第3話 旅立ちの心象風景
父ゲーアノルトから、騎士学院行きを命じられた翌日。
旅立ちの日にはまったく相応しくない、見事などしゃぶりの雨だった。
そんな早朝にも関わらず、屋敷のほぼすべての使用人たちが見送りに来てくれた。
「……ユーリ坊ちゃまっ! こんなにご立派になられてっ……このポーツス、嬉しゅうございますっ!」
「いや、これから出るんだけど……。」
なぜか、老執事のポーツスは感涙にむせび泣いていた。
意味が分からん。
正面に立つ父が、真剣な目でエウリアスを見る。
「しっかりと励むのだぞ。向こうで何か不足があれば、遠慮なく言いなさい。さすがに
「お気遣いありがとうございます、父上。ですが、まあ何とかなりますよ。」
そうして、父と頷き合う。
「では、行ってきます。」
「うむ。行って来い。」
「ぼっぢゃばぁ~……!」
ポーツスが、くしゃくしゃの顔でエウリアスを呼ぶ。
エウリアスは苦笑し、そんなポーツスと使用人たちに手を振った。
「行ってくる。」
「「「行ってらっしゃいませ!」」」
「「「ユーリ坊ちゃん!」」」
「「「お身体にお気をつけて!」」」
馬車に乗り込み、すぐに出発。
屋敷を出て町中を通ると、
職人たちや商人たち、その家族などだ。
一体、どこから聞きつけたのやら。
「「「お元気でえーー!」」」
「「「また遊びに来てくださいねーっ!」」」
そんな声に送られながら、エウリアスは故郷を旅立った。
馬車に揺られて数時間。
すでにエウリアスの胸には、故郷を離れる寂しさが去来していた。
王都にある騎士学院では、近くに家を借りて通うことになるそうだ。
すでに必要な使用人も家具も送られており、あとはエウリアスが到着すればいつでも生活が送れるという。
(最近、屋敷の使用人がちょっと少なくなった気がしてはいたけど……。)
以前からラグリフォート伯爵家に仕えていた使用人の一部を、王都に送り込んでいたらしい。
ラグリフォート伯爵家では、屋敷だけでも使用人は百人を超えている。
部屋数が五十もある屋敷を維持するのだから、それくらいいるのは当たり前。
ちなみに、伯爵家の屋敷としては、このくらいは割と普通の部類。ちょっとだけ多い方かな、程度だ。
子爵や男爵の屋敷ではもっと小さくなるし、公爵や侯爵の屋敷となると、部屋数が百を超えることもある。
そして、ラグリフォート家は王都にも別邸があり、これからエウリアスが住む家とは別だ。
王都の別邸は元々所有しているが、どうやら郊外にある騎士学院に通うには、少々不便らしい。
そのため新たに家を借りて、本家と別邸の使用人をそれぞれ送り込み、管理させる。
これらの準備はその周到さから、かなり以前から進められていたことが窺えた。
エウリアスは、王都へ向かう馬車の中で、そっと溜息をつく。
(やることやってるんだから、あとは好きにしたっていいじゃないか……。)
たびたび領地を離れる父ゲーアノルトは、いつもエウリアスに課題を与えていた。
伯爵家を継ぐに相応しい教育、ってやつだ。
これらの課題を、エウリアスはきちんとこなしていた。
その上で、余った時間で職人たちの所に遊びに行ったり、
だが、どうやらその
いろいろと、吹き込む人もいただろうし。
(はぁ…………母上にも困ったものだ。)
実は、現在の母はエウリアスとは血の繋がりがない。
所謂、後妻というやつだった。
エウリアスの実母は、産後の肥立ちが悪く、エウリアスを出産した一年後くらいに亡くなったらしい。
その後すぐ、父は侯爵家から後妻を迎えたそうだ。
これを「政略結婚だった」なんて噂する使用人たちの話を、エウリアスも耳にしたことがある。
そのためエウリアスは、母と少々折り合いが悪かった。
顔を会わせるたびに罵り合う、なんて話ではないが。
ただ、どうやら母は、エウリアスの弟を跡継ぎに据えたいらしい。
弟はエウリアスの二つ下で、現在十二歳。
父と母の間に生まれた、実子だ。
例外規定はあれど、法律では長男が家督を継ぐことが明記されているため、エウリアスの地位は安泰。
だが、普段のエウリアスの素行をいろいろ吹き込んでいるのは、おそらく母だ。
老執事のポーツス辺りは、そうした場面にたびたび出くわしたのだろう。
また、父に求められ、ポーツスもエウリアスの普段の行いを報告していたはずだ。
ポーツスの様子から、エウリアス寄りの報告をしてくれていたのだと思う。
しかし、母が吹き込む内容もまた事実であり、こうして「学院で性根を叩き直して来い」という仕儀となったわけだ。
(まあ、家督争いなんて、然して珍しい話でもないけどね。)
こんなのは、どこにでも転がっている話だ。
貴族に限らず、ちょっとした商会にだって、こうした話はある。
もう何百年も前、貴族家が家督を巡る争いに精を出すようになり『家督は長男が継ぐもの』という法律ができた。
おかげでエウリアスの立場が脅かされることはないが、それでも諦めの悪い人はいる。
その諦めの悪い人の事件などは、時々流れてくるゴシップとして、大衆の耳を楽しませていた。
馬車の小窓を少しだけ開け、エウリアスは空を見上げた。
自らの陰鬱な気持ちを表すような、覆い被さる灰色の雲を見て、エウリアスは再び溜息をついてしまうのだった。
午後になり、少し雨が弱まった。
馬車は相変わらず、ぬかるんだ道を進んでいた。
「あぁるぅ雨のぉ、ひぃるぅ下がりぃ、王都ぉへつづぅく道ぃ~……。」
物悲しいメロディが、狭い車内に流れる。
「ばぁあしゃ~がぁ、がぁ~たぁ~ごぉ~とぉ~、俺ぇをぉ~乗せてぇ~行くよぉ~……。」
エウリアスの口から紡がれる、その憂鬱な歌に、向かいに座った騎士のタイストが顔をしかめた。
タイストは、三十代の優秀な騎士だ。
父より、王都でのエウリアスの護衛隊の責任者を仰せつかっていた。
「あの……坊ちゃん? その歌、やめてもらってもいいですか?」
「何でだよ。長い道中、歌でも歌って気を紛らわせるくらいいいだろ。」
実際は、全っ然紛れてないけどな!
「なんか、その歌を聞いてるとこう……売り飛ばされる子牛を載せた、馬車の光景が浮かんでくるんですよ。」
「あ、そう? 俺もなんか、そんなイメージで歌ってたわ。」
売られていく、可愛がっていた子牛を見送る。そんな心象風景。
まあ、載せられてるのは、子牛じゃなくて俺だけどな。
「もっと景気のいい話をしましょうよ。せっかく王都に行くんですし。」
「そうは言っても、どうせ郊外の方だろ? 別にそれは構わないけど、俺は緑豊かな自然が好きなの。」
ラグリフォート伯爵領の雄大な自然こそ、我が心の
心の故郷っていうか、普通に生まれ故郷だけど。
「自然も結構ありますよ? 坊ちゃんの家からも、割と近いです。馬なら少し走ればすぐですよ。」
「あ、ほんと?」
それは有り難い。
きっと、王都での家を手配したのはポーツス辺りだろう。
エウリアスのことを考え、そうした物件を選んでくれたのだ。
「騎士学院も、行けばそんなに悪い所でもないですよ。坊ちゃんなら、きっと楽しめます。」
「そう言えば、みんなも行ってるだよね。当たり前だけど。」
今、エウリアスの護衛につけられた騎士は十名。
当然、全員が騎士学院を修了している。
ちなみに、王都の借りた家にも、別邸から十名を回しているらしい。
合計で二十名だ。
学院内では、上級貴族の嫡男以外は護衛騎士をつけられないが、学院外での護衛や家の護衛は当然つけられる。
何たって、伯爵家の嫡男だし。
「年々入学者が減っているらしいですが、それでもそこそこ人気の職業ですからね。いろんな地方からいろんなのが集まります。見聞を広げるにもいい環境ですよ。」
「まあ、そうかもね。」
「そうですって。」
そこでタイストが、にやりと悪い笑顔になった。
「それに、家から離れれば、煩いこと言う人もいないでしょう?」
「――――ッ!?」
「坊ちゃんの成績を見れば、ゲーアノルト様も納得されます。しっかりやっていることを、学院が証明してくれるんですから。」
「そうか。…………で、余った時間は。」
エウリアスも、つい頬が緩んでしまう。
「そう言うことです。可愛い子がいたら、連れ込んでもいいですよ? ゲーアノルト様には黙っておきますから。」
「あ、そういうのは別にいいや。」
タイストの提案を、あっさりとエウリアスは切り捨てる。
「何でですか!? 王都ですよ? お洒落ですよ! 可愛い子もいっぱいいますよ!」
「妄想に勝る理想の女の子などいないわっ!」
悪い遊びを唆すタイストに、エウリアスは間髪入れずに断言した。
悲しいかな、エウリアスは少々残念な女性観を持っていた。
ちなみに、エウリアスの理想は神話に登場する『戦の女神マリーアンヘーレ』である。
以前読んだ本に描かれていたその御姿は、可憐でありつつも凛々しく、どストライクであった。
「それに、学院を頑張るってのもなあ……。欲しいのは『修了した』っていう結果だけで、成績なんかピンでもキリでも変わらんでしょ。」
騎士を目指すならば、学院での成績は重要だ。
学院終了後に、王国軍に優先して入れる。
平和な世が続き、今は王国軍も各領主軍も、そこまで騎士の補充をしていない。
さすがに路頭に迷うことはないが、希望通りの就職先に取り立てられるには、やはり学院での成績がものをいうのは当然だろう。
だが、エウリアスの場合は、少々事情が異なる。
エウリアスは騎士学院を無事に修了しました、という結果が欲しいだけなのだ。
更に言えば、その結果を欲しているのも、エウリアスではない。
父が欲しているだけ。
これなら領地を任せても大丈夫、と安心を得るために。
エウリアスは肩を竦め、小窓から見える風景を眺めた。
雨に煙る風景を眺め、故郷から遠く離れた王都での生活を、何とはなしに思うのだった。
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