第34話 大戦斧の少年─再来─
──聖都グランヘルムの一角
「あー眠い……眠すぎる。おんぶしてくれユーネ」
一夜明け、アッシュとユーネが冒険者ギルドを目指してグランヘルムの街を歩く。
グランヘルムの街並みは非常に整っており、舗装された石畳の道を往来する人々で活気に溢れている。道の脇には酒場や宿屋などの様々な店が並び、露天商もひしめき合っている。
基本的に建造物は石造りであり、中からは明るく楽しげな声が漏れる。少し離れた場所には緑豊かな公園や小川が流れ、自然と人とが見事に融合した平和な街である。
「眠いのは朝帰りした自分が悪いんでしょ?」
「まあそうなんだけど……」
「それに本当にエルステッドと二人だったの?」
「だ、だから誤解だって言ったじゃないか!」
「だ、だって王様ってえっちなお姉さんを並べてお酒飲むんでしょ? アッシュもえっちなお姉さんとお酒飲んだんじゃないの? 戻ってきたら甘い匂いしてたし……」
ユーネが恨めしそうな目でアッシュを睨む。どうやら酒を飲みながら食べたレムの実の果汁が顔や首筋に付いていたらしく、その甘い香りをえっちなお姉さんの香水だと勘違いしているようだ。いちおう洗いはしたのだが、レムの実の香りは強くてなかなか取れない。
「ユーネもレムの実の匂いは覚えてるだろ? それによく考えてみてくれ。あのエルステッドがそんなことする訳ないって思わないか? ユーネだって時間を巻き戻す前にエルステッドのこと見てただろ?」
「私……時間を巻き戻す前にエルステッドのこと見てた……?」
「ああいや、見てなかったかもな」
ユーネの記憶障害が悪化している。そのうえ朝起きたユーネは、
「私……忘れっぽくなっちゃったのかなぁ? シェーレからの質問も分からなくてごめんね。何か思い出しそうなんだけど……」
シェーレから届いた「他に神は何人いるのか」「他に神がいたとして、ユーネの時を戻すような強力な術はあるのか」「世界が分断する前、誰かに時間を戻すよう頼まれなかったか」という質問が書かれた手紙。
手紙を見たユーネが「何か思い出しそうだけど……」と考え込み、とりあえず当初の目的である冒険ギルドに向かっているのが現在の状況だ。
質問内容について必死に思い出そうとしているユーネだったが、「うーん、うーん」と唸っては「はうぅ……」と気の抜けた声を出している。
いよいよもって時間がないのか……?
早くレベルを上げてビューネスを倒さないとな……
「……そうだユーネ。ちょっとこれを見てくれないか?」
そう言ってアッシュがユーネの前に右手を出す。手のひらには何もないように見えるが、かろうじて黒い粒のようなものが一つ見える。
「なにこれ? ……ゴマ?」
「ふふ……
アッシュの手のひらの上に、突然レムの実が現れた。
「凄い! なに今の! 手品!?」
「捕食花の呪いっていう対象を小さくする力だね。食べていいよ」
「ありがとうアッシュ! レムの実大好きなんだぁ」
「僕の体からした匂いと一緒だろ?」
「どれどれ……」
ユーネがアッシュの首筋に顔を近付け、くんくんと匂いを嗅ぐ。
ああやばい……
昨日のユーネを思い出してしまう……
アッシュの脳裏を過ぎる、妖艶で大人っぽいユーネの姿。そんな姿を想像してアッシュが悶々としていると、首筋をペロりと舐められる。
「な、何してるんだよ!」
「えへへ、甘くていい匂いがするから美味しいかと思ったんだけど……」
「ちょっとしょっぱかった」と言って、ユーネが無邪気に笑う。
「勘弁してくれよ……、我慢するの大変だったんだからな?」
「我慢? なんのこと?」
「ああいや、なんでもないよ」
そういえば昨日の
ユーネは覚えてないんだもんな……
くそ……
ルシオンってやつがいたとして……
ユーネといちゃいちゃしてたってことか……?
「どうしたのアッシュ? なんだか怖い顔してるよ?」
「ごめんごめん。寝不足のせいかな? それよりユーネにはもう一つプレゼントがあるんだ」
そう言いながらアッシュが手のひらを出すと、手乗りサイズのかわいい黒い馬が現れる。
「え!? もしかしてクロちゃん!? 凄い小さくなってる! かわいー!」
「凄いだろ? ちゃんと元のサイズにも戻せるから安心してくれ」
実は昨夜の酒の席でのことなのだが──
能力を見せろ見せろとエルステッドがしつこくせがみ、色々と宴会芸のような事をしていて気付いた「捕食花の呪い」の有用性。これのおかげで荷物の運搬には困らないだろうし、エルステッド様々だ。
元の捕食花の呪いは生物にしか効果がないのだが、アッシュの
「クロちゃんもっと可愛くなったねー。肩に乗る?」
クロちゃん──黒王丸がユーネの肩の上に乗り、満足そうに「ブルル」と声を出す。どうやら定位置になりそうだ。
「それよりアッシュは具合い悪くないの? エルステッドのこと朝見かけたんだけど、顔色が相当悪かったよ?」
ユーネがアッシュの顔を覗き込んで問いかけるが、相変わらず距離が近い。
「聖者の加護があるだろ? 実は状態異常無効がお酒にも効いてるんだ。ある程度までなら酔えるんだけど、それ以上酔うってことがない」
「お酒って状態異常攻撃なんだね? ……ってアッシュずるくない? あとでエルステッドに教えてあげよーっと」
「そ、それはダメだ! 一生ネチネチ言われる!」
あいつにバレるのはまずい。
たぶん死ぬほど……いや、死ぬまで手合わせさせられる。
「えへへー、どうしよっかなぁ?」
「た、頼むユーネ! なんでもお願い聞くから!」
「えー? じゃあ……」
「今日はぎゅってして一緒に寝てくれる?」と、ユーネが首を傾げて微笑む。その姿は朝日に照らされ──
「ぐはっ!」
「ええ!? きゅ、急に胸を抑えてどうしたの!?」
「い、いや……」
や、やばいだろ今のは……
こんなのもう天使じゃないか……
え?
