断剣のエウリアス ~木こり伯爵の小倅の騎士道~

リウト銃士

第1話 ラグリフォート伯爵家の嫡男1




 真っ暗な森の中にあって、そこだけがぽっかりと穴が空いているようだった。

 月明かりを遮る木々がないため、薄っすらとした光が落ちていた。


 そんな森の中の広場に、一人の少年が立っている。

 十代半ばの少年は、年齢の割に大きな体躯をしていた。

 しっかりと鍛えていることが、服の上からでも分かる。


 その少年は、どこかの学校の制服らしき服を着ていた。

 青のブレザーに、赤のチェックのズボン。

 そして、手には抜き身の剣が握られていた。


 ガサガサッと草を踏む音が聞こえ、少年が森の奥に視線を向ける。

 その音が近づいてくると、森の中の暗闇から、もう一人少年が現れた。


 現れた少年を一言で言い表すなら、異様。

 姿も雰囲気も、異様としか言いようがない。


 服装は、先にいた少年と同じ。

 制服を着ていることは同じだが、後からきた少年はボロボロだった。

 汗だくで、髪は乱れている。

 そして、白いシャツには返り血と思しき染みが付いていた。


 だが、一番に目を引くのは、手に持った剣だろう。

 血塗られ、明らかに痕跡のある剣。

 そんな少年が現れても、先に来ていた大柄な少年は眉一つ動かさなかった。


 後から来た、ボロボロの少年の目は冷たかった。

 先にいた大柄な少年に、何の感情も感じさせない目を向ける。


 少年は真っ直ぐに進み、二人は十メートルほどの距離を空けて対峙した。

 ボロボロの少年は立ち止まると、ゆっくりと血塗られた剣を大柄な少年に向け、話しかけた。


「大人しくばくに就け。」


 だが、剣を向けられても、大柄な少年は気にしていないようだ。

 むしろ、嘲るように嗤った。







 二人の少年は斬り合う。

 いや、大柄な少年が一方的に斬りつけている、と言った方がより正確か。


 ボロボロの少年は、大柄な少年の剣を防ぐので精一杯だった。

 正面から受け止めることはせず、何とかいなしながら捌く。

 だが、段々と押し込まれ始め、一歩、また一歩と後退あとずさる。


「しぶてえんだよっ!」

「ブフッ!?」


 ボロボロの少年がまともに剣を受け止めたところで、大柄な少年が顔面を殴った。

 殴られた少年の唇が切れ、血が流れる。

 フラフラと後退りながら、それでもボロボロの少年は倒れることだけは免れた。


 そうして、何とか体勢を整えたボロボロの少年は、笑みを浮かべて両手で剣を掲げる。

 大上段からの振り下ろしに、すべてを賭ける構えだ。


「はっ! 防御を捨てたか! 必死だなあ、おい。」


 ボロボロの少年の構えを見て、大柄な少年が嗤う。


 ボロボロの少年が、無理して微笑んでいるのが丸分かりだった。

 今の状態で、まともに剣を振り下ろせるわけがない。

 その証拠に、ボロボロの少年の足も手も、小刻みに震えている。

 大柄な少年は、そのことに気づいていた。

 突きならば速さに反応できず、がら空きの心臓を貫かれるだけだろう。


「くたばれっ、木こりぃぃいいいいいっっっ!!!」


 大柄な少年はそう叫ぶと、身体ごと突っ込むように両手突きを繰り出した。


 ……………………。

 …………。







■■■■■■







 肥沃な大地に恵まれた国、リフエンタール王国。

 侵略にも内乱にも無縁な、平和な時代が訪れてから、早三百年。


 そんな王国に、ラグリフォート伯爵家が治める領地がある。

 豊かな山林に恵まれたこの伯爵領では、良質な森林資源と職人の卓越した技術で、家具製造などの木製工芸品が盛んだった。

 ラグリフォート伯爵領産の家具は高い品質を誇り、王国内のみならず、他国にも輸出されるほどに人気を博していた。


 しかし、大きな利益を上げる木製工芸品は確かに人気だが、そうして利益を上げるとやっかみも生まれる。

 ラグリフォート伯爵からすれば、王家から与えられた領地を守り、発展させようと頑張っているだけだが、成功すれば妬まれるのもまた世の常。

 そのため、多くの貴族たちは陰でラグリフォート伯爵をこう呼んでいた。


 ――――木こり伯爵、と。







「うはぁ~! この滑らかな曲線! たまんないな!」


 加工工場の一画から、声が上がった。

 工場の端には、一人の少年と数人の職人たち。

 そして、少年の前には、現在製作中の食器棚が置いてあった。


 少年はその食器棚に施された浮き彫り細工レリーフを見て、思わず声を上げてしまった。

 食器棚の側面に施されたレリーフは、もはや芸術作品の域に達するほどだった。

 こんな食器棚をキッチンに置き、鍋でもぶっかけた日には、思わず悲鳴の一つも上げたくなるだろう。


 少年が様々な角度からレリーフを眺めていると、職人の一人が声をかける。


「さすがユーリ坊ちゃん、分かってらっしゃる。」


 この職人がレリーフを造った本人なのか、少年が無邪気に喜ぶ姿に頬を緩ませる。


「ほら、坊ちゃん。こんなのなんてどうです?」

「うおおぉぉおおっ! 何だよこれ! すげーっ!」


 別の若い職人が手に持った彫刻を差し出すと、少年が更に目を輝かせた。

 それは、木で彫った女神像だった。

 水の女神が、水瓶から生命の水を注ぐ、といった感じのものだ。


 その彫刻は、とても木から彫り出されたとは思えないほどに滑らかで、艶めかしい。

 布地と思われる部分が少なく、ダイニングに置くには少々不謹慎…………艶やか過ぎる御姿であった。


