第9話 一番の苦行?




 騎士学院が始まって三日ほどが過ぎた。

 こちらでの生活にも少しずつ馴染み、エウリアスは自分の生活リズムを構築しつつあった。


 ラグリフォート伯爵領にいた頃は、特に早起きなどはしていない。

 普通に、使用人が起こしに来たら起きるだけ。

 ただ、王都の生活では、それでは少々困ることがあった。


 日中を学院で過ごす必要があるため、自分のやりたいことができないのだ。

 特に、身体を動かす時間が授業のみになってしまい、鈍ってしまう。

 これではいかん、と早起きをすることにした。


 早朝の柔らかな陽光を浴びながら、エウリアスは庭を走る。

 屋敷の庭は広く、一周で三キロメートルくらい。

 敷地の中には、小さいながらも騎士たちの訓練場がある。

 厩舎もあり、馬が二十頭以上飼われていた。


 この馬は、普段の通学で使う馬車を引く以外にも、騎士たちが使う軍馬でもあった。

 勿論エウリアスが乗ってもいいので、今度少し遠出でもしてみようかな、と考えている。


 そんなことを考えながら、エウリアスは敷地を囲う柵の内側を一周してきた。

 ちなみに、このジョギングにも護衛騎士がつく。

 さすがに鎧は重いので、革の胸当てなどの軽装備に留めているが。


「はぁーっ、はぁーっ、はぁーっ……!」


 身体を解すためのジョギングを終えると、軽くストレッチ。

 水分の補給もしてから、次のトレーニングへ。


 エウリアスは騎士から愛用の長剣ロングソードを受け取ると、腰に佩いた。

 シャリン……と軽く鳴らし、鞘から引き抜く。


 騎士が離れたの確認し、中段に構える。

 呼吸を整え、意識を集中する。

 そこから、ゆっくり、ゆっくりと剣を動かし、『型』を確認する。

 剣先まで意識を延ばし、ゆっくりとした動きで、思い描いた太刀筋をなぞらせる。


 極論すれば、人を殺すのに力も技も不要。

 ソードがあれば、軽く首に押し当てて、押すか引くかしてやればいい。

 ただ殺すだけなら、それで十分だ。


 だが、相手も人形ではない。

 当たり前だが、黙ってられてなどくれない。

 そのために、力があり、技がある。


 素早く振れば、見えてしまう。

 

 思い描く太刀筋から、切っ先が数ミリメートルもズレてしまえば、それはもう別物。

 そのため、素早く動かして誤魔化せないように、ゆっくりとした動きで、太刀筋を確認するのだ。







「ふぅーーっ……!」


 汗だくになりながら時間をかけ、一連の動きを確認する。

 その後は同じ『型』の動きを、普通の速さでなぞる。

 やはり鈍っているようで、思った通りの動きからは離れてしまっていた。


「うーん……まだまだだなあ。」


 師匠の太刀筋には、ほど遠かった。

 女中メイドの差し出したタオルを受け取り、汗を拭う。


「坊ちゃんは目標が高すぎですよ。もう少し気楽に行きましょうや。」


 タオルで顔を拭いていると、声をかけられた。

 屋敷のエントランスから、まだ髭も剃っていないパジャマ姿のタイストが歩いてきた。

 つーか、ピンクのパジャマって。


「おはよう、タイスト。」

「おはようございます、坊ちゃん。」


 エウリアスは、あえてパジャマには触れず、挨拶をした。


 護衛騎士たちは、別館に二人一組で部屋が用意されている。

 だが、タイストはエウリアスの護衛の責任者であり、屋敷の警備責任者も任されている。

 そのため、エウリアスの住む本館に私室が与えられていた。

 こうした待遇の者は他にもいるが、執事やメイドの中でも、ごく一部の者だけだ。


「今からそれじゃあ、これから何年も通う騎士学院がつまらなくなりますよ?」

「そうでもないでしょ? みんなでワイワイやってるのも、結構楽しいよ。」


 これまでは、家庭教師に勉強や剣術を習っていた。

 そのため、同じ年齢としの子が集まる学院を、エウリアスは結構楽しんでいた。


「まあ、もう少し運動する時間を増やして欲しいとは思うけど。」

「…………そのうち、そんなことも言ってられなくなりますけどね。」


 そう言って、タイストが遠い目をし始めた。

 よく見ると、他の護衛騎士たちも同じ目をしている。

 学年が上がると、そのうちとんでもないメニューが課されるのだろうか。


「そろそろ切り上げてください、坊ちゃん。遅刻はしたくないでしょう?」

「そうだね。」


 タイストのアドバイスに頷き、エウリアスは浴室に向かった。







 広々とした浴室でしばしくつろぎ、汗を流すと、学院の制服に着替える。

 ラグリフォート伯爵家の家紋が、大きな宝石のぶら下がったネックレスを、シャツの内側に入れる。

 このネックレスは、エウリアスが六歳の時に父ゲーアノルトから贈られた物だ。

 決して肌身離さず身に着けているように、と言われていた。


 エウリアスの成長とともに、ネックレスのチェーンは交換されたが、この不思議な宝石だけはずっと身につけている。

 父は明言しなかったが、おそらくラグリフォート伯爵家の者であることを証明する物なのだろうと、エウリアスは見当をつけていた。


「おはようございます、エウリアス坊ちゃま。」

「おはよう、ステイン。」


 メイドを引き連れて食堂ダイニングに行くと、執事のステインが朝食の準備を整えて待っていた。

 席に着くと、すぐに朝食が運ばれてくる。

 そうして並べられた朝食を見て、エウリアスは思わず溜息をついてしまう。

 そんなエウリアスの様子に、ステインが慌てた。


「エウリアス坊ちゃま。何か不手際がございましたでしょうか。」

「いや、そうじゃないんだけど……。」


 エウリアスは、朝食に向けていた視線を少しだけ上げた。


「さすがに広すぎだよ。いくら何でも、これは慣れないよ。」


 そう言って、エウリアスは両側に十五個の椅子の並ぶ、馬鹿でかいテーブルを指さした。

 三十人が余裕で食事のできるテーブルで、エウリアスが一人で食事を摂るのだ。

 毎日毎日毎日毎日……それも、数十人の使用人たちの前で。

 落ちつかねーよ!

 つーか、ダイニングが広すぎなんだよ!


 広すぎる私室にも慣れないが、使用人たちの集まる中での食事も、エウリアスは慣れなかった。


「ラグリフォート領の実家いえにいた時だって、ここまで使用人は集めなかったよ。 何でここでは、こんなに大集合してるんだよ。」

「勿論、エウリアス坊ちゃまに慣れていただくためです。」

「…………………………。」


 これも、あるべき貴族としての姿。

 その修行の一環、というわけだ。

 エウリアスの騎士学院での五年間は、学院よりも、屋敷にいる時の方が大変かもしれない。


 そんなことを思いながら、もしゃもしゃとサラダを食べ始めるエウリアスだった。




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