第25話 クロエとの交渉




 黒水晶のネックレスには、歪魔わいま族のクロエという存在が宿っていた。

 エウリアスは、クロエが自分に「認識を歪める」という力を使ったことに怒り、二度と使わないことを誓わせた。

 こうして、ようやく話し合いをするための状況が整う。


「それで、俺に利益を見せて、何を取引したい?」


 エウリアスがストレートに聞くと、クロエが楽しそうに笑う。


「ホホホ……話が早くて助かるがの。まずはこちらが提供できる『利』を先に提示しようかの。」


 そうして、クロエは歪魔の力を簡単に説明する。

 歪魔の力――――それは、様々な物が持っている、『歪み』や『歪ませる力』を利用することだと言う。


「歪みとは、様々なものが抱える“力”の一つじゃ。わらわは、それを利用するに過ぎない。馬に追いつかせてやったの? あれも、空間の持つ歪みを利用したのじゃ。」

「あれも?」


 突然空中に放り出され驚いたが、凄まじい速さで、瞬く間に馬に追いついた。


「夜、扉が現れたじゃろ? この部屋に閉じ込めたり、声が外に漏れないようにもした。これらも、空間を歪める一つじゃ。まあ、こちらは大分応用になるがの。」

「空間を歪めるってのは、そんなこともできるのか……。」


 理屈はさっぱり分からないが、『歪める』という力は非常に応用範囲が広いようだ。


 クロエの話を聞き、エウリアスは俯き、目元を拭う。

 その目には、きらりと涙が浮かんでいた。


「どうしたのじゃ、其方?」

「歪みとは…………なんて悲しい力なんだ。だからお前、そんなに性格がひん曲がってしまったのか……。」


 グキッ!


 エウリアスの首の骨が歪んだ。


「ぐおぉぉぉおおお……っ!」


 エウリアスは机に突っ伏し、首を押さえてぴくぴくと痙攣した。


「其方……それは交渉するつもりがない、と受け取ってよいか?」

「ちょっとした冗談じゃないか……! イッツ、ジョークジョーク。」


 エウリアスは、何とか身体を起こして首を捻り、コキッと鳴らす。

 これで治ったかな……?


「ま、まあ、クロエの力は何となく分かった。それで、俺に何を望む?」


 エウリアスに利として提示した以上、この力を貸そうというのが、クロエ側の与えるものギブだ。

 では、貰うものテイクは?


「妾を、黒水晶ここから解放してほしい。」


 その条件を聞き、エウリアスは首を振る。

 ちょっとだけ首が痛み、手で押さえた。


「すまないな。それでは交渉の余地がない。俺にはどうすることもできない。」


 エウリアスがそう言うと、クロエが肯定する。


「それは分かっておる。だから、これはあくまで最終的な目標として憶えておいてくれればよい。」

「最終的な目標?」

「そうじゃ。すぐにそんなことができるとは、妾も考えておらん。ただ、忘れてもらっては困るので、最終的に妾の目指しているものを提示しただけじゃ。」

「なるほど。……じゃあ、代わりに何を望む?」

「酒じゃの。」

「…………は?」


 お酒?

 エウリアスはネックレスを手に取ると、黒水晶を目の前にぶら下げた。


「無理だろ。黒水晶こんなので、どうやって酒を飲むんだよ。」

「だめかの? ければ何とかならんか?」

「いや、分からないけどさ。多分……無理なんじゃないか?」


 沁み込めば、飲めるのか?

 というか、沁み込むのか?


「妾は酒が飲みたい! 飲みたいのじゃっ!」

「そう言われても……。」


 意外に面倒な条件に、エウリアスはポリポリと頭を掻く。


「お酒自体は……まあ、探せば屋敷ここにもあるだろうけど。」


 入手することは簡単だが、『飲む』というのを叶えるのは大変そうだった。

 エウリアスは、黒水晶の両端を両手で摘まんだ。

 軽く、力を籠める。


「割れば入っていくかな?」

「よさんかっ!? 妾がどうなるか予想がつかんわっ! もし死んだら、化けて出てやるからのっ!」


 いや、もう半分化けて出てるようなものだろ。


「分かったよ……。ちょっと待ってろ。」


 どうなるかは分からないが、浸けろというなら、それを試すくらいはいいだろう。

 すでに一度、「お試しサービス」とやらで手を借りているし。

 そうしてエウリアスは、酒を求めて部屋を出る。

 部屋の前には、護衛騎士と女中メイドが待機していた。


「……………………。」

「どうされましたか、坊ちゃん。」


 騎士に声をかけられ、エウリアスは逡巡する。

 使用人にぞろぞろと付いて来られると、少々困るか?

