第15話 治癒石




 ついに、この日がやって来てしまった。


 騎士学院入学一カ月を祝う行事。

 オリエンテーリングである。


「…………さすがに一週間も山に放り込むって、どうなの?」

「同感ですね。」


 エウリアスの愚痴に、護衛騎士のタイストが重く頷く。

 とはいえ、タイストのように騎士をやっている者は、全員が乗り越えてきた行事である。

 本当に「無し」となった時、俺たちの苦労を返せ、といった気持ちにはなるだろう。


 オリエンテーリングの日程は一週間。

 厳密には六日だ。

 そして、今年入学したを、まずは二つに分ける。


 一つは、今日から開始。

 もう一つは、明日からだ。

 一日ずらして行うらしい。


 一つの班は六人。

 この班も、少しずつ時間をずらして出発する。


 オリエンテーリングの会場は、いくつもの山だ。

 班ごとに地図を片手に、あっちの山へ、こっちの山へ、とチェックポイントを目指してうろうろする。


 とは言っても、行き来するのはすべて整備された山道。

 チェックポイント以外の様々な場所にも王国軍の騎士を配置し、学院生の安全を図る。

 無茶な行事ではあるが、王国軍の協力も得て、それなりに配慮がされていた。


「坊ちゃん。」


 エウリアスがこれからの一週間を思ってげんなりしていると、タイストが声をかけてくる。

 そうして、手を差し出した。


「こちらをお持ちください。」


 差し出された手の上にある物を、エウリアスは掴み取る。

 それは、小さな木箱だった。


「開けてみてください。」


 タイストに言われて、エウリアスは蓋を開けてみた。

 そこに入っていたのは、エメラルドよりは薄い緑色をした、石だった。

 形としては、氷柱つららとでも言えばいいのか。

 エウリアスが握っても、少しはみ出すくらいの長さだ。


「何、これ?」

治癒石ヒールストーンです。」

「何、それ?」


 エウリアスが首を傾げる。


「どんな怪我でもさくっと治る、まあ魔法具みたいなもんですよ。」

「魔法具? これが?」


 エウリアスは、箱の中の薄緑の氷柱を珍しそうに見る。


「一度使うと無くなってしまいますので、使い時は慎重に考えてください。やり直しなんてできませんからね。」

「そうなんだ……。」

「万が一の時は、躊躇わず使ってください。使い方は治癒石そいつで自分を刺すだけ。服の上からでもいいですよ。簡単でしょう?」

「刺すの!?」


 それ、怪我が増えるだけでは?


「実際に刺さるわけじゃありません。そこは安心してください。」

「あ……、そうなんだ。」


 エウリアスは、ほっと溜息をつく。


「死にかけみたいな大怪我でも治しますが、棺桶から飛び出すってものではないので。死ぬ前に使ってくださいね。」

「…………死んだら、どうやって自分に使うのさ。」


 タイストの言い方に、思わず突っ込む。


「でも、こんなの聞いたこともないよ。もしかして、すごく貴重なんじゃない?」


 エウリアスがそう聞くと、タイストが困った顔になる。


「坊ちゃんが気にすることじゃありませんよ。」

「そういうわけにはいかないでしょ。これ、父上から預かったの?」


 護衛騎士の責任者であるタイストに、父が預けておいた、という可能性はありそうだ。

 だが、タイストは仕方なさそうに首を振った。


「私の……私物です。」

「すごく、貴重なんだよね?」

「ええ、まあ……。」


 そうしてエウリアスに問い詰められ、タイストが白状する。


 治癒石ヒールストーン

 ほぼ流通がなく、お金を積めば手に入るというわけではないらしい。

 その絶大な効果も相まって、出物は高額で取引されるそうだ。


「受け取れないよ、そんなの。」


 エウリアスは、箱を閉めてタイストに返そうとした。

 だが、タイストは真剣な目でエウリアスを見つめた。


「だめです、坊ちゃん。これだけは絶対に持って行ってください。」


 そうして、エウリアスにしっかりと箱を握らせた。


「私は、ついて行くことができないんです。護衛騎士なのに……。」


 タイストが、悔しそうに呟く。


 学院の規則で、伯爵家の嫡男は帯剣も護衛騎士も禁止だ。

 それでも、学院内ならまだいい。


 しかし、オリエンテーリングは山中で行われる。

 事故だって無いとは言えない。

 トラブルだって、あり得るだろう。

 そんな時、治癒石これがあれば助かった、なんて事態に後悔をしたくないとタイストは言う。


「私が後悔しないために、坊ちゃんに持っていて欲しいんです。……お願いです、坊ちゃん。」

「タイスト……。」


 エウリアスは、タイストの思いに胸が熱くなるのを感じた。

 頭を下げるタイストに、しっかりと頷く。


「分かった。ありがとう、タイスト。万が一の時は治癒石これを使わせてもらう。安心して欲しい。」

「坊ちゃん、ありがとうございます。」

「お礼を言うのはこっちだよ。」


 そう笑って、エウリアスは木箱をブレザーの内ポケットに仕舞う。


「でも、そんな貴重な物を、よく手に入れてたね。」

「え? …………え、ええ、まあ。」


 それまでの真摯さが引っ込み、タイストの目が急に泳ぎ出した。


「…………何? どうしたの。」

「あ、いや、何でもないんです。どうか、お気になさらず。」

「いやいやいや、滅茶苦茶気になるでしょ。何? どうやって手に入れたの?」


 そう重ねて聞くが、タイストは気まずそうに目を泳がせる。

 やがて、諦めたように項垂れた。


「……実は、ちょっとのカタに巻き上げたって言うか。借金の返済に充てさせた、と言うか……。」


 そう言って、タイストがカードを手に持ち、引く仕草をする。


博打バクチで巻き上げたのっ!?」

「え、ええ、まあ……。」


 エウリアスが唖然としていると、タイストが苦笑した。

 何だろう。有難味が半減した気がする。

 貴重な物には変わりがないはずなのに。


(これ、本当に使っていいのか?)


 そんな気がしてくる。

 エウリアスは溜息をつき、タイストを見た。


「……まさか、借金で足元を見て、買い叩くような真似はしてないよね?」

「………………………………。」


 おいこら、こっち見ろや。

 エウリアスが聞いても、タイストの視線は窓の外に向けられたままだった。


 エウリアスは財布カードウォレットを取り出すと、タイストに押し付けた。


「治癒石をその人に返しても、結局借金は残っちゃうだろうし。なら、せめて相場で買い取ったことにしてあげて。借金との差額は、ウォレットそれに入ってる金額で足りる?」


 博打も、博打の借金も、否定するつもりはない。

 それは、本人がきちんと責任を持つべきものだ。

 ただ、あまり足元を見るようなやり方は受け入れたくなかった。


「坊ちゃん、そんなのは――――。」

「しっかりと、その人に差額を渡して。そうじゃないと、俺も治癒石これは無い物として扱う。」

「…………………………分かりました。」


 渋々でもタイストが了承したことで、エウリアスもほっとする。


「たく……。相場がいくらか知らないけど、どれだけ借金背負わせたのさ。」


 こんな貴重な物をカタに出させるくらいだ。

 結構な金額なのだろう。

 そう思って聞いてみたが、タイストはにやり……と笑うだけで、具体的な金額は答えてくれなかった。


 タイストと、賭けだけは絶対にやらないでおこう。

 そう心に誓うエウリアスだった。




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