第31話 エウリアスの剣とクロエの力




 エウリアスとの話し合いが終わり、ゲーアノルトは帰ることになった。

 帰り際、ゲーアノルトが少々困った表情でエウリアスを手招きする。


「あー……言うのを忘れていたのだがな……。」

「はい。何でしょうか?」


 エウリアスが前に来ても、ゲーアノルトは微妙な表情だ。

 エウリアスが首を傾げていると、こそっと耳打ちしてきた。


「その、なんだ…………酒はほどほどにな。」

「へ? …………あ。」


 エウリアスが遊戯室プレイルームから酒をくすねていることが、ゲーアノルトにバレたらしい。

 まあ、見ていた使用人から報告が行くのは、当然と言えば当然なのだが……。


(……止めなくていいのですか、父上。)


 エウリアスとゲーアノルトは、揃って微妙な表情になった。

 もしかしたら、酒も貴族の嗜み、とか思っているのだろうか。


 それはともかく、ゲーアノルトは王都に来たついでにしばらくは別邸に滞在して、様々な用事を片付けて行くつもりだと言う。

 執事のステインはゲーアノルトの馬車に同乗して、別邸の管理にあたることになった。


 ゲーアノルトの馬車を見送っていると、後ろに控えたタイストが声をかけてくる。


「先程、申し送りを受けました。学院内でも、坊ちゃんに護衛騎士を付ける許可が得られた、と。」


 どうやら、ゲーアノルトの護衛騎士から話を聞いたらしい。


「父上から聞いた。人選は任せる。」

「はっ。」


 エウリアスの指示に、タイストが敬礼する。

 おそらく、いつも馬車で待機していた騎士たちから、二人を付けることになるだろう。


「父上に治癒石ヒールストーンのことも話しておいたよ。何でそんな物を持っていたんだ、って不思議がってた。」

「あ、あははは…………。坊ちゃん、どうかそのことは内密に……。」

「そう言うと思って、とぼけておいたから。後で聞かれてもいいように、言い訳を考えておいてね。」

「わ、分かりました……。」


 きっとタイストは、後日別邸に呼ばれて、お褒めの言葉と褒美を貰うことになるだろう。

 しかし、その場できっと聞かれる。

 そんな貴重な物を、どうやって手に入れていたのか、と。

 さすがに賭けで巻き上げたとは言いにくかろう。


 顔をしかめ、言い訳をどうにか捻り出そうとするタイストに、エウリアスは笑ってしまうのだった。







「なかなかに、面倒なことになっておるようじゃの。」


 エウリアスが部屋に戻ると、珍しく歪魔のクロエが声をかけてきた。

 小声ではあったが、部屋の中に待機している女中メイドに聞かれやしないか、一瞬ドキリとする。


 クロエは、普段大人しい。

 無闇に声をかけると、エウリアスに迷惑がかかると理解しているようだ。

 ただし、寝る前になると「酒を飲ませろ」と毎日せがむようになっていたが。

 そのため、最近では言われる前にコップに酒を入れて、黒水晶を沈めるのが日課になっていた。


 エウリアスは、壁際で待機している女中メイドに、少しの間出ているように命じる。

 そうして人払いをし、ソファーに座った。

 背もたれに寄りかかり、足を伸ばす。


「政争なんかは然して珍しくもないだろうけど……。あの襲撃の裏に政治的な意図があるなら、陰謀の類ってことになるな。」


 まあ、エウリアスも何となくその可能性は考えていたが、ゲーアノルトから伝えられたことで、よりはっきりと陰謀であることを感じた。


「おかげで学院内でも護衛騎士を付けられるようになったし、帯剣も許可してもらえたから、俺としてはそう悪い結果じゃないかな?」

「何を呑気なことを……。」


 クロエが呆れたように言う。


「一歩間違えれば、其方が生命いのちを落としていてもおかしくはなかったのだぞ?」

「それはそうだね。でも、貴族なんてのはそんなものだよ。」


 だからこそ、常に護衛騎士を控えさせる。

 伊達や酔狂、見せびらかすために連れ歩いているわけではない。

 そうする必要があるから、護衛を付けているのだ。


 しばらくソファーで足を伸ばしていたが、クロエから返事がない。

 エウリアスは身体を起こすと、黒水晶のネックレスを引っ張り出した。


「どうした? 何かあるから声をかけてきたんじゃないのか。」

「…………まあ、そうじゃな。」


 何かを考え込んでいる様子のクロエ。

 エウリアスが黙って待っていると、クロエが一つ尋ねる。


「其方、剣の腕は悪くないの?」

「そこそこ、としか言いようがないかな? 何せ、修行がまだ途中だし。」


 師匠が、どうしても行かなくてはならない、とどこかに行ってしまった。

 そのため、エウリアスの剣術はまだ道半ばなのだ。


わらわと其方は、交換条件によって成り立っている関係よの?」


 クロエが、そんなことを言う。


「そう言い切ってしまうのも、ちょっと寂しいけど……。まあそうだね。」


 クロエは歪魔の力をエウリアスに提供し、エウリアスはクロエに酒を提供する。

 ギブアンドテイクの関係だ。


「今のところ、妾がもらってばかりで少々居心地が悪いのでな。少し返しておくとする。」

「そんなこと気にしてたの? 意外に律儀っていうか、最初に助けてもらったのは俺の方だろ?」

「あれはサービスと言ったであろう? 妾が、其方を交渉のテーブルに着けるために、見せたにすぎん。」


 本当に律儀な性格のようだ。

 エウリアスからすれば、酒を提供することは何ら損をすることではなかった。

 そのため、あまり『貸している』とは思っていなかったのだが。


「あの、『歪みの力』だっけ? 何かあった時、あれをまたやってくれれば十分だよ。」


 とんでもない速さで空を舞った時は心底驚いたが、『逃げる時』や『追跡』に、あの力は非常に有用だと思っていた。

 その保険のために、先払いとして酒を提供する。

 それで何の問題も無い。


 だが、クロエはそれでは「貰いすぎ」と思っているようだ。

 少し声が固くなった。


「妾の力を、それだけと思われても癪じゃの。其方なら、もう少し違った使い方もできそうじゃ。」

「…………違った使い方?」


 クロエの言うことが分からず、エウリアスは首を傾げた。







■■■■■■







 翌朝。

 いつもより少し早くに起こしてもらい、いつもの日課をこなす。

 そうしてエウリアスは、、昨日クロエに提案されたことを試していた。


 エウリアスの足元には、一本の薪が転がっている。

 その薪を手に取り、表面を確認した。


「…………少し、斬れているな。」


 そう呟き、薪を地面に立てた。


 エウリアスは下がると、長剣ロングソードを構える。

 薪は、エウリアスの間合いの外。

 僅かに届かない距離。


 エウリアスは大きく踏み込み、薪を狙って長剣ロングソードを薙ぐ。


 シュッ!


 当然、エウリアスの剣は届かない…………しかし。


 ころん……。


 一拍置いて薪が転がり、薪の向こうの地面が少し抉れた。


「おおぉ~……!」

「また倒れたぞ。」

「あれは、何をされているのだ?」


 後ろで見ていた騎士たちが、届いていないはずなのに倒れた薪を見て、驚きの声を上げる。


 エウリアスはまた薪を立てに行き、表面を確認した。

 先程より、一本だけ斬撃の跡が増えていた。

 そして、先程よりも傷の付き方が浅い。


「……タイミングが遅れてるんじゃないかな。もう少し早くできない?」

「無茶を言うでない。いきなりそんなことできるわけなかろう。」


 こそこそと小声で注文をつけると、クロエがこそこそと言い返す。


 これが、昨日クロエが提案したこと。

 エウリアスの剣に、クロエの歪魔の力を乗せる、という感じらしい。

 そうすることで、なんと斬撃が飛ばせるかもしれないと言うのだ。

 まあ、厳密には飛んでいるのは斬撃ではなく、あくまで『歪む力』らしいけど。


 いざという時、細々と話し合う時間はない。

 歪みという力はいろいろ応用が利くようだが、エウリアスとクロエの間に齟齬があれば、望んだ結果にはならないだろう。

 そのため、予め効果を限定した使い方を決めておけば、あとはその力をどう使うかの問題だ。


 本当にそんなことできるのかと思ったが、試してみたら本当にできた。

 ただし、エウリアスの狙った場所には、思うようには飛ばなかったが。

 どうもタイミングが合わないようで、ワンテンポ遅れて斬れたり、早すぎて不発になることもあった。


(方法も含めて、もう少し考えた方がいいかな。)


 とはいえ、実験としては大成功と言っていいだろう。

 そもそも、こんなことができるとは思っていなかったのだから。

 精度を上げるための試行錯誤は必要だが、「斬撃を飛ばす」という結果だけを見れば成功と言っていい。


「坊ちゃま、そろそろお時間になります。」


 メイドに声をかけられ、エウリアスは頷いた。

 手に持った薪を、騎士の一人に放る。


「片付けておいて。さ、支度して学院に行くよ。」

「「「はっ!」」」


 エウリアスはメイドの差し出したタオルを受け取ると汗を拭き、浴室に向かった。


「…………疲れたのぉ。余計な事を言わなければよかったわ。」


 そんな呟きが聞こえ、タオルに顔を埋めながら吹き出してしまうエウリアスだった。




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