第40話 二人の口付け
──冒険者ギルド『アースガルズ』二階奥、休憩室
冒険者ギルドの二階。カウンターに向かって左手奥、火の神の紋章が刻まれた扉を開けると、短い廊下に出る。
廊下の右手には部屋が二つあり、奥がギルマスであるダンガルの執務室。手前が休憩室となっていた。
休憩室──と言っても、二階で働いているのはベルジュだけなので、言ってしまえばベルジュの部屋のようなものだ。その休憩室に置かれたベッドの上で、ユーネが横になって苦しそうに呻いている。
ベルジュは「何かあったら呼んでちょうだい」と言って、受付へと戻っていった。
「……大丈夫かユーネ?」
そう言ってアッシュがユーネの手を握ると、「うん……ちょっとよくなってきたかも……」と体を起こそうとする。それをアッシュが「横になったままで大丈夫だから」と制止した。
「話せそうか?」
「うん……横になってれば平気」
「さっき思い出したって言ってたけど……」
「たぶん……シェーレの手紙に書かれてた質問には少し答えられると思う」
シェーレから届いた手紙に書かれた「他に神は何人いるのか」「他に神がいたとして、ユーネの時を戻すような強力な術はあるのか」「世界が分断する前、誰かに時間を戻すよう頼まれなかったか」という質問。
「それで一つ目の質問は?」
「えーとね、確か火、水、風、土、闇の神様がいたと思う。名前は出てきそうなんだけど……、火の神様はドラヌスだったと思う」
この世界の伝承や本に登場する火の神。様々とある呼び名の中に「ドラヌス」という名前もある。
「やっぱり聖……、光の神以外にも存在したんだな。二つ目の強力な術については?」
「……二つ目もあったと思う。私みたいに再使用時間が長い強力な術だったような気がするけど……、神様ごとに使える術は違ったと思う。ごめん曖昧で……」
ユーネが申し訳なさそうな顔でアッシュの手をキュッと握る。
「だいじょうぶ。凄く助かってるよ。三つ目に関しても思い出したかな?」
「……それが一番はっきりしないかな……、思い出そうとすると胸が苦しくなるの……」
そう言って切なげな表情で胸を抑えるユーネ。
「だいじょうぶか? そんな無理に思い出そうとしなくてもいいから」
「ありがとうアッシュ……。でもたぶん頼まれたと思う。どの神様だったか思い出せないけど……友達が殺されて……それで時間を……って、ごめんアッシュ……、やっぱりはっきり思い出せない……」
「ありがとうユーネ。それだけ分かれば十分。シェーレに手紙書くからちょっと横になっててくれ」
シェーレからの手紙には、はっきり思い出さなくても『いた。ある。頼まれた』程度のことが分かれば十分だとも書かれていたので、とりあえず今ユーネが話した内容を手紙にしたためる。
ユーネの方からはすーすーと寝息が聞こえ、アッシュが「お疲れ様」と言って優しく頭を撫でる。
それにしても闇の神か……
伝承では基本的に火、水、風、土とユーネの聖、つまり光の五大属性……
千年前の世界の分断……
二百年前のビューネスの分離……
失われた他属性の神と聖属性ばかりのルナヘイム……
僕に目覚めた魔人の力と存在した闇の神……
何かが繋がりそうだな……
アッシュがそんなことを考えていると、ユーネが寝ぼけて「ルシオン」と呟いた。そうしてアッシュの手をきゅっと握り、引っ張る。アッシュはバランスを崩してユーネの上に倒れ──
「会いたい……よ……ルシオ……ン……」
──ユーネが切なげに呟き、アッシュの首に腕を回して口付けた。
ぐうぅ……
また僕をルシオンって奴と勘違いしてる……
でもこんなことされたら僕だってもう止まれない……
アッシュが口付けたままユーネの口腔内に舌を這わす。「んん……」とくぐもった声を漏らして身を捩るユーネ。そうしてお互いの舌が絡み合うように求め合い──
ユーネの頬には一筋の涙が流れた。
その涙を見たと同時、アッシュの頭の中に覚えのない映像が浮かぶ。
浮かんだ映像の中、目の前にはとても大人びた雰囲気のユーネの姿。ユーネがとても楽しそうに笑い──
そんなユーネの周りを一羽の黒い鳥が飛び回っていて、クロちゃんと呼んで戯れている。
ふいにユーネが振り返り、「ルシオン」と呼んで微笑む。
その笑顔があまりにも美しく──
ルシオンと呼ばれたアッシュが「ビューネスはいつも楽しそうだな──」と呟いたところで、覚えのない映像は途切れ──
気付けばアッシュの目からも涙が溢れていた。
「なんで僕は涙なんか……」
今の映像は
なんでルシオンの記憶を僕が……?
ホープによれば、僕の魂は二つの人物から構成されているって……
確か「ラグナス」と「
でも待てよ……
ああくそ……
全然意味が分からない……
考えることが多すぎて頭が破裂しそうだ……
ビューネスや弱っていくユーネ。自身の失われた記憶と二つの魂。覚えのない記憶とルシオンという存在。あまりにも考えることが多すぎて、アッシュが頭を抱えていると、カチャリと休憩室の扉が開いてベルジュが入ってきた。
「ユーネちゃんはどう?」
「ちょうど今寝たところだよ」
「それならよかったわ。でも偏頭痛持ちとかなの?」
「ああいや、ちょっと色々と事情があって……」
現状をベルジュに話そうかどうかとアッシュが逡巡する。正直ベルジュは信用出来る相手だと思うが──
ベルジュはこう見えて世話焼きだったからな……
たぶん僕やユーネが置かれた状況を話したら巻き込んでしまう……
けど……
なんとなくだけどベルジュも無関係な気がしないんだよな……
かといって話して巻き込んでも……
そんな考え込むアッシュの口に、ふいにベルジュの唇が重なる。何かを確認するかのように、優しく口付けては吸うように離す。アッシュの顎にはベルジュの手が添えられ、あまりに突然の出来事にアッシュが固まる。
口腔内では、まるで未知の生物が這うように舌が蠢く。室内には断続的な湿った音が響き──
しばらくして、「んん……」と
「急に何してるんだよ……」
「ちょっと確認したくて」
「確認? なんのだ?」
「
「え……?」
どういうことだ……?
ベルジュには記憶……が……?
「……と言ってもなんて言えばいいのかしら? 心が……、魂が知っているとでも言えばいいのか……」
そう言ってベルジュがアッシュの耳を優しく
どうやらベルジュには記憶がある訳ではないようだが、心の深い部分、魂でアッシュを感じているのかもしれない。
「それは光栄だな。こんな美人さんにそんなこと言って貰えて僕は幸せだよ」
「そんな軽口も叩けるのね? でも……」
「強がって軽口叩いてるんでしょ? ほら……心臓はこんなに脈打ってる……」と、ベルジュがアッシュの首筋に舌を這わせ、心臓の位置に手を置く。
「……か、からかってる訳じゃないん……だよな?」
「そうね。自分でもおかしいって思うんだけど……アッシュを見てると胸が苦しくなるの」
だめだ……
またベルジュのペースになってる……
と、とりあえず今は……
「む、胸が苦しいなら──」
そう言ってアッシュがベルジュの肩を掴み、「ベルジュもユーネの隣で寝てた方がいいんじゃないかな」と、ベッドに優しく倒した。
「と、とりあえず受付には呼び鈴があるだろ? ベルジュも少し休んでてくれ。ベルジュがユーネの隣にいてくれるなら僕も安心だしな」
「どこかに出掛けるの?」
「あ、ああ。ちょっとアースイコー商会に用事があって──」
そう、ホープの口から出た「
もしかすればたまたまなのかもしれないが──
たまたまって訳はないよな……
少しでも僕の記憶……、魂に関して何か分かればいいんだけど……
「──たぶんユーネもまだ起きないだろうし、ユーネのこと任せてもいいかな?」
「今日会ったばかりの私を信用していいの?」
「……ベルジュは悪いことしないだろ? ベルジュ風に言うなら、僕の魂がそう言ってる」
アッシュのその言葉に、ベルジュが「ぷっ」と吹き出してしまう。
「なんだかアッシュとは仲良くなれそうだわ。ユーネちゃんのことは任せてちょうだい」
「ありがとうベルジュ」
「それより──」
「ん」と言ってベルジュが頬をアッシュに向ける。
「な、なんだよ」
「言うこと聞くんだからご褒美が欲しいわ」
「ああくそ……」
アッシュがベルジュの頬に優しく口付ける。するとベルジュの顔がアッシュの方を向き──
言葉では言い表せないほどにいやらしく、それだけで腰が砕けてしまいそうなキスをされた。
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