あれ?
もしかしなくてもだけど……
僕ってユーネのこと……を?
「……魔人の目におじさんの尻が映り込んでしまって心にダメージを受けたんだ。ふんどし姿のギッチギチの尻だ」
「そっか! 魔人の目って障害物とか関係なく見えるんだもんね! ……あれ? でもそうなると……」
「覗いてるってこと……?」と、ユーネがじっとりとした視線でアッシュを見る。
「全部見えてるってことだよね? 女の人の着替えとかお風呂とかも見えてるってこと……だよね?」
「い、いや! その点に関しては大丈夫だ! 魔人の目は色々と細かく設定できることに気付いたんだ! 『人間を排除』って念じると人は映り込まなくなる! そ、それに街中ではなるべく範囲を広げないようにしてる! い、今は城壁に近い場所だろ? だ、だから外に魔物がいないか見ようとして範囲を広げたんだ!」
アッシュが見るからに焦る。
今アッシュが言ったように、魔人の目で索敵対象を指定することが出来ることに気付いたのは本当だ。だが
それをすれば悪意を向ける者などがいた場合に気付けないからだ。と言っても、街中で範囲を絞っているのも本当で、今はたまたま城壁の外を見ようとして「おじさんの尻」を見てしまった。なんなら着替え中のお姉さんも数人見えたが、それは気合いで見ないようにした。
ま、まずいな……
ユーネにドキドキしたことを誤魔化すために言ってしまった「ギッチギチのおじさんの尻」発言。つまり「人間を排除」しているはずなのに、「おじさんの尻」は見えたことになってしまう。
ああくそ……
誤魔化すために言った言葉で「人間を排除」してないことがバレてしまう……
でもなるべく見ないようにしてるのは本当だし……
と、とりあえずここは何とか押し切るしか……
「そうなの?」
「あ、ああ。だから安心してくれ」
「でもおじさんのお尻は?」
「そ、それに関しては……、ふんどし履いたおじさんのお尻って暴力的だろ? だ、だから魔人の目が『危ない』って判断したんじゃないか? 分かんないけど」
苦しい言い訳か──とアッシュが思うが、ユーネは少し考え込んだ後で「確かにちょっと暴力的だね!」と言って納得したようだ。
「そ、そうだろ?」
「なんだか少し引っかかるけど、アッシュは私に嘘なんて吐かないもんね?」
「あ、当たり前じゃないか」
「えへへ、アッシュ大好き」
そう言ってユーネがアッシュに抱きつく。が──
ぞくり──と、アッシュの背中に悪寒が走る。その身に刻まれた
この感覚……
ビューネスに覚えた得体の知れない恐怖じゃなく……
明らかに
アッシュが空を見る。するとビキビキとガラスにヒビが入るように空が割れていく。
「ご、ごめんユーネ! そういえばエルステッドに頼まれごとしてたの忘れてた!」
「そうなの?」
「あ、ああ! 僕が昨日お酒を飲みすぎてさ! 酒屋に行って発注頼まれてたんだ!」
「え? そういうのってお城の人がやるんじゃないの?」
「い、いや……」
アッシュとユーネが話している間にも、空の割れ目は広がっていく。幸いにもユーネはまだ気付いていないが、道行く人が空を見始めた。
「ぼ、僕がエルステッドの好きそうなお酒を選んでみるって言ったんだ! と、とにかく冒険者ギルドに行くのはその後! ユーネは黒王丸でお城に戻っていてくれ!」
アッシュが捕食花の呪いを解除して黒王丸を元のサイズに戻し、無理やりユーネを乗せる。
「ちょ、ちょっとアッシュ! お酒屋さんなら私も一緒に行く!」
「だ、だめだ! 酒屋は大人の場所! ユーネにはまだ早い!」
「私だって大人だもん! 子供扱いしないでよ!」
「と、とにかく頼んだぞ黒王丸! ユーネをお城の安全な場所へ!」
アッシュがそう言うと、黒王丸が「ヒヒィーン!」と走り出す。ユーネが「やだぁー!」と叫んでいるが、あの少年──ホープが来るなら一緒にいる訳にはいかない。
空を見れば、割れ目からは黒い霧が滲み出している。
くそ……
街中って何を考えてるんだ……
間に合う……か?
アッシュがギチギチと脚に力を込め、全力で地面を蹴りつけて城壁の門めがけて駆け出す。蹴りつけた石畳の道は粉々に砕け、まるで大砲から放たれた砲弾の如く外を目指す──
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