第8話 お小遣い




 教室で教師からの連絡事項を聞き、騎士学院の初日は終了となった。


「それでは殿下。これからよろしくお願いいたします。」

「ああ、こちらこそな。」


 トレーメルはこの後も、学院の上の人と顔合わせがあるらしく、教室で別れた。

 我が心の女神、ルクセンティア・ホーズワースも殿下に挨拶をすると、流れでこちらに挨拶をした。


「それでは、また明日。」

「は、はい! ルクセンティア様、また明日!」


 エウリアスはビシッと気をつけをして、ルクセンティアに挨拶を返した。

 いかん、ついつい意識して、固まってしまう。

 だって、すっごい綺麗な子なんだもん。


(はぁー……、本当に素敵な子だなあ。)


 澄んだ翡翠のような瞳。

 流れるように艶やかな金色の髪。

 木剣を振るっていた時の、美しい姿勢。

 どれをとってもパーフェクトだった。


 エウリアスは、教室を出て行くルクセンティアを、うっとりとした表情で見送った。

 そして、エウリアスが気がついた時には、隣の席のバルトロメイはすでにいなくなっていた。


(もしかして、挨拶を無視しちゃった?)


 声をかけられた記憶がない。

 きっと、エウリアスの様子に呆れて、声をかけずに帰ったのだろう。







 教室を出て、馬車に向かう。

 護衛騎士のタイストを始め、数人の騎士が整列して待っていた。


「お帰りなさいませ、坊ちゃん。学院の初日はどうでしたか?」

「ははは……まあ、それなりにいろいろあったよ。」


 鞄を渡しながら、エウリアスは答えた。

 馬車に乗り込むと、タイストが長剣ロングソードを差し出す。

 エウリアスはロングソードを受け取ると、早速ベルトに留め金を付けた。


「何やら、屋内運動場の方からすごい笑い声が聞こえてきましたが、何かあったんですか? こっちまで聞こえてきたので、びっくりしましたよ。」


 馬車が動き出し、タイストが尋ねる。

 タイストは、初日に測定が行われることを知っていた。

 だが、自分が通っていた頃は、そんな大騒ぎになるようなことはなかった。

 そのため、何か催しでもあったのかと思ったそうだ。


「いやあ……実はさ。」


 エウリアスは、自らの失敗を話した。

 その話を聞き、タイストは肩を震わせた。


「坊ちゃんらしいって言えば坊ちゃんらしいですが。まあ、仕方ないですね。普段の得物と違うんじゃ、目算が狂うのも無理はありません。」

「達人は、どんな得物でも使いこなすってさ。師匠に聞いたよ。」

「坊ちゃんは達人なんですか?」


 タイストの突っ込みに、エウリアスは肩を竦める。


「そうそう、すっごい綺麗な子がいたよ。」

「へぇ……坊ちゃんがそんなこと言うなんて珍しい。『妄想に勝る女の子はいない』でしたっけ?」

「そう、それ! 俺の妄想が漏れ出たのかと思った。」

「何ですか、それは……。」


 エウリアスの言い草に、タイストが呆れたような顔になった。


「で、坊ちゃんのハートを掴んだ女の子は、どこのどなたなんです? 名前さえ分かれば、こっちで素性を調べることもできますよ?」


 相手の背景を調べ、エウリアスに相応しいかどうかを確認するのだろう。

 もし平民だったら、遊び相手に適しているかどうか、なんて基準でも。


「ホーズワース公爵の三女、ルクセンティアっていう女の子なんだけど。」

「ホッ――――!?」


 思わぬ大物の名に、タイストが目を見開いて固まった。

 ガタゴトと揺れる馬車の中で、しばらく無言の時間が流れる。

 やがて、タイストの視線がゆっくりと泳ぐと、遠くを見つめた。


「……初恋なんてのは、儚いもんでしてね。」

「おいぃぃいいっ! 終わったことにすんな!」


 タイストが、実らぬ想いを儚んだ。


「ではお聞きしますがね。本気でホーズワース公のお嬢さんが、坊ちゃんのお相手をすると?」

「うっ!」


 そんなわけない。

 相手は上級貴族。それも、名門中の名門だ。

 ちょっとばかし実家の羽振りが良かろうと、エウリアスは所詮は伯爵家。

 将来の嫁ぎ先候補の、リストに載ることすらないだろう。


「いくら坊ちゃんでも、さすがにそれだけは止めさせてもらいますよ? ホーズワース公に睨まれたら、ゲーアノルト様のお仕事にも影響します。下手すりゃラグリフォート家おいえが傾きますよ?」

「…………分かってる。」


 それが、現実。

 貴族と平民では世界が違うというが、実際は貴族の中でも違いがある。

 上級貴族家とただの貴族家でも、やはり世界が違うのだ。

 相当に金に困り、格下の家に娘を嫁がせたりすることもあるが、ホーズワース公爵家ではそれもあり得ない。


「はあ……モデルだけでも、お願いできないかなあ。」

「モデル? …………って、まさか!?」


 エウリアスの漏らした言葉の意味を理解し、タイストが顔を引き攣らせた。


「お付き合いしたいとか、そういうのはいいんだよ。ただ、浮き彫り細工レリーフのモデルとかだめかなあ、って。」

「それ、絶対本人に言わないでくださいね……。」


 真剣な顔でタイストが釘を刺した。







 そんな、学院であったことを話す。

 屋敷に着くと、すぐに昼食となった。


「…………そう言えばさ。」

「はい、何でございましょう?」


 フォークに刺した肉を口元に運び、一つ思い出す。

 傍らに控える執事のステインが、傾聴するように軽く身体を傾けた。


「俺って、今まで小遣いってもらったことなかったんだよね。」

「そうですね。ラグリフォート伯爵領…………お屋敷の周囲の店では、エウリアス坊ちゃまが直接支払う必要はございませんでした。」

「でも、王都ではそうもいかないでしょ?」

「おっしゃる通りです。」


 ステインが目配せすると、一人の騎士がチェーン付きのカードを差し出した。


「エウリアス坊ちゃまがご自分で管理する必要がないというだけで、すでにその辺りも手配してございます。」

「あ、そうなんだ。」


 俺が手を伸ばすと、黒いカードが乗せられる。


「これ、もしかして財布カードウォレット?」

「ご明察です。」


 ステインが、恭しく会釈する。

 これは、魔法具の一種だ。

 確か、お金のやり取りが、このカードだけで済むとか。


「ラグリフォート伯爵領ではあまり普及しておりませんが、王都では大抵の店で対応しております。こちらのカードを出せば、その場で支払いが完了します。」

「へぇ……初めて見た。」


 聞いたことはあったが、実物を見るのは初めてだった。

 王都って便利なんだな。


「それで、俺の小遣いっていくら?」

「月に三百万リケルでございます。」

「さんびゃっ……!?」


 多いわっ!

 エウリアスは、目を丸くしてウォレットを凝視した


「え、何……三百? まじで?」

「はい、そうですが…………少なかったでしょうか?」

「多いんだよ! そんなにいらないよ!」


 ていうか、それって年間で三千六百万ってこと?

 俺って、王子よりも小遣い多いの!?


「必要な時に足りないと、少々恥ずかしい思いをされます。多くて困ることもないでしょう。」

「そうかもしれないけど……。」

「如何しましょうか? 今後はご自分で管理されますか?」


 エウリアスは微妙な表情をしながら、チェーンをベルトに留め、カードをポケットに仕舞う。

 基本的に護衛騎士と一緒にいるから、自分で持つ必要がないと言えばない。

 しかし、少しは自分でも使って、慣れておくのもいいだろう。


(王子のトレーメルでも、年間で二千万って言ってたよな。倍近いじゃないか……。)


 そう思うが、金額の妥当性はまた後でいいだろう。

 王都の物価も分からないのだから、多いか少ないかは予想でしかない。

 ……いや、絶対多いだろ!


 ちなみに『リケル』というのは、このリフエンタール王国の通貨単位だ。

 通貨はすべて硬貨で、銅貨、大銅貨、銀貨、大銀貨の四種類。

 銅貨が十リケルで、大銅貨、銀貨、大銀貨と価値が十倍していく。

 つまり、大銀貨が一万リケルということになる。


 一応金貨もありはするが、これは一般には流通していない。

 貴族や、一部の大商会だけが取り扱うことを許された、高額決済専用となる。

 金貨や金塊は国外への持ち出しも厳しく制限され、金の流出を防いでいるらしい。


 勿論、一切禁止しては輸入もままならないため、ある程度は流出してしまう。

 だが、逆に輸出すれば入ってくることになる。

 この辺りのバランスを考え、輸出入を管理しているそうだ。







 エウリアスはポケットに手を入れ、ウォレットに触れてみた。

 そうして、その冷たい肌触りを確認し、また微妙な表情になってしまうのだった。




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