 エウリアスは、まだ飲酒が認められる年齢ではない。

 まあ、破って飲んでる子も多いと聞くが。


「すぐ戻る。ここで待機しててくれ。」

「え、しかし……。」

「待機だ。」


 騎士とメイドに待機を命じ、エウリアスは一階に向かった。


(どこにあるかな……。)


 階段を下りながら、酒の入手方法を考える。

 そういえば、この屋敷に着いてすぐ、各部屋を案内された。

 その時、遊戯室プレイルームのキャビネットに、酒が置いてあった気がする。

 エウリアスは遊戯室に入り、目当てのキャビネットの前に立つ。


「お、あった。」


 エウリアスは酒を飲まないため、それが赤酒か樹酒か火酒か、瓶を見るだけでは分からなかった。


「ま、何でもいいだろ。」


 酒瓶を手にしてラベルを見ていると、メイドが掃除道具を持って遊戯室に入って来た。

 メイドは酒瓶を手にするエウリアスに気づくと、一瞬目を丸くし、そのまま黙って一礼する。

 そうして、退室した。


「……………………見られちゃったな。」


 まずいかな?

 あとで、執事のステイン辺りから注意されるかもしれない。


「まあ、いいか。」


 何か言われたら、適当に誤魔化そう。

 エウリアスは背中に酒瓶を隠し、あからさまに怪しい行動をしながら部屋に戻る。

 具体的には、すれ違う騎士やメイドに背中を見せないような行動だ。

 みんな変な顔をしてはいたが、特に引き留められるようなことはなかった。


「とりあえず取って来たぞ。」

「おお、早く飲ませておくれ。早く、早くじゃ。」


 酒瓶を背中から出し、クロエに見せる。

 クロエの声が、明らかに弾んでいた。

 これで飲めなかったら、かなりがっかりするんだろうなあ。


 部屋に用意されているコップに、早速酒を注ぐ。

 机の上にコップを置き、ネックレスを手に取った。


「…………沈めればいいのか?」

「うむ、やってくれなのじゃ。」


 本当にこんな方法でいいのか、と思いながら、エウリアスは黒水晶を半分ほど酒に浸す。

 すると、クロエが歓喜の声を上げた。


「お……おお!? いい感じじゃ。もっと、ざぶっといっておくれ。」

「え、まじで!?」


 どうやら、黒水晶を酒に浸すとクロエも飲めるらしい。

 本当に飲めているのか大いに疑問の余地はあるが、本人が喜んでいるのだから、いいのだろう。


「じゃ、じゃあ…………沈めるぞ?」

「早くやるのじゃ。」


 クロエに催促され、エウリアスは黒水晶をコップの底に沈めた。

 チェーン部分はコップの外に出しておく。


「どうだ?」

「ごぼごぼげぶごばごぼ……。」


 クロエは溺れていた。


「だめじゃん!?」


 エウリアスは、慌てて黒水晶を引き上げた。


「これ! 何で引き上げてしまうのじゃ! 意地悪するでない!」

「何でって、溺れてただろうが!」

「溺れてなどおらんわ! よう戻せ!」

「え、えええ……?」


 絶対溺れてたよね?

 釈然としないものを感じつつ、エウリアスは言われた通り、再び黒水晶をコップに沈めた。


「ごぼごぼごぼ……。」


 クロエが何か言っているが、さっぱり分からない。

 というか、いつまで沈めてればいいの?

 あと、この酒はどうやって片付けようか?


 酒に沈んだ黒水晶を眺め、溜息をついてしまうエウリアスだった。







 ……一方、その頃。

 屋敷の一画では、使用人たちによって熱い議論が交わされていた。


 エウリアスが酒瓶を手にしているところを目撃したメイドは、速やかにステインに報告した。

 この一大事に、屋敷の主だった使用人が集まり、対応を協議していたのだ。


「さすがに、まだ早すぎるのではないか?」


 そうした意見がある一方で、


「エウリアス坊ちゃんが、お酒を嗜むようになられたか!」


 と喜ぶ声も多かった。


「興味を持っていただけたこの機会チャンスを逃せば、もう飲もうとされないかもしれない!」

「貴族たる者、やはり酒くらい飲めないと、後々困ったことになるんじゃないか?」

「慣れておかねば、坊ちゃんが社交会で恥ずかしい思いをされるかもしれないんだぞ!」


 最終的にはこうした意見でまとまり、使用人たちは黙認する方向で一致した。

 そして、遊戯室に常備される酒の種類を大幅に増やし、すべてがヴィンテージ物に交換されることになった。


「エウリアス坊ちゃまに、一流の味を覚えていただかなくては。」


 ステインの言葉に、みんなが「うんうん」と頷く。

 使用人のたちの気遣いに、エウリアスが気づく日は来るのだろうか……。




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