第24話 歪魔クロエ
官所に抑留されて五日。
ようやく対応の方針が定まり、エウリアスは帰宅が許された。
これまで官所に抑留されていたのは、実はエウリアスだけである。
第八王子のトレーメルは、王城の自室にて待機。
そして、ルクセンティアは二日ほど自宅で待機した後、学院に通っているらしい。
ただし、今回のことは他言無用とよく言い含めた上で。
この対応には、父親であるホーズワース公爵の意向が強く働いているとか、いないとか。
つまり、抑留までされたのはエウリアスだけということになる。
まあ、この対応も仕方ないだろうと、エウリアス自身も納得はしているが。
事件発生直後では、エウリアスだけが事の
バルトロメイを疑い、状況から担任教師や平民組の三人も怪しいと予想した。
そして、その怪しい連中が、翌朝には丸ごと死亡してしまった。
ある程度事情を把握するまで、エウリアスだけは留めておく必要がある、という判断を下しても無理はないだろう。
「ご無事で何よりでした、坊ちゃん。」
迎えに来たタイストが、馬車の横に立ち、ホッとした表情で伝える。
「タイストのおかげだよ。ありがとう。」
エウリアスが馬車に乗り込むと、タイストも続いて乗り込んだ。
そうして、エウリアスの愛用する
「口外を禁じられてるから言えないけど、タイストが
「そいつは良かった。お役に立ったのなら何よりですよ、坊ちゃん。」
エウリアスがベルトに留め金を付けると、馬車が出発した。
「トレーメル殿下から、お手紙が届いております。届けに来た王城の使者が、殿下も陛下に働きかけていて『なるべく早くエウリアスが解放されるようにする』とおっしゃっていた、と。」
「そう。トレーメルが。」
エウリアスは手紙を受け取ると、その場で目を通した。
中には、トレーメルからの感謝の言葉が綴られていた。
「ホーズワース公爵家からも、毎日使者が見えていました。やはり、坊ちゃんの抑留をなるべく短くさせるということと、公爵がとても感謝している、と。」
「そう。」
ルクセンティアは、おそらく公爵に今回のことを伝えているだろう。
まあ、公爵の立場なら、ルクセンティアからでなくても報告が行きそうではあるが。
エウリアスとしては、二人が無事だったことが一番だ。
かなり大変な目に遭ったが、頑張った甲斐はあったなと思う。
「タイストへの褒美を、父上に頼んでおくよ。」
「いいんですよ、そんなのは。坊ちゃんが無事だったことが一番だ。」
「そうはいかないよ。」
タイストは、現在エウリアスに従っているが、それはラグリフォート伯爵の
つまり、父ゲーアノルトに命じられているからだ。
そのため、手柄を立てたとしても、エウリアスが勝手に褒美を上げることはできない。
ラグリフォート伯爵家の嫡男という立場上、すべてゲーアノルト経由という形を採る必要があった。
屋敷に着くと、すべての使用人が出迎え、エウリアスの帰還を喜んだ。
どう見ても、別邸の使用人も混ざっていそうな人数での出迎えだったが。
だが「少し疲れているから、休ませてほしい」というと、ちょっと心配させてしまった。
しかし、エウリアスとしては、これ以上は先延ばしにできない問題があったのだ。
自室の執務机に着くと、エウリアスはネックレスを引っ張り出した。
黒水晶の方のネックレスだ。
エウリアスは、ネックレスを首から外すと机に置き、じっと見つめる。
「…………聞いてるか。」
黒水晶を凝視したまま、エウリアスは尋ねる。
「勿論よ。ようやく落ち着いて話ができるかの?」
「ああ……。」
あの日、突然声をかけてきた黒水晶。
これまでは官所で抑留されていたため、周囲を警戒して確認することができなかった。
だが、屋敷に戻って来たことで、ようやく確認ができるようになった。
エウリアスは、一度深呼吸をすると自分から名乗る。
「俺は、ラグリフォート伯爵家嫡男、エウリアス・ラグリフォート。」
「知っておる。」
「知ってる……?」
エウリアスは、訝し気に眉を寄せる。
「
「……………………。」
あれから、とは最初にこのネックレスを見つけた時のことだろう。
確かに、すでに三週間以上も、このネックレスを身につけていたことになる。
「単刀直入に聞こう。お前は誰だ? いや、
しゃべる黒水晶。
それは、なんてお伽噺だ?
「
「……人、ではないのか?」
「そうじゃのぉ。人族ではないな。人族の作った分類では『
「……わいま?」
聞いたことがない。
「まあ、気にするでない。こんなものに、然して意味は無いからの。」
「悪魔や、魔物の類じゃないのか?」
「だったら何じゃ? 人族が何と呼ぼうと構わんが、それが
他人の定義には、興味がないらしい。
確かに、それはある意味正しいかもしれない。
他人の評価やレッテルが、自分に何の関係があるのか。
(自分は自分。……意外と、気が合うかもしれないな。)
根柢の考え方に、近しいものを感じた。
エウリアスは椅子から立ち上がると、胸に手を当てて軽く一礼した。
「
「なかなか律儀じゃの、其方。気にするでない。あれは、お試しサービスじゃ。」
そう言えば、そんなことをあの時も言っていたな。
赤字覚悟の出血大サービス、だったか?
エウリアスは再び席に着いた。
「なぜ、手を貸した?」
「聞くまでもなかろ? まさに、この状況がその結果じゃ。」
手を貸し、こちらに『利』があると示すためか。
「最初に会った時は警戒心剥き出しで、とても話などできそうになかったからの。こうして話せるようになる機会を待っておったのじゃ。」
エウリアスは、目を閉じ、逡巡する。
そうして、声を抑え、黒水晶を睨みつけた。
「俺は、
怒気を含んだエウリアスの言葉に、
重苦しい沈黙が続き、やがてクロエが謝罪した。
「…………他に方法が思いつかなかったのじゃ。しかし……謝罪しよう。」
「俺に、何をした?」
「認識を、歪めただけじゃ。」
「……歪めた?」
どうやら、この歪魔クロエには、そうした“力”があるらしい。
このネックレスを憶えていなかったのは、一時的に記憶を歪めて、なかったことにした。
他にも、見た物を別の物に見せたりなんかもできるらしい。
「記憶そのものを改竄するような力ではないの。あくまで、一時的に歪めるだけじゃ。」
「だから、あの時思い出したのか……。」
それまでもエウリアスはこの黒水晶を目にしていたが、その都度誤魔化すために緩く認識を歪めていたと言う。
エウリアスは静かに、全身全霊を持って宣告する。
「二度と、俺にその『認識を歪める』という力を使うな。もし使えば、俺は絶対に
握り締めた拳が、怒りに震える。
もし使えば、どんな手段を用いようと、この歪魔クロエを滅してやろうと心の中で誓った。
「分かった。約束しよう。」
歪魔クロエが応じたため、エウリアスはゆっくりと息を吸い込み、吐き出した。
意識して拳を解き、怒りを鎮める。
こうして、歪魔クロエとの話し合いは、ようやくスタート地点に立ったのだった。
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