「ほんと、どうなってんだ、これ……? 透けてんじゃないの?」


 木を彫っただけの物なので、そんなわけがないのだが、その表現力で布地部分が透けているような錯覚を引き起こしていた。

 思わず、しげしげと観察してしまう。


「坊ちゃんに差し上げますよ。」

「いいのっ!?」


 驚いて、少年は大きな声を上げてしまう。

 これほどの芸術品を、軽い口調で「あげる」という若い職人。

 だが少年は、さすがに悪い気がして辞退した。


「有難いけど、受け取れないよ。これだって、売ったらきっといい値がつくよ? ていうか、俺が買うよ。」


 そう言う少年に、若い職人が首を振る。


「物の価値ってのは、分かる人に持ってもらってこそ、ですぜ? いくら積まれようが、粗雑に扱うような人には譲りたかないですね。」


 若い職人は、少年が差し出した彫刻を押し返し、その胸に抱えさせた。


「買い取る必要もありません。どうせ暇潰しで作ったもんですから。」

「…………ありがとう。」


 笑って話す若い職人に、少年は頭を下げた。

 暇潰し、と言っていたが、おそらくそれは事実だ。

 ただし、暇潰しだからと、手を抜いてわけではないだろう。

 寝食を忘れ、魂を削って、とまではいかなくても、本気で作ったはずだ。

 そんなのは、この彫刻を見れば一目で分かる。


「宝物にするよ。本当にありがとう。」

「へへ……いいんですよ。」


 少年が真摯にお礼を伝えると、若い職人は照れくさいのか、鼻を掻いてそっぽを向いた。

 その様子を見守っていた年老いた職人が、外を見て何かを思い出したように手を打つ。


「そういや、ユーリ坊ちゃん。今日は用事があるって言ってませんでしたっけ?」

「あっ、いっけね。父上に呼ばれてたんだった。」


 少年も思い出したように、目を見開いた。


「ごめん、もう行かなきゃ。これ、ありがとう!」


 少年はそう言うと、加工工場の出口に駆け出した。


「坊ちゃん、お気をつけて。」

「また来てくださいね、ユーリ坊ちゃん。」

「もちろん!」


 笑顔で手を振り、少年は加工工場を出た。

 そうして、入り口の近くに留めていた馬の手綱を取り、飛び乗る。


「ちょっと急ぐよ! それ!」


 女神像を抱えながら、少年は片手で器用に手綱を捌く。

 馬は徐々に加速していき、山道を駆け下りた。


 風を浴び、少年の栗色の髪はさらさらと靡き、青い瞳には緑豊かなラグリフォート伯爵領が映る。

 山を下りながら、少年は間近な春を感じさせる、その美しい風景を楽しむのだった。







 ラグリフォート伯爵家、屋敷。

 少年の乗った馬が、伯爵家の敷地を囲む壁沿いを走る。


 門の前には、数人の騎士が立っていた。

 少年は門の前で馬を止めると、手綱を騎士の一人に投げる。


「ごめん、この頼む!」

「坊ちゃん! 今日は夕方にはお屋敷に居てくださいって――――!」

「まだ夕方!」


 少年は馬から飛び降りると、騎士が開けた門をすり抜け、敷地に入っていった。


「やばいやばいやばいやばい。急げ急げ。」


 屋敷に駆け込み、少年は息を整えながら自分の部屋を目指す。

 二階の部屋に着くと、廊下で老執事がうろうろしながら待っていた。


「ユーリ坊ちゃま、どちらに行っておられたのですか? 今日は旦那様が――――。」

「分かってる! 今行く!」


 少年は自室に入ると、彫刻の女神像を机の上に置いた。


「おっと!? これも!」


 腰に佩いていた長剣ロングソードを外し、机に立て掛ける。

 そうして、部屋の前で待っている老執事の下へ急いだ。


「お待たせ。さ、行こうか、ポーツス。」


 老執事のポーツスが、疲れた顔で溜息をつく。


「坊ちゃま。このポーツスは、坊ちゃまがとても利発で、将来このラグリフォート伯爵家を継がれるのに相応しい、とても素晴らしいお方に成長なさると思っております。」


 廊下を歩きながら、ポーツスがそんな話をし始める。

 後ろをついて行きながら「また、いつものお小言が始まったか」と、少年はちょっと顔をしかめた。


「ですが、旦那様はいつもいつも、坊ちゃまのことを見ているわけにはまいりせん。」

「それはそうだね。何よりも見なくちゃいけないのは領地のことだ。」


 横切ったエントランスの壁にある姿見で、少年は軽く身だしなみを整えた。

 頭に付いていた小さな葉っぱを摘まみ、ポケットへ。


「ですから、坊ちゃま自身が、ラグリフォート伯爵家を継ぐに相応しいと、証明し続けなくてはなりません。」

「あはは、何だよポーツス。それじゃあ、まるで俺が廃嫡されるみたいじゃないか。」

「坊ちゃま! そのような滅多なことを口に出されてはなりません!」


 少年が軽い口調で言った言葉を、ポーツスが思いのほか真剣に諫めた。

 その様子に、少年は目を丸くする。


「本日は、決してそのようなお話ではありません。旦那様は、きっと安心が欲しいのだと思います。」

「安心?」


 そうして話をしているうちに、父の執務室に着く。

 二人の騎士が廊下で護衛に立ち、ポーツスと少年の姿を認めると、ドアをノックした。

 ポーツスが、真剣な表情で少年を見る。


「ユーリ坊ちゃま。決して旦那様に逆らってはいけませんよ?」


 そんな、有難いのか有難くないのか分からないアドバイスを送られながら、少年は執務室に入った。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る