることで言いにくいことがあれば、それが原因で良くない結果になる可能性もあった。

 忌憚なく話し合ってもらうためにも、ここは席を外した方がいいだろう。


「それでは、メンデルト。幸運を祈ってるよ。」

「エウリアス様、ありがとうございました。」


 メンデルトは立ち上がり、しっかりと頭を下げた。

 そうして、エウリアスは応接室を出る。


(頑張ってくださいね。)


 メンデルトに心の中でエールを送り、エウリアスは少し離れた場所にある、別の応接室に向かった。

 そこでは、イレーネが一人で心細くしていることだろう。


「坊ちゃん、メンデルトは?」


 部屋の外で待機していたタイストが、後をついてきながら尋ねてくる。


「これから本格的な商談ってところかな。俺は追い出されちゃった。」

「あー……、それはまあ、仕方ないですね。」


 家具造りに関わることはゲーアノルトが一切を仕切っている。

 そこには、まだエウリアスに言えないこともあるのだろう。


「とりあえず、イレーネを一人にしちゃってるから。そっちで父上の話が終わるのを待つよ。」

「分かりました。」


 エウリアスは、タイストとともにイレーネの待つ応接室に向かうのだった。




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