第11話 人生の師




 騎士学院が始まって、半月が過ぎた。

 現在、エウリアスは用意された枯草や枯れ枝を使い、火を起こしていた。

 学院の校舎に放火するつもりなど勿論なく、これも立派に授業の内容だ。


 実は、学院に入学して一カ月経つと、ある行事が行われる。

 オリエンテーリングだ。

 班を組み、山の中を進み、決められたチェックポイントを回る。

 これを、一週間かけて行うのだ。

 いや、それもはやオリエンテーリングじゃないだろ!

 ただのサバイバルやろが!


 簡単に食べられる糧食などを予め支給するので、食べ物に困ることはないが、一週間も山中をうろうろする地獄の行事だ。

 これがあるため、入学からこっち運動の時間ではひたすら体力作りを行い、こうして火の起こし方を学ぶ。

 毎年、このオリエンテーリングで騎士学院を去って行く者が数名出るというのだから、その厳しさは推して知るべしである。

 せめて、もう少し慣れてから敢行すれば、脱落者も出ないと思うのだが……。


「ふぅーー……、ふぅーー……。」


 そうして火打石を使い、エウリアスはグラウンドの真ん中で火を起こした。

 煙の上がった枯草に息を吹きかけ、枯れ枝を数本乗せる。


「ほぉ……器用なものだな。」


 隣で火を起こすのに苦労していたトレーメルが、あっという間に火を起こすエウリアスに感心する。


「やったことがありますので。慣れれば簡単なものです。」


 エウリアスは、伐採作業にもついて行き、木を切り倒す手伝いをしたことがある。

 その時、川辺でこうして焚き火をしたのだ。

 何でも興味のあったエウリアスは、火を起こすのもやらせてもらったというわけだ。


(師匠には感謝だな。師匠がいなければ、職人たちと親しくなることもなかったろうし。)


 エウリアスには、幼少の頃から剣の師匠がつけられた。

 その師匠が、エウリアスをいろいろ連れ出してくれたのだ。

 町にも山にも川にも行き、目にするもの、耳にするもの、すべてを学べと教えられた。

 実際にやってみることの大切さを教えてくれた。


 伯爵家の嫡男であるエウリアスが、職人たちの仕事場に行ったところで、邪魔以外の何物でもない。

 それどころか、恐怖の対象だ。

 粗相があっては、万が一があっては一大事、と。

 その壁を取り払ってくれたのが師匠だった。


 初めて浮き彫り細工レリーフを造っているところを見たエウリアスは、「やってみたい」と言った。

 当然、職人たちは止める。

 怪我でもさせたら、どんな叱責があるか分からない。

 しかし師匠は、エウリアスに道具を渡した。

 しっかりと木を押さえ、細心の注意をしないと怪我をすることなどを教えて。


 ……が、案の定怪我をした。

 それはそうだ。しないわけがない。

 指先から血を流すエウリアスを見て、職人たちは青くなった。

 だが、師匠だけは違う。

 エウリアスを叱り飛ばした。

 注意したことを聞かないから、怪我をするのだ、と。


 そうしたことを何度も目にし、職人たちもエウリアスを過度に恐れなくなった。

 危ないことは危ないと直接注意してくれるようになり、レリーフ造りのコツなんかも教えてくれるようになる。


 一年ほど前に、まだ修行の途中ではあったが、師匠が去ることになった。

 それでも、師匠が結んでくれた職人たちとの絆は、残り続けた。

 エウリアスにとって、師匠は剣の師というだけでなく、人生の師だと思っている。

 祖父や父と並び、心から尊敬できる人物であった。


「全然つかんぞ! なぜだ!?」


 エウリアスが物思いに耽っていると、そんな声が聞こえてきた。

 エウリアスは苦笑し、アドバイスをすることにした。


「殿下、最初は吹きかける息を弱くしてください。息に火の勢いが負けてしまいます。火の勢いが増したら少しずつ強めますが、それも少しで大丈夫です。すぐに息を吹きかけなくても、燃えるようになります。」

「ふーむ……、加減が難しいな。」

「コツを掴むまでは、私も失敗を繰り返しています。当たり前ですが。」


 エウリアスがそう言うと、トレーメルが頷く。


「そうだな。…………弱く、だな。」

「はい、そっと吹きかけてください。」


 そうして、少し苦労はしたが、トレーメルも火を起こすことができた。


「助かったぞ、エウリアス。」

「いえいえ。」


 周りを見てみると、ルクセンティアとバルトロメイも悪戦苦闘しながらも、何とか上手くできたようだ。

 平民のみんなは、割とできる子が多かった。

 普段の炊事などで、手伝ったりする女の子もいるだろうし、男の子なら川に遊びに行って焚き火をすることもあるだろう。


 すでに今日の課題が終了した子たちが立ち話をしている中、一人の女の子がまだ悪戦苦闘していた。

 その子は焦ってしまっているのか、必死な表情で強く息を吹きかけている。

 エウリアスはちょっと気になり、その子の方に何気ない風に歩いて行った。


「……ぐす……どうしてついてくれないの……。」


 その黒髪の女の子はあまり見覚えがないので、おそらく隣のクラスの子なのだろう。

 どうやらクラスでもあまり馴染めず、友達がいないようだ。


「時間はまだ大丈夫だから、焦らないで。」

「ヒッ……!?」


 急に話しかけられ、女の子がビクンと震えた。

 特徴的なポニーテールの髪も、ピクンと跳ねる。

 その女の子は、俯いていた顔を上げると、目を見開いて青褪めた。


「え、あ、お……お貴族様……っ!?」


 女の子が、唇を震わせて呟く。

 一体何を言われるのか、と恐れているのだろう。

 エウリアスはニコッと微笑んだ。


「大丈夫だから。焦らないで。息はそっと吹きかけるだけでいいよ。」


 そう言って、女の子の前にある枯草と枯れ枝を少し直してあげる。


「こうやって、吹きかけた息が通りやすくしてあげるといいよ。」

「あ……あの。」

「火打石はこの辺ね。なるべく近づけて、ここを狙う感じで。」


 エウリアスは、女の子の横に置かれた火打石を拾うと、手渡した。


「はい。やってみて。」


 女の子は、目を見開いて固まっている。

 エウリアスが微笑んだまま待っていると、女の子が我に返った。


「息を吹きかける時はそっとね。」

「は、はい……っ。」


 女の子は手を震わせながら、ぎこちなく火打石を打つ。

 だが、なかなか上手くいかなかった。


「ちょっとストップ。」

「は、はひっ!?」


 エウリアスが止めると、女の子は声を裏返しながら返事をした。


「落ち着いて。深呼吸しようか。すぅーー、はぁーー……。」


 何度かやってみせると、女の子もエウリアスに合わせて深呼吸をする。


「落ち着いたかな? じゃあ、やってみようか。」

「……はい。」


 まだ完全には落ち着いてはいないだろうけど、さっきまでのガチガチな状態ではなくなったようだ。

 手は震えているが、しっかりと火打石が打てるようになった。


 やがて、枯草から微かに煙が上がった。


「そっと……。」

「はい。ふ、ふぅ……、ふぅ……。」


 枯草を追加し、枯れ枝を近づける。

 火が枯れ枝に燃え移り、大きくなった。


「ほら、できた。簡単でしょ?」

「あ……。」


 女の子が吐息のように声を漏らし、顔をくしゃっと歪ませた。

 エウリアスは立ち上がると、元の場所に向かって歩き出す。


「あ……ありがとうございました……ぐす。」


 お礼の言葉にエウリアスは振り返り、軽く手を振った。

 そうして元の場所に戻ると、トレーメルが呆れたような顔をしていた。


「面倒見がいいにもほどがあるな、エウリアス。」

「面倒ではありませんから。」


 そう笑って返すと、トレーメルが肩を竦めた。


 初めてやるのなら、上手くできないのは当たり前。

 その当たり前のことを教えてくれた師匠に、エウリアスは改めて感謝するのだった。




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