少年が愛したもの

とうふとねぎの味噌汁

第1話

 一人の少年が、一人の少女の亡骸を抱えている。少年の目は闇に支配され、虚空を見つめていた。周りに沢山の死体が転がっていても、少年は少女しか見ていなかった。

「何故、死んでしまったのですか」

 少年は人形のように動かない少女を強く抱きしめた。涙はとうに枯れていた。少年の体は、少女を狙っていた敵の返り血で濡れている。

「貴方は酷い人だ。一緒に生きようと約束したのに」

 少年は彼女に突き刺さっている弓矢を抜き、自分の首筋に当てた。弓矢を抜いた少女の体から、とめどなく血が溢れてくる。少年の膝は、少女の生ぬるい赤色で満たされた。愛しい少女の、生きていた匂いに包まれる。

「それでも、貴方は私に生きろと仰るのですね」

 弓矢から滴った血が、涙のように少年の首を滑り落ちる。

「私は貴方のいない世界なんて、耐えられない。生きるなら、貴方と一緒でないと意味がない」

 彼の闇に、一筋の光が宿った。しかしそれは、希望ではなく執着だった。死に魅入られてしまったものが、滑稽にも必死に命を取り戻そうとしていた。

「そうだ……。そうしよう」

 少年は少女を殺したものを許さなかった。少女を殺してしまった世界も許さなかった。少女に庇われてしまった自分も許さなかった。

「……待っていて下さい」

 少年は冷たくなってしまった少女の頬に、触れるだけのキスをした。

 

「まだ……足りない」

 少女の抜け殻でさえ狙う数多の暗殺者も返り討ちにした。もちろん、少女を殺した軍隊も殺した。血の雨を浴びながら、自分の願いのため、復讐を果たすため、少年は一人で戦った。元々少女にもらった命だ。少女のために使えるなら、本望だった。

「……まだ、足りない」

 少女を生き返らせるには、まだ足りない。

 少年は、少女を生贄に差し出した王国を燃やした。生贄の風習が残る他の村や国々に火をつけて回った。火を消すための騒ぎに乗じて、慌てる人々を静かに殺していった。

 ボロボロになりながら血塗れのマントを脱ぎ捨て、森の隠れ家で沢山の本を読んだ。呪い、魔法、死生術、死霊術……。少女を生き返らせるための、知識を頭に叩き入れた。

「あと少し……」

 人間一人を生き返らせるためには、千個の心臓が必要だった。少年にとって、一人の少女と千人の命は天秤にかけるまでもなかった。少年の世界は少女が全てで、少女より優先すべきものなんて、あるわけもなかった。

「また、貴方に会えますね……」

 魔法陣の中心に寝かされた少女を、少年は歪んだ熱で見つめていた。

 

 少年は珍しく、鼻歌を歌っていた。

「あと一人。あと一人だ」

 手に馴染んだナイフを片手に、森を彷徨っていた。ここら辺の村は皆潰してしまったため、旅人を狩ろうと考えていた。

「やあ、物騒なお兄さん」

 少年は、声のする木を見上げた。一人の子どもが、足をばたつかせながら少年に手を振っていた。少年は即座に殺そうとした。しかし、殺せなかった。子どもの着ていた服が、生贄用の服だったからだ。

「……そこで、何をしている」

「何って、風が気持ちよかったから。より高いところで当たりたいなと思って」

 少年は生贄を無くすため、生贄の風習がある村や国は全て潰したつもりだった。少女が弓矢に刺され、血を吐く瞬間を鮮明に覚えている。あの深い深い底に沈んでいくような、絶望も。二度とあんな思いはしたくないと血眼で情報を集め、徹底的に排除したはずだった。

「君の、その服……」

「ああ、これ? 生贄の服なんでしょ。……そんな顔しなくてもいいじゃん」

 子どもは少年を見てから、少し笑って言った。

「僕さあ、親がいなくて。しかも運が悪いことに病気らしくてさあ」

 子どもは天気の話をするように、あっけらかんと言う。

「何のために生きてるんだろうと思って……。周りはみんな優しいから、全然生きる分には楽しいんだけどね。もうそろそろ寿命だから、どうせなら神様に食べてもらって、役に立ってから死にたいなって」

 子どもは微笑んだ。感謝と諦念の笑みだった。子どもは幼いながら、運命を受け入れていた。

 少年はどうしようもない感情を抱いた。死ぬ間際、心からの笑顔を見せた少女を思い出す。

「何故……そんなに簡単に受け入れられるんだ……」

「うーん、なんか、そういうものだと思ったからかなあ」

 子どもは、少し寂しそうに笑う。

「僕も初めは嫌だったよ? なんで僕がこんな目に遭わなきゃいけないんだって……。でも、途中で気づいちゃったんだよね。もうどうせ運命は変わらないし、病気も治らないから、残された時間を精一杯楽しむことしかできないんだって」

 子どもは本当に清々しく笑う。少女のからっとした笑いとそっくりだった。少年は、少女の最後を思い出した。弓が体に刺さっているのに、心から笑っていた。逃亡生活をしていた時は、失われていた少女の笑みだった。少年は、

少女が自分に対して後ろめたさを感じているのには気づいていた。けれども、気づかないふりをしていた。少女に巻き込まれたわけではなく、自分から一緒にいる道を選んだからだ。

 少年は、本当に今までの自分が正しかったのかと考えた。なんの罪もない少女を生贄として殺すことは絶対に正しくない。が、だからといってその罪もない少女を生き返らせるために、他の人々を殺したのは正しいのだろうか。その行いは、少女を生贄にした国の人々と同じものではないか。

 少年は、今まで行ってきたことに初めて疑問を抱いた。例え、儀式が成功して少女が生き返ったとしても、それは本物と言えるのか。確かにあの時少女は死んだ。死んだ人間はもう二度と戻らないものだ。その理を歪めてまで作り出した少女は、昔の少女と同じなのか。限りなく少女に似ている「何か」ではないか。

 あの優しい少女は、自分の命のために千人が犠牲になったと知ったら、壊れてしまうのではなかろうか。

 少女を生き返らせるのは本当に少女のためなのか……。結局は、全て自分のためではないのか。

 少年は涙が出てきた。悲しみより、気付けたことへの喜びの涙だった。

「なっなんで泣いてるのさ!」

「すまない……やっと気づけたんだ」

 涼しい風が頬に流れる。

「君は、本当に死にたいと思っているか」

「だって、もう病気だし……」

「本当に?」

 少年はしっかり子どもを見る。子どもは、少年の全てを見透かしたような瞳を全身に浴びた。

 子どもは、少しだけ顔を歪めた。元の笑顔に戻そうとしても、口は震えたままだった。

「そんなわけ、ないじゃないか。もう僕は病気で死ぬしかないだけで、本当に死にたいなんて、思ってるわけ、ないじゃないか」

 子どもは震えていた。大粒の涙がぼろぼろ落ちた。

「そうか」

 少年は付き物が取れたように微笑んだ。少女が死んでからのはじめての微笑みだった。

 少年は隠れ家に戻った。少女の遺体に近づき、手を握って横になった。

「私は、貴方を愛していました」

 ぽつりぽつりと話し出す。

「愛していたのです。貴方のためなら、全てを投げ出せると思っていました。でも、貴方のためじゃなかったのです。全て、自分のためでした。貴方のせいにしていただけだったのです」

 少年は、青白い少女の顔をしっかり見つめる。

「気づくのが、遅くなりました」

 少年は、少女を貫いた矢を、首に当てた。

「私は地獄に行くでしょうから、貴方とは会えませんね。でも、もし、罰を受けて、生まれかわれたのなら、その時は……」

 少年は首に矢を突き刺した。血飛沫が舞い、少年も少女も真っ赤に染まる。

「さようなら」

 近くの村では盛大なお祭りが開かれた。一人の子どもの不治の病が、運良く快晴に向かい始めたお祝いの祭りだそうだ。

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