第18話 無人のチェックポイント
オリエンテーリングの五日目。
山の中腹の分岐地点に着いた。
エウリアスは地図を取り出し、方向を確認する。
右がやや急な登り道、左は緩やかな下り坂だ。
「ここは……左のようです。」
緩やかな下り坂を目で辿る。
地図とも見比べて、次のチェックポイントを予想する。
(次は、
エウリアスがそうして先の予想をしていると、トレーメルとルクセンティアも同意した。
「確認しました。左で間違いないでしょう。」
「僕も左だと思う。」
貴族組で頷き合い、平民組を見る。
平民の三人は、かなり疲労困憊なようだった。
まだ昼にもならない時間だが、今日一日歩くのも無理なのではないかと思えてくる。
「少し休憩して、それから行きましょう。下りは足への負担が大きいですから。」
「……………………分かった。」
エウリアスが提案すると、トレーメルが同意する。
ただし、口に出しては言わないが、さすがに少し平民組を負担に感じているようだった。
午前中からこれでは、これからどうなるのか。
オリエンテーリングは、まだ明日もあるのだ。
これから先のことを思い、トレーメルは少し悔しそうな顔をしていた。
■■■■■■
夕方。すでに西の空も、赤から紫に変わりつつあった。
予定よりもかなり遅くなってしまったが、エウリアスたちは何とか、チェックポイントの近くまでやって来た。
だが、ここに来てエウリアスは違和感を感じていた。
そして、それはエウリアスだけではない。
トレーメルやルクセンティアの護衛騎士たちも、明らかにピリピリしていた。
(…………どうして、誰とも会わないんだ?)
いつもは、チェックポイントの近くまで来れば、同じようにチェックポイントに向かう班を見かけた。
そうでなくても、途中ですれ違ったり、山道の前後に他の班を見かけることがあった。
だが、今日は午前中に他の班を見かけただけで、午後は一切会っていない。
そして……。
「誰も、いない……?」
チェックポイントに着き、エウリアスは愕然とした。
いつもは数組の班が必ずいたチェックポイントに、誰もいなかったのだ。
いや、それどころか王国軍の騎士や兵士も、チェックポイントを管理しているスタッフもいない。
「……道を間違えた?」
エウリアスは、混乱する頭で道中を思い返してみる。
途中、細い脇道などはあったが、道なりに進んできたはずだ。
間違えるとしたら午前中の分岐地点だが、あそこではエウリアスだけではなく、トレーメルもルクセンティアも確認している。
間違ってはいないはずだ。
しかし、そうなると今の状況に説明がつかない。
その時、ドサッ……と音がした。
「ちょっと、大丈夫!?」
平民組の一人がその場で倒れるようにしゃがみ込み、ルクセンティアが慌てたように声をかけた。
もうすぐチェックポイントに着くと必死に歩いていたが、限界を迎えてしまったようだ。
他の平民組の二人も、すでに限界を迎えている。
もはや、彼らはこれ以上動くのは無理だろう。
何より、エウリアスたちも一日山道を歩いてきたのだ。
これから他のチェックポイントに向かうのは、現実的ではなかった。
選択肢は二つ。
それでも他のチェックポイントに向かうか、ここで警戒しながら休むか、だ。
他のチェックポイントに向かっても、おそらく辿り着けるのは夜が明ける頃だろう。
それだって、最大限に楽観しての予想だ。
すでに相当に疲労の溜まったエウリアスたちでは、途中で動けなくなる可能性の方が高い。
何より、平民組の三人はここに置いていくことになる。
だが、ここで休むとしたら、相当に警戒しながらになる。
今の状況は、単なる手違いとは考えにくい。
何らかの意図があり、仕組まれたのだ。
そんな場所に留まるのは高いリスクを伴うが、現実問題としてエウリアスたちも休息を必要としていた。
エウリアスは振り返り、トレーメルを見る。
「どうしますか、殿下。」
トレーメルは、苦し気に顔を歪ませた。
今は、まだいい。まだ動ける。
しかし、限界も見えているため、おそらく他のチェックポイントに向かうのが厳しいことも分かっているのだ。
トレーメルが一瞬だけルクセンティアを見て、それからエウリアスを見る。
貴族組三人の中で、ルクセンティアがもっとも体力が少ない。
これまでは弱音の一つも漏らすことはなかったが、限界を迎えるとしたら、ルクセンティアが最初だろう。
トレーメルは、護衛騎士たちを見る。
護衛騎士たちも、迷っているようだった。
戻るも地獄、留まるも地獄と分かっているからだ。
「…………ここで休む。」
トレーメルが決断した。
おそらく、トレーメルは最悪のシナリオを考えたのだろう。
仮に、襲撃を画策する者がいて、今のトレーメルに逃げきることができるだろうか。
多分、無理だ。
無理して動き、精も根も尽きてから襲撃されれば、もはや抵抗もできない。
ならば、今は少しでも体力を回復させる。
襲撃されても返り討ちにできるように。
生存の可能性を、僅かにでも上げるために。
トレーメルが留まることを選択すると、護衛騎士の一人がぼそぼそ……と耳打ちした。
しかし、トレーメルは首を振った。
「エウリアスとルクセンティアはどうする? 僕は、今は休むべきだと思うが。」
「異存はありません。」
「私も異存ありません。護衛騎士も協力させましょう。」
そう言って、ルクセンティアが自分の護衛騎士を見る。
「貴方たちも、殿下に従いなさい。」
「そ、それは……っ!」
「ですが、ルクセンティア様!」
二人の護衛騎士が難色を示すが、ルクセンティアはトレーメルに毅然とした態度で伝える。
「どうぞ、殿下の好きに使っていただいて構いません。」
この危機的状況にあって、ルクセンティアは自分の護衛騎士を殿下に差し出した。
そんなルクセンティアを見て、トレーメルは苦笑する。
「相変わらずの堅物具合だな、ルクセンティア。……まったく。」
ルクセンティアのこの行動は、正しい。
貴族とは王国のため、ひいては王族を護るためにある。
自分の護衛を外してでも、トレーメルの護りを増やすことは、この状況では「貴族としての正しい行動」だ。
やや、極端に振り切れてはいるが。
しかし、並みの覚悟でできることではない。
エウリアスは、ルクセンティアの覚悟に、激しく燃え上がる炎を見た気がした。
自身を焼き尽くすほどの、業火を。
そんなルクセンティアに、エウリアスは手が震えてしまった。
(か、格好いい~っ! さすが、マリーアンヘーレ様!)
ルクセンティアの毅然とした姿に、エウリアスは戦の女神を見た。
感動に、手の震えが止まらなかった。
この決断から考えるに、おそらくルクセンティアは、自分さえも殿下の護衛のつもりなのではないだろうか。
公爵家の三女に生まれながら、騎士学院に来たルクセンティアの覚悟に、エウリアスは心から感動していた。
そこに、戦の女神を重ね合わせてしまうのは、少々困った
エウリアスは、トレーメルに跪いた。
「何なりとお命じください、殿下。」
エウリアスはルクセンティアの覚悟に心打たれ、自らの立ち位置を表明する。
すると、ルクセンティアもエウリアスの隣で跪いた。
「エウリアスまで……。まったく、堅苦しく考えすぎだ。」
トレーメルは、そう苦笑する。
だが、すぐに表情を引き締めた。
「二人の覚悟、嬉しく思う。協力し、全員で無事に戻ろう。」
「「はっ!」」
こうして、貴族組はトレーメル殿下を頂点に、一つに纏まることになった。
そんな貴族組を、冷ややかな目で見つめる者たちがいた。
エウリアスたちの傍でしゃがみ込んだ平民の男の子は、俯きながら、忌々し気に顔を歪ませるのだった。
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