第6話 戦の女神




「ヤアアァァアアッ! タアッ!」


 エウリアスは、視線の先の女の子を見つめる。

 身体の動きに合わせ、金色の髪が揺れていた。

 そして、見えそうで見えない絶妙な加減で、スカートが翻る。


(……いやいや、そっちはどうでもよくって。)


 エウリアスは、女の子の姿勢に魅入っていた。

 ここにいるということは、同じ年齢としのはずだ。

 だが、その子の剣技は、実に見事だった。


(美しい姿勢。太刀筋も悪くない。)


 ブレザーの刺繍を確認する。

 遠目にだが、貴族家の縁者であることを表す刺繍のようだ。


(まあ、女の子だしね。じゃないのは当たり前か。)


 そうして眺めていて、護衛の騎士らしき二人が、近くに控えていることに気づいた。

 俺は係官に、軽く手を挙げて合図を送る。

 すぐに係の女性がやって来た。


「どうなさいましたか?」

「あの女の子は、どなたの縁者の方か。」


 基本的に、騎士学院では護衛騎士は禁止されている。

 まあ、いろいろ理由があるのだが、要約するとトラブルを防ぐためだ。

 ちょっとしたことであっても、自分が仕える家のことを馬鹿にされたり、蔑ろにされると黙ってはいられない。

 そんなことが過去にあり、『学院生の帯剣禁止』『護衛騎士禁止』の規則が作られた。


 だが、何事にも例外がある。

 それが王族と上級貴族だ。

 王族と上級貴族の嫡男だけは、護衛騎士が認められていた。勿論、帯剣も。

 伯爵家以下は、どちらも禁止である。

 これは「伯爵家ごときの嫡男など、代わりはいくらでもいるだろう?」という考えの下、設けられたルールだ。

 同じ貴族家の嫡男でも、上級貴族家とそれ以外では、やはり重みが違うということだ。


 そして、件の女の子。

 本来であれば、貴族家の縁者には護衛騎士は認められない。

 例外でも、縁者に適用される『護衛騎士』の項目に心当たりがなかったので、原則を曲げたと捉える方が正しいと睨んだわけだ。


(こういうは勘弁して欲しいよなあ。)


 刺繍を見て、なんだ自分より下か、なんて思ったら実は…………というのはやめて欲しいと思う。


 係の女性は、女の子を一目見て、すぐに頷く。


「あちらはホーズワース公の三女、ルクセンティア様ですね。」

「なるほど、ホーズワース公爵家所縁ゆかりの方か。ありがとう、貴女は私の命の恩人だな。知らずに無礼を働けば、命がなかった。」

「まあ、ご冗談を。」


 係の女性はにこやかに微笑み、戻って行った。


(ホーズワース公爵家のご息女か。…………ほんと、勘弁してくれ。)


 ホーズワース公爵家。

 数ある貴族家の中でも、一際重要とされる名門中の名門。

 王家に嫁がせだり、王家から嫁いできたりと、非常に親交が深い家の一つだ。

 おそらく、同じ公爵家の中でも、かなり頂点に近い家格なのではないだろうか。


 厳密な今現在の影響力は分からないが、あの女の子は相当に要注意な存在だ。

 エウリアスが内心冷や汗をかいていると、女の子の試験だか測定だかが終わったようだ。

 木剣を教師らしき人に返し、こちらを振り向いた。


「――――ッ!?」


 しなやかに揺れる金髪。

 美しい翡翠のような瞳。

 整った相貌は凛々しく、微塵の穢れもない清らかな御姿。


「…………マリーアンヘーレ……。」


 それは、エウリアスが思い描く、戦の女神マリーアンヘーレそのもののようだった。

 美しく、可憐で、凛々しく、勇敢。

 戦場では戦士たちを鼓舞し、自らも剣を手に先頭に立ち、勝利へと導く女神。

 理想の女性像が、エウリアスの妄想から飛び出したのだった。


 目を見開き、口をあんぐりと開けていると、ルクセンティアがエウリアスの前にやって来た。


「初めまして。ホーズワース公爵家三女、ルクセンティアと申します。」


 美しい姿勢で、軽く会釈するルクセンティア。

 だが、エウリアスはその姿にすっかり魅入ってしまっていた。


「…………………………………………。」

「…………あの……?」

「…………………………………………。」

「……………………。」


 エウリアスが返事をしないため、微妙な空気が流れる。

 護衛騎士は、エウリアスがルクセンティアを相手にしていないと勘違いしたのか、剣呑な視線を向けた。

 その気配に気づき、エウリアスはようやく我に返った。


「し、失礼いたしました、マ…………ルクセンティア様。私はラグリフォート伯爵家のエウリアスと申します。」

「ラグリフォート伯爵家の方ですか。以後、お見知りおきを。エウリアス様。」

「い、いえ、こちらこそ、どどどうぞよろしくお願いいたします。ルクセンティア様。」


 そうして少々気まずい自己紹介をしていると、エウリアスの名前が呼ばれる。


「エウリアス様。ラグリフォート伯爵家のエウリアス様。」


 どうやら順番がきたようだ。


「私の番のようです。そ、それでは、失礼いたします。」


 ぺこぺこと会釈して、エウリアスは奥に向かった。

 そんなエウリアスを、ルクセンティアは微かに眉を寄せ、見る。


 エウリアスの態度は、明らかにおかしかった。

 キョドっていたことではない。

 伯爵家の嫡男なのだから、たとえ公爵家の令嬢が相手でも、そこまでへりくだる必要はない。

 礼を失しても構わないということではなく、あくまで対等な相手として接すれば十分なのだ。

 そして、もし無礼を働かれても、飲み込むべきはルクセンティアの方。

 ただ、ルクセンティアの後ろにいる公爵の存在を考えれば、無礼を働くような命知らずは普通はいないが。


 そうした背景を元に、今のやり取りを考えると、ルクセンティアのエウリアスへの第一印象はこうなる。


「…………嫌な感じ……。」


 理想の相手から、最悪の評価をいただいたエウリアスだった。







 額に浮き出た汗を拭いながら、エウリアスは教師の方に向かった。


「ふぁー……すっごい可愛い子だったなあ。何だよ、あれ。反則だろ。」


 どうやら、妄想とは漏れ出てしまうと、現実に具現化することがあるらしい。

 てことは、もっと垂れ流せば、この世は理想郷?

 そんなことを考えながら、教師の下へ。


「エウリアス様。こちらをお使いください。」


 そうして渡されたのは、紛うことなき木剣。

 そして、少し離れた所に人型の木がある。

 人の胴体を模したその木を、この木剣で叩けということらしい。


「何度試していただいても構いませんが、記録されるのはもっとも強く叩いたものだけになります。」


 どうやら、この木剣と人型の木は、魔法具のようだ。

 あまり普及はしていないが、こうして特殊な効果を付与させた道具というのは、見たことがある。

 仕組みついては、よく知らないが。


 エウリアスは、珍しそうに木剣を見る。

 そうして、手だけで軽く振ってみた。


っる。まんま玩具おもちゃだね。)


 こんなので思いっきり叩いて、折れないのだろうか。

 折れにくい、といった効果も付与しているとか?


 そうして軽く振りながら、人型の木の前へ。

 いつもの間合いに立つ。


(……結構短いのな。)


 木剣は、重さが玩具なら、長さも玩具だった。

 エウリアスは、もう一歩近づいた。


 左手で木剣を持ち、腰の横に軽く当てる。

 木剣の柄に、右手を軽く乗せた。

 目標を見据え、柄を握り、右足を大きく踏み出しながら一気に振り抜く。


 ダンッッッ!!!


 エウリアスの、強く踏み込んだ音が響く。


 スカッ!


 ビュッと鋭い風切り音を立てて振り抜いた木剣は、目にも止まらぬ速さで空振りした。


「あり?」


 手元を見る。

 木剣はちゃんとある。すっぽ抜けたわけではない。


「………思った以上に短かったな。」


 軽く木剣を振りながら、そんなことを呟く。

 エウリアスは、ふと気まず~い視線を感じ、教師の方を見た。

 教師は唇を震わせ、その後ろの記録係の人は、俯いて肩を震わせていた。


「ぷっ!」


 どこかで、堪えきれず吹き出す音が聞こえた。

 その瞬間に、ドッと笑いが沸き起こった。

 どうやら、強く踏み込んだ音で、注目を集めてしまっていたらしい。


「思いっきり空振りしてたぞ、あいつ!」

「なんか、木剣が短いとか言い訳してなかったか?」

「だ、だめよ、相手はお貴族様よ……ぷっくく……し、失礼よ。」


 エウリアスはきょとんとする。


「ま、いっか。」


 そうして、更に一歩近づき、木剣でコツンと人型の木を叩いた。

 教師の下に行き、木剣を渡す。


「はい、ありがとう。返します。」

「え? よ、よろしいのですか? 何度か試されても大丈夫ですが……。」


 そう言われるが、エウリアスは周囲を見回した。


「いえ、お騒がせしてしまったようで申し訳ない。私の記録は、それで大丈夫です。」

「は、はあ……。分かりました。」


 笑いの静まらぬ会場で、エウリアスだけは涼しい顔で、元の場所に戻るのだった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る