第2話 ラグリフォート伯爵家の嫡男2




「ようやく来たか、エウリアス。」


 執務机に着き、書類を書いていた父が顔を上げ、入室してきた少年を真っ直ぐに見る。


 少年の名前は、エウリアス・ラグリフォート。

 親しい者は、愛称のユーリで呼ぶことも多い。


 父親譲りの栗色の髪に、青い瞳。

 ラグリフォート伯爵家の長男にして、嫡男。

 ……なのだが、少々貴族らしくないと巷では評判だった。

 勿論、いい意味で。


 そして、エウリアスを呼び出したのが、父ゲーアノルト・フォン・ラグリフォート。

 三十代後半の、がっしりとした体格。

 ラグリフォート伯爵家の現当主であり、貴族とは剣によって王家を支えるべし、が持論の男だった。


 ゲーアノルトは、見た目は武人寄りだが、決してそちらに才能が偏ったわけではない。

 現在のラグリフォート伯爵領の隆盛は、先代の当主とゲーアノルトによるものと言える。


 領内で生産される工芸品を、高級路線に舵を切り、成功を収めたのが先代。

 それまで国内でのみ消費されていたラグリフォート伯爵領産の家具などを、ゲーアノルトが国外にも販路を拡大。

 これが大いに当たり、大成功を収めていた。


 エウリアスは姿勢を正し、ゲーアノルトに挨拶を返す。


「お帰りなさいませ。お久振りです、父上。商談は如何でしたか?」

「問題ない。あちらからどうしても扱いたいと請われて、視察に行っていただけなのでな。だめなら蹴れば済む話だ。」


 ラグリフォート産の家具を扱いたいと請われたが、どのような商会かもよく分からない相手には、卸さない方針を採っていた。

 所謂、ブランディングというやつだ。

 調査を行い、実際に自分の目でも確かめ、ようやく取引するかを決定する。

 こういった徹底した管理によって、現在のラグリフォート産家具の信頼が築かれていた。


 先代が継いだ頃のラグリフォート伯爵領は、財政が相当に厳しかったらしい。

 木工職人たちはそれぞれで仕事を受注し、ただ作るだけ。

 腕のいい職人もいるが、安価で粗雑な家具を作る職人もいる。

 それを、先代が変えたと言う。


 腕のいい職人が引退する時、ラグリフォート家で雇用し、指導者として監督させるようにした。

 職人たちの腕を底上げし、高品質な家具はラグリフォート家で一旦買い上げ、商人に卸す方式に転換。

 腕のいい職人の生活を保証し、若い見習いたちを時間をかけて育成していった。

 こうした仕組みによって、領内の職人たちの技術を底上げし、ラグリフォート産というブランドを作ったのだ。

 今では、ラグリフォート家で受発注の管理を行い、職人たちにも十分な給金を払えるようになっていた。


(苦しい財政の中で、これだけの仕組みを作り上げたのだから、じいちゃんは凄いよな。)


 エウリアスは、祖父を心から尊敬していた。

 そして、そんな祖父の作り上げたブランドを更に発展させてみせた父ゲーアノルトのことも、また心より尊敬していた。


(もはや、これだけの仕組みが完成したら、俺が継いでもやることがないかもね。)


 思わず、そんな想像をしてしまう。

 どんなが継いでも、二~三代くらいは傾くことがないくらいに、ラグリフォート伯爵領の生産体制は盤石と言えるだろう。

 むしろ、これを一代で傾かせたら、そっちの方が驚きである。


 エウリアスがそんなことを思っていると、ゲーアノルトが背もたれに寄りかかった。

 きし……と、微かに椅子が鳴る。


「エウリアス、お前には騎士学院に行ってもらう。」


 エウリアスは、ゲーアノルトが何を言っているのか理解できなかった。

 何度か、目を瞬かせる。

 そうして、やや大袈裟に溜息をつき、やれやれ……と首を振った。


「父上、遅れてますね。父上の時代は騎士学院の修了が家督承継の条件だったようですが、三年前にその法律は改正されて――――。」

「お前に言われんでも、そんなことは知っておるわ、馬鹿者。革新派を気取る、伝統をないがしろにする不埒者どものせいで、押し切られてしまったのだからな。」


 苦々しい口調で言う父の言葉に、エウリアスは眉間に皺を寄せ、首を傾げる。


「では、なぜ今更そんな埃を被った学院なんぞに行けと?」

「――――貴様の、その性根を叩き直すためだ!」


 バンッと机を叩くと、ゲーアノルトがエウリアスを指さす。

 なぜか、『お前』から『貴様』にランクアップしてしまった。

 とかとか付いてるから、ランクアップで合っているはず?


「毎日毎日、工場なんぞに入り浸りおって! 少しは伯爵家の嫡男として、自覚を――――!」

「お言葉ですが、父上。俺はラグリフォート伯爵家の跡継ぎとしての、自覚と誇りを持っていますよ。」


 ゲーアノルトの言葉を遮り、エウリアスは目を輝かせて郷土愛を語る。


「広く王国で愛される、随一の特産を生み出す職人たちの卓越した技術。その確かな品質はリフエンタール王家のみならず、他国の王侯貴族にも信頼され、献上品や手土産にたびたび選ばれています。それだけではありません。何より、何十年何百年もかけて育まれてきた良質な木々が無くては、如何に優れた職人たちの腕前があっても、素晴らしい工芸品を生み出すことなどできないでしょう。脈々と受け継がれてきた、これらの土地と職人たちの――――。」

「はぁ……………………もうよい。」


 ゲーアノルトは机に両肘をつき、頭を抱える。

 ちぇ……せっかく興が乗ってきたのに。

 というか、話を逸らせるかと思ったんだけど。


「エウリアス…………お前のその領地を愛する心は素晴らしい。それは、貴族としてもっとも重要なものの一つだと、私も思う。」


 そこで、ゲーアノルトは強い視線でエウリアスを見た。


「だがな、貴族とはそれだけではいかんのだ。領地を経営し、いざとなれば身を挺してでも領地と領民を守らねばならん。それは、王国に対しても同じだ。この地を我がラグリフォート家にお与えくださった王家のためにも、同じように尽くさねばならん。」


 ゲーアノルトは姿勢を正し、強い口調で問う。


「エウリアスよ、お前にその覚悟があるか?」


 その、見たこともないようなゲーアノルトの真剣な姿に、後退りそうになる。

 だが、エウリアスは懸命に踏み止まると姿勢を正し、はっきりと答えた。


「勿論、あります。」

「そうは見えんな。」

「あらら……。」


 ゲーアノルトの無情な裁定に、肩ががくっと落ちる。


「お前は、貴族の何たるかを一から学ぶ必要がある。」

「そんなのは、幼少の頃より散々叩き込まれてきましたが? それはもう、みっちりと。」

「そうだな…………私も、そうしてきたつもりだ。つもり、だったのだ……!」


 ゲーアノルトの手が、机の上で震えるほどに握り締められる。


「なのにっ、お前と来たらっ毎日毎日遊び惚けおってっ……!」

「ひどい言い草ですね。職人たちの伝統を、深く知ろうとしているだけなのに。」

「そんなのは、職人たちに任せておけばよい!」


 再びゲーアノルトがヒートアップした。


(ていうか、毎日毎日? さっきも、そう言ってたよな。)


 視察から戻ったばかりのゲーアノルトが、なぜエウリアスの普段の素行を知っているのか。


(報告くらいは誰から行ってもおかしくはないけど…………どうやら吹き込んでくれたようだね。)


 エウリアスは、心の中で溜息をついた。

 そういうことをしそうな相手に、心当たりがある。


「貴族には貴族の務めがある! 領地の伝統は、領民たちに任せておけばよい!」


 貴族とは、そもそも労働など行わないのが普通だ。

 領地の地代収入だけで、普通はやっていけるからだ。

 そのため、販路拡大に国内外を忙しく飛び回るゲーアノルトは、それだけで貴族の価値観では軽蔑の対象になってしまうのだった。

 お金のためにあくせく働くのは、商人や職人、使用人たちであって、貴族のすることではない。


 つまり、ゲーアノルトも、貴族としては少々特殊な部類ではある。

 だが、さすがにエウリアスのように職人たちに交ざって、浮き彫り細工レリーフや彫刻を作ったりはしなかった。

 きっと、伐採作業にもついて行って、斧を入れるのを手伝っていると知ったら、今以上に怒り心頭となるだろう。


 エウリアスが「余計なことは言わないぞ」と黙っていると、ゲーアノルトがビシッと指さした。


「とにかく、お前は今年の春から騎士学院に行く。これは、決定だ。当主としての命令だ。」

「……………………ちょっと待ってください?」


 父ゲーアノルトの、無情な通告。

 だが、エウリアスは一つ気になり、恐るおそる尋ねた。


「今年、ですか?」

「当たり前だ。騎士学院の入学は、十四歳と決まっておる。」

「それって、もう二週間もないのでは?」

「ああ、あと十日ほどで今年の学院が始まるな。」


 サァー……と、エウリアスの顔から血の気が引く。


「あの……王都までは、馬車でも一週間ほどかかりますが?」

「心配するな、すでに手配してある。明日の朝、出発だ。」


 あまりに無茶な、父の命令。

 いくら温厚な俺でも、これはさすがにブチギレですわ。


「そんな心配なんかしてない! ふざっけんなよ!? 明日!? 朝ぁ!? いくら何でも急すぎる! 無茶言うなや!?」

「何が無茶か。行けば身一つでも問題ない。すでに手配してやったのだから、後はお前が行けばいいだけだ。」

「せめて、もう少し早く言ってくれよっ!」


 エウリアスは、必死に訴えた。

 もっと早くに言ってくれれば、ほとぼりが冷めるまで山小屋にでも籠って――――。


「言えば、山にでも籠って逃げるつもりだろう?」

「何でバレた!?」

「貴様の考えなどお見通しよ、馬鹿者め。」


 そう言ってゲーアノルトは、机の上のテーブルベルをチリンと鳴らした。

 その音を合図に、執務室のドアがガチャリと開けられる。

 ドカドカドカ……と、六人もの騎士が入ってきた。

 部屋の外にも、四人が待機している念の入れようだ。


「話は以上だ。逃げ出さんように、よく見張っておけ。」

「さ、エウリアス様。」

「ちょ、ちょちょ、ちょっと待って!?」


 腕を掴もうとする騎士の手を、エウリアスは躱した。

 が、すぐに捕まってしまう。


「いえ、待ちません。では、ゲーアノルト様。」

「うむ。こやつは妙に知恵が回るところがある。油断せんようにな。」

「はっ!」

「はな、放せ!? 話せばわかる! 話せば分かるって、父上ぇぇえええ!?」


 両脇を騎士にガッチリと掴まれ、エウリアスは引きずられる。


「立派になって帰って来い。期待しているぞ、エウリアス。」


 そうして騎士に引きずられたまま、執務室を連れ出された。


 バタン。


 無情にも閉められたドアの音が、いつまでもエウリアスの耳に残っていた……。




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