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おいでよ

知人B提供 「元カレの家」

これは山梨県に在住する女性から聞いた話である。


女性の名前をBとするが、Bさんには大学在学当時付き合っていた恋人がいたのだという。


二人は学校でも評判のカップルで、学生結婚をするのではないかとの噂すら流れていた。


「本当に運命の人だと思っていたんです。何をしても気が合うし、二人でいる時間を退屈に思ったこともないし。絶対にこの人と結婚するんだろうなと思っていました」


話が変わったのは大学四年の後期だったという。


「このまま学校を卒業したら結婚して同居してもいいかもねっていう話をしたんです。当然お互いの両親にも挨拶に行かなきゃねって言ったんですけど」


彼の態度はどうにも煮え切らないものだったようだ。何度も問い詰めてようやく彼が口にしたのは実家の話だった。


「どうやら彼の実家はかなり由緒あるお屋敷の家系らしくて。息子の結婚相手はしっかりと吟味されるって言うんです。彼、次男なんですけど、二個上のお兄さんがそれで苦労したらしくて。それで家に連れていきたくなかったんだと」


結局お兄さんは二人の女性と破局し、三人目の女性と結婚することになったという。


「確かに彼の実家の話ってあんまり聞いたことがなかったんです。だからそんな事情があるとは知らなくて。だから私にできることを聞いてみたんです。彼のご両親の好みに合わせようと思って」


お兄さんの奥さん(以下Cさん)の写真を見せてもらって、メイクや服装を真似して挨拶に臨んだという。


行ってみるとそこまで厳かな雰囲気ではなかった。お屋敷自体は古風で大きいが、ご両親も親戚も気さくな人たちだった。実家で行われた食事会も終始和やかに進んでいった。


「感触はなかなか悪くないなって思ったんです。みんないい人たちでしたし。でも、ね。違和感はありました」


食事の席に野菜しか並んでいないのだという。ご両親や親戚の、言ってしまえば年配の人たちの席には肉料理などが並べてあったが、Bさんや彼、そのお兄さん等の若い人たちのお膳には野菜しかない。


「昔からある家特有の風習なのかなって思っていました」


もしかしたらこういうルールみたいなものが受け入れられなくて、お兄さんの元カノたちは離れていったのかもしれないと思った。


もう一つ気になったのは、お兄さんの奥さんであるCさんだ。実家で一緒に暮らしているというCさんの姿が見当たらない。お兄さんが出席しているのならいてもいいはずだ。彼にこっそり耳打ちして聞いてみると、体調が悪くて奥の部屋で休んでいるとのことだった。


「良くないタイミングで来ちゃったかなって、ちょっと申し訳ない気持ちもありましたけどね。そうこうしているうちに食事会もそろそろお開きの雰囲気になってきたんです」


野菜ばかり食べていても尿意は来るもので、Bさんはお手洗いに行った。案内に従って進むと綺麗な庭に沿って外廊下があり、そこを歩いた。もしここに嫁いだら、こんな大きな家で過ごせるかもしれないと思うと少しワクワクしたそうだ。


用が済んで広間に戻ろうとした時だった。


「音が聞こえたんです。座敷の方から」


当該の座敷はみんなが食事会をしている広間とは別の部屋である。外廊下を回ってきたということからも分かる通り、広間とはそこそこ距離がある。そうして思い返してみると、その座敷を突っ切っていけば、外廊下を通るより早くトイレに行ける。


「お手伝いさんの休憩室か、それとも体調が悪いって言ってたCさんの部屋なんだろうなって思いました。でも」


太鼓のような音に聞こえたという。


「実際にそういう楽器があるか分からないんですけど、すっごく低く響く打楽器みたいな。それが一定のリズムで鳴っていて」


その部屋の襖を開けてしまった。


「座敷の襖をこっそり覗いたんです。そしたらそこにはCさんっぽい人がいたんです。若い女の人って私とそのCさんくらいしかいないはずですから。写真も見ていますし。でも、なんか変だったんです。えっと、服がはだけてるっていうか、半裸みたいな。髪もボサボサだし」


最初は子供におっぱいをあげているのかと思ったがすぐに違うと気が付いたらしい。


「だってその人の息子さんって五、六才くらいって聞いてたんです。私と彼が付き合ってすぐくらいの時に、年少さんくらいの男の子の写真を見せてもらったことがあるし」


思考がまとまらないなりに部屋を観察しながらあることに気が付いたという。


「めちゃくちゃ青臭かったんです。夏の緑道を歩いてる、みたいな。で、今までCさんにしか注目してなかったんですけど、周りを見たら異常なんですよ。そこら中蜘蛛の巣だらけで、畳も液体に触れたみたいに変色してて」


奥さんの座っている箇所を除いて、至るところに蜘蛛の巣がまとわりついていた。そして青臭い。その発生源は和室の奥の壁隅。天井と壁で出来た角にあった。


「大きな蛹でした」


ドクドクと拍動する蛹を力なく見つめる奥さんという、不可思議な光景だったそうだ。そして部屋中の白い糸は蜘蛛の巣ではなく、その蛹に由来するものなのだと理解した。


「聞こえていたのは打楽器じゃなくて、あれの振動の音だってわかったんです。あれって多分、普通の虫じゃないっていうか。少なくとも私たちが知っているようなものではないと思います」


そういえばCさんとお兄さんの子って今日見かけたっけ、と思いながら蛹を見つめていた。


引き返すことも部屋に入ることも出来ず、ただ見つめるだけの時間。しばらく見入っていると、肩を叩かれた。


「彼でした。私がなかなか戻ってこないから心配して探しに来たって」


言葉を探して黙っていると彼が言った。


「帰ったら別れよう」


Bさんはなんとなく「分かった」と言ったそうである。


引き返して広間に戻ろうとした時、襖を閉める直前にCさんがこちらに振り向いた。


その顔は力こそなかったものの、穏やかで優しい表情だったそうだ。


それきり彼とは連絡を一切取っていない。


Cさんがどうなったのかもあの蛹は何に成ろうとしていたのかも分からずじまいだという。


「私は彼の運命の人にはなれなかったんだなって思いました。でもまあCさんみたいにいつかいい人が現れるんじゃないですかね」


Bさんはそう話を締めくくった。

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