#20 将軍の日常


 帝都アシャラの郊外に、ラインハルトが指揮を務めるカレス基地はある。常に数千人の兵士が訓練に励むラインハルトの城だ。

 ラインハルトには帝都の中心部に皇帝から下賜された公邸もあるが、めったに帰ることはなく、カレス基地で生活していた。ここで暮らすのが一番安全だからだ。

 基地は広大な森を切り開いて造られており、帝都の中心部までは馬車で一時間。帝国の隅々までいきわたる大街道の要所に造られ、変事があれば帝国のどこであろうと馬で駆けつけることができる。


(あークソ……)


 不安を振り払うために基地の周辺を走ってきたラインハルトは、汗だくのまま自分の執務室に戻った。


「閣下、決裁していただかないといけない書類が山程――」

「俺に手紙は?」


 補佐官のカディル・ケセリの言葉を遮って、ラインハルトは問い詰めた。

 カディルは手紙の束を差し出した。将軍で皇子――しかも独身――ともなると、毎日大量の手紙が届く。これでも私的な手紙は屋敷に送るよう周知しているので、基地に来る手紙は少数だった。

 手紙を選別して、求めていないものをカディルに投げ返すと、一通もラインハルトの手元には残らなかった。


「閣下、暗殺未遂事件の捜査が進まず苛立つのもわかりますが――」

「わかってるなら見逃せ」


 小言が始まりそうだったので、ラインハルトはさっさと退散して屋内の格闘訓練場に向かった。後ろでカディル・ケセリがわめく声が聞こえたが、到底黙って聞く気分ではなかった。

 暗殺未遂事件では、ラインハルトの護衛をしていた兵が一人死亡した。他の二人も重傷だ。なのに捜査は遅々として進んでいない。

 ラインハルトが毒を受けて死にかけたことは限られた幹部にだけ共有された。医官に詳しく症状を伝えたが、毒の特定は出来ず、リーシャが言っていたウズという毒かどうかもわからなかった。

 ペルシアの短剣使いについても調べさせているが、資料がほとんどなく、