第20話 不思議な声




 エウリアスは、腕の中のトレーメルに治癒石ヒールストーンを突き刺した。

 その瞬間、トレーメルの全身を薄緑の光が包み込んだ。


「……こほっ! ごほごほっ!」

「殿下!」

「トレーメル殿下っ!」


 トレーメルは少し咳き込んだ後、ゆっくりと身体を起こした。

 そうして、自分の身体をぺたぺたと触り、確かめる。


「これは、何が……? どういうことだ?」


 斬られたはずの傷が、突かれたはずの傷が、すべて消えていた。


「治癒石を使いました、殿下。」

「治癒石…………なるほど、そうか。」

「治癒石?」


 トレーメルは納得したように頷くが、ルクセンティアは治癒石を知らないようだ。


「殿下、すぐにここを離れましょう。」


 エウリアスがそう提案するが、トレーメルは俯いたまま答えない。


「…………いや、だめだ。」


 そして、トレーメルは離脱の提案を却下した。


「このままでは、賊を逃してしまう。」

「な、何を……。」


 今は、そんなことを言っている場合ではない。

 トレーメルの安全を確保するのが一番だ。

 だがトレーメルは、エウリアスを強い覚悟を感じさせる目で見た。


「聞け、エウリアス。奴らは王族に仇なした。これを、決して見逃してはならない。」


 トレーメルが、真剣に訴える。


「治癒石まで使ってくれたエウリアスには悪いが、僕の命なんかどうでもいいんだ。それよりも、王族に刃を向けた者を見逃せば、王国全体が揺らいでしまう! それだけは、絶対に許してはならない!」

「殿下……。」


 トレーメルは、自分のことなど放っておけと言う。

 それよりも、王族に仇なしたという事実を、その賊を逃してはならない、と。


 他に、賊がいないとは限らない。

 その危険を承知の上で、それでも今の賊を逃すな、とトレーメルは言った。


 エウリアスは、困ったような顔でルクセンティアを見る。

 ルクセンティアも戸惑っているようだ。

 エウリアスやルクセンティアからすれば、王族であるトレーメルを護ることが最優先。

 しかし、王族であるトレーメルには、自身の生命いのちよりも優先すべきことがあった。


「…………分かりました、トレーメル殿下。」


 エウリアスは、覚悟を決める。


「賊は、必ず私が捕えます。ですから、殿下とルクセンティア様は身の安全の確保を。」

「エウリアス様!?」


 ルクセンティアは、エウリアスの言葉に驚きの声を上げる。

 そんなルクセンティアを、エウリアスは真剣な目で見た。


「殿下のことを、頼む。」


 トレーメルの安全を少しでも高め、かつ賊を捕らえるにはこれしかない。

 呼吸も忘れ、エウリアスを見ていたルクセンティアだが、やがて大きく溜息をついた。


「しょうがないわね……。」


 ルクセンティアの返事を聞き、エウリアスは頷く。

 そうして、傍らの剣を掴むと、賊を追って林に向かって走り出した。


「頼んだぞ、エウリアス!」

「エウリアス様、お気をつけて!」


 エウリアスの背中に、トレーメルとルクセンティアの声がかけられた。







 エウリアスは、トレーメルに命じられ賊を追った。

 林に入って少しすると、護衛騎士や賊の死体がいくつも転がっていた。

 それらを越え、真っ暗な林の中を懸命に走る。


 ……ヒヒィーン……!


 エウリアスが走っていると、馬のいななきが遠くから聞こえてきた。


「こっちか……!」


 重い手足を懸命に動かし、エウリアスは走る。

 蹄の音が響き、馬が離れていくのが分かった。


 そして、賊が馬を用意していたらしき場所に出た。

 二頭の馬が倒れ、殺されていた。

 エウリアスが倒した、賊の分の馬だろう。


「くそっ!」


 エウリアスは賊が向かったであろう方向に走り出すと、すぐに林を抜け、山道に出た。

 馬に乗った賊が、山道を走っているのが見えた。

 すでに賊との距離は、二百メートルは離されている。


 エウリアスは、それでも走った。

 月明かりだけを頼りに、必死に追いかけた。

 しかし、相手は馬。

 距離がどんどん離されているのが分かった。


(何か、手を考えないと……っ!)


 すでに、賊とは絶望的な距離が開いてしまっている。


「あやつらを追っておるのか?」


 その時、女性に声をかけられた。

 エウリアスは気のせいだと思い、必死に手足を動かす。

 その声が、あまりにも近くに感じられたからだ。


「馬を相手に、己の足で追いつく気か? そんなのは試すまでもなかろうに。」


 エウリアスはぎょっとした。

 驚きすぎて、つんのめってしまう。


「…………何だ!?」

「ホホホ……ようやく反応したか。」


 エウリアスは立ち止まり、必死に周囲を見回す。

 しかし、辺りには人の姿も気配もない。


「ここじゃここじゃ。其方そなたが首からぶら下げておろう。」

「何だと!?」


 エウリアスは、身につけているネックレスをシャツから引っ張り出した。

 一つは、父から贈られた貴族家の紋章ファミリークレストの刻まれた宝石のネックレス。

 もう一つは……。


 エウリアスは、ネックレスに付けられた黒水晶を見た瞬間、すべてを思い出した。

 夜中に、部屋に現れた石扉。

 階段の先にあった石室。

 そして、黒水晶のネックレス。

 フラッシュバックのようにそれらを思い出し、愕然とする。


「何、で……俺はこんなことを忘れていたんだ……?」


 エウリアスが驚いていると、再び声がかけられる。


「よいのか? 立ち止まっていて。」


 そう、呑気な声で言われる。

 エウリアスは混乱しながらも走るのを再開し、黒水晶を掴んで、怪しげなネックレスを引き千切ろうとした。

 しかし、細い割に頑丈なチェーンは切れなかった。

 逆に、エウリアスの首の後ろが切れて、ズキリと痛んだ。


「これ、乱暴に扱うでない。せっかく手伝ってやろうと声をかけたのに。」

「余計なお世話だっ!」


 エウリアスはチェーンを引き千切るのを諦め、首から外そうとする。


「まったく、気の短い奴じゃ……。其方、モテんじゃろ?」


 不思議な声が、そんなことを言う。

 エウリアスは走りながら、しかし片手のため、上手くネックレスが外せなかった。

 そうしてもたついていると、再び不思議な声が聞こえる。


「……もっとも、落ち着いて話をする暇はなさそうかの。』


 そこで、不思議な声の質が変わった。

 これまでの呑気な声音とは打って変わり、やや低くなる。


「赤字覚悟の出血大サービスよ。お試し期間につき、一回だけ特別に手を貸してやろうぞ。」

「わけ分かんないこと言ってんじゃ――――ッ!?」


 突然、エウリアスは引っ張られた。

 いや、それは押し出されたのかもしれない。

 凄まじい勢いで、エウリアスはまるで吹き飛ばされるように空中を舞った。


「何じゃあぁぁあああ、こりゃぁぁああああああああっ!?」


 思わず手足をバタつかせるが、地上から離れているため、バランスが取れない。


「ほれ、よそ見をしている暇はないぞ。前を見よ。」

「何を――――ッ!?」


 それは、驚きの光景だった。

 遥か先を行っていた馬に、瞬く間に追いついてしまったのだ。


「お試しサービスは一回こっきりじゃ。見事ものにしてみせよ。」


 正直に言えば、わけが分からなすぎて声の主に問い詰めたいところだ。

 しかし、エウリアスはここで優先順位を間違えなかった。

 凄まじい勢いで空中を飛ばされながら、何とか体勢を立て直した。


 最後尾を走る馬に迫る。

 徐々にエウリアスは減速し始め、馬とほとんど変わらない速さになった。


「ハアッ!」


 エウリアスは追いついた馬に乗っていた賊を、左脇から首の右側にかけて、斬り上げた。


「ギャッ!?」


 突然背後から斬られ、賊が馬から転げ落ちる。

 エウリアスは、無人になった馬にそのまま乗った。


「おい、何だそいつはっ!?」

「どこから現れやがった!」


 残った賊は二人。

 突然現れたエウリアスに驚きながらも、前を走っていた賊は素早く剣を抜いた。

 二人の賊は速度を落とし、エウリアスを両側から挟み込む。


「このガキが!」

「くたばれやっ!」


 二人は、同時に剣を振る。

 右が薙ぎ払い、左が振り下ろし。


 エウリアスは馬の背に両足で乗ると、右の薙ぎ払いを飛び越えた。


「何ぃ――――グブッ!?」


 剣で賊の胸を突き、そのまま押し込んで落とす。


「わっととぉ!」


 そうして、危うく自分も落ちそうになりつつも、何とか手綱を掴んで馬を乗り移った。

 あと、一人。


「て、てめえ、何者だっ!」


 賊の声を無視し、エウリアスは馬を左に寄せる。

 さっきまでエウリアスが乗っていた馬が先に行こうとするが、そのまま寄せる。

 挟まれた馬は、寄せてくるエウリアスの馬を嫌がり、左に徐々に寄った。

 そうして、一番左を走っていた賊の馬の前を塞ぐ。

 賊の馬が、崩れる。


「なっ!? ぐああぁぁあああっ!」


 賊の乗っていた馬は、足をもつれさせて転倒した。

 賊を乗せたままで。


 ヒヒィーンッ……!


 エウリアスは手綱を引いて馬を止めると、向きを変える。

 そうして、賊の方に戻った。

 転倒した馬は、そのままどこかに逃げてしまったようだ。


「ぐっ……く……っ!」


 落馬した賊は、地面に転がったまま動けなくなっていた。

 エウリアスは馬から下りて、警戒しながら賊に近づく。


 賊は、右腕を骨折していた。

 全身に擦り傷を負い、血だらけになっている。


「…………た、助け……て、くれ……。」


 エウリアスが剣を向けると、賊が命乞いをした。


「それは、お前の心掛け次第じゃないか?」


 そう言うと、エウリアスは賊の右腕をゆっくりと踏みつけた。


「ギャアァァアアアアアアアアアッ!!!」


 賊が、あまりの痛みに叫び声を上げる。

 だが、エウリアスは冷たい目で賊を見下ろし、足に力を籠めた。


「……どうせ、雇われただけだろう? 誰に雇われた。」

「あ、足をどけてくれっ、足をっ……ギャアァァアアーーーッ!!!」

「そんなことは聞いてないんだよ。…………もしかして、早く殺して欲しくて、わざと怒らせてる?」

「ちがっ……違うっ! たす、助けて――――ッ!」

「しゃべる気がないなら死ね。」


 そう言うと、剣で賊の背中を軽く刺した。


「ギャッ!? ……言うっ、言うからっ! ……タッ、タンストールだっ! タンストールの、ガキにっ……!」


 そう、賊が涙を流しながら必死に叫ぶ。


「タンストール……?」


 だが、賊から出たその名前に、エウリアスは思わず首を傾げてしまうのだった。




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