第29話 父の思い




 あまりに真剣なゲーアノルトの目に、エウリアスは訝し気な顔になってしまう。


「話しておく、とは何でしょうか?」


 エウリアスがそう尋ねると、ゲーアノルトが重く息を吐き出す。


「…………私の父が家督を継いだ時、ラグリフォート伯爵領はそれはひどい状態だったらしい。」


 領地は山ばかりで、財政難に苦しんでいた。

 開墾もままならず、小麦は他領から買うしかない。

 税収はそれなりにあるが領地を維持するための支出も多く、国庫へ納める税を、たびたび免除してもらっていたくらいだという。


「そんな状態から、今のラグリフォート産家具の基礎を築いたのだから、おじいちゃんは本当にすごいと思います。僕の、誇りです。」

「そうだな。私も、父を誇りに思う。」


 ゲーアノルトがカップに手を伸ばすのを見て、エウリアスもお茶を一口飲んだ。


「元々、我がラグリフォート家は、武勇でのし上がった家なのは知っているな。」

「それは勿論。父上にも、家庭教師にも、耳にタコができるくらい聞かされましたから。」


 エウリアスは肩を竦めながら、耳たぶに触れた。


 まだ、戦乱の続いていた時代。

 ラグリフォート家は、一兵士に過ぎなかった。

 戦功により男爵に叙され、戦のたびに首級しるしを上げた。

 子爵に陞爵しょうしゃくしてからも戦功を重ね、ついに伯爵となった。


 しかし、領地はそれなりに広いが、山ばかりだ。

 最初は材木を売って、収入を得ていた。

 そのうち家具などの木製工芸品に加工し、付加価値をつけて売るようになったが、それでも財政は苦しかった。

 町や街道の整備、他領からの食料の調達などに、かなりの費用がかかったからだ。


「だが、私の父……先代が基礎を作ったことで、ラグリフォート領は大きく飛躍することができた。」

「はい。おじいちゃんもすごいけど、俺は父上も同じくらいすごいと思っています。」


 エウリアスは、町や職人たちの仕事場に、何度となく遊びに行った。

 そこで耳にする話には、領民たちの先代やゲーアノルトへの感謝の思いが籠っていた。


「昔はとても大変だったって。町の人や職人たちが言っていました。それを変えてくれたのが、おじいちゃんと父上だと。」


 エウリアスがそう言っても、ゲーアノルトは厳しい表情で唇を引き結んだ。


「確かに、ラグリフォート領は立て直された。だが、まだまだなのだ。」

「まだまだ、ですか……?」


 これほど領民に感謝され、財政も立て直した。

 街道の整備も進み、今では日に日に町も発展しているというのに。

 ゲーアノルトの表情は、苦し気だった。


「先代と私は…………貴族であることを捨てたのだ。」

「捨てた? どういうことですか?」


 ゲーアノルトの言葉の意味が分からず、エウリアスは怪訝な顔になる。

 ゲーアノルトは、これまで誰にも漏らしたことのない『思い』を、エウリアスに話すのだった。







 本来、貴族とは働かないものだ。

 より正確には、「お金のために働かない」ということになるだろうか。


 領地からの収入で、十分に暮らしていくことができるからだ。

 勿論、税収の多い領地、少ない領地はある。

 それでも、貴族は働かない。

 領地の管理は、家宰や代官に任せるのが普通だった。


 それでは、働かない貴族は何をしているのか。

 それは、官職である。


 国家のための職務に就く。

 大臣や長官、局長など、国家の要職に就くのが普通だ。

 当然ながら、上位のポストには、家格の高い者が就く。

 勿論、最初から重要なポストに就けるわけがないので、最初はもう少し下からになるが。


 そしてこれらは、基本的には無給だ。

 国王から領地を与えられているので、それでも問題なかった。

 むしろ「お金のために働く」ということを卑しいと考えるため、給金を払うなんて言えばかえって侮辱されたと思うだろう。


 では、何のために貴族は働くのか。

 そこで重要になるのが、序列だ。

 要職を歴任すれば、それだけ序列が上がる。


 すべての貴族が王都に詰め、官職に就いているわけではないが、こうした官職を得るために貴族は躍起になる。

 上級貴族家と繋がりを持ち、口添えを頼むのだ。

 少しでも、家の序列を上げるために。


 名門と言われる上級貴族家は、そうした要職を代々引き受けてきた家のことをいう。







 ゲーアノルトが、重く溜息をついた。


「先代も私も、官職の要請が来ても、すべて辞退してきた。官職に就くよりも、領地の発展を優先してきたのだ。」

「いいじゃないですか! それで実際に、ラグリフォート領は目覚ましい発展を遂げたのです! みんなが、おじいちゃんにも、父上にも感謝しています! 何を恥じることがあるのですか!」

「だが、それは貴族としての姿ではない。」


 ゲーアノルトは、真剣な目でエウリアスを射貫く。


「まだまだ、やらねばならぬことがある。だが、それらはすべて私の代で終わらせる。」


 覚悟をはっきりと明言するゲーアノルトに、エウリアスはごくりと喉を鳴らした。

 ゲーアノルトは、現在のラグリフォート産家具の評価を、もっとも高めるための案をいくつか考えているらしかった。


「ラグリフォート領を、万全の体制を整えて、お前に譲るつもりだ。エウリアスは、安心してのだ。」

「父上……。」

「『木こり伯爵』は私の代で終わりだ。お前には、そんな不名誉な呼び名を受け継がせたくない。」


 初めて聞く、父ゲーアノルトの思い。

 貴族であることを捨て、ただただ領地の発展に注力した。

 そこに後悔はないが、内心忸怩たる思いを抱いていたのだ。


 ゲーアノルトの告白に、しんみりとした空気が流れた。


「俺は気にしませんが?」

「私が気にするのだっ!」


 こてんと首を傾げて言うエウリアスに、ゲーアノルトがテーブルを叩き、カップがカシャンと鳴った。


 親の心、子知らず。

 ゲーアノルトの思いは、残念ながらエウリアスには届かなかった。


「言いたい人には、言わせておけばいいんですよ。おじいちゃんも父上も立派です。それは、領民たちに直接触れ合ってきた俺がよく分かっています。お二人は最高の領主です。俺の誇りで、目指すべき領主の姿です。」

「エウリアス……。」


 なぜ分かってくれないのか、とゲーアノルトが大きく溜息をつき、項垂れた。


「どこで、教育を間違えたのか……。」

「あ、それ地味に傷つきますね。間違ってなんかいませんよ。こんなに立派に育ったじゃないですか。」


 エウリアスがにっこりと微笑むと、ゲーアノルトが再び溜息をつく。

 それはちょっとひどくないですか?


 ゲーアノルトが、エウリアスを幼少の頃からみっちりと教育してきたのは、貴族らしい貴族になってほしいという思いからのようだ。


 祖父の代から、お金を稼ぐことに必死になって官職を蹴る、卑しい『木こり』とレッテルを貼られた。

 領民を飢えさせないためには仕方がないと受け入れてきたが、ゲーアノルトはそれを自分の代で終わらせようと考えているらしい。


(だから、こんな馬鹿でかい屋敷を借りたのか……。俺の部屋も、こんなに豪華にして。)


 すでに必要な教育は施した。

 あとは、実際にそうした環境に身を置き、慣れさせる。

 この、とんでもない部屋の謎が解け、エウリアスはそっと肩を竦めた。


 つまり、ゲーアノルトの希望としては、エウリアスには騎士学院修了後もこのまま王都に留まってほしいのだろう。

 そうして伯爵家の嫡男に相応しい官職に就き、社交にも精を出し、実績を積み上げていく。

 いずれは、どこぞの局長クラスの要職に就いて欲しい、とか思っていそうだ。

 大臣、長官クラスは上級貴族が独占しているので、狙うとしたら局長クラスだろう。


 ゲーアノルトはゲーアノルトで、領地をひたすら発展させ、高級家具の製造の環境をより一層整える。

 多額の税収を納めれば、それはそれで序列を上げる要素になる。

 親子二代、領地の内と外で、王国に貢献して序列を上げようという計画のようだ。


(……まあ、悪くないプランだとは思うけどさ。)


 そこには、エウリアスの希望がまったく含まれていなかった。

 エウリアスは、官職などどうでもいいし、序列にも興味がない。

 社交などもっての外だ。

 やれるからと言って、やりたいかと聞かれれば、答えはノーである。


 学院を修了したら、さっさと領地に戻りたかったが、その時に一悶着起きそうだ。

 父ゲーアノルトの『ラグリフォート家再興計画』の全貌を知り、顔をしかめてしまうエウリアスなのだった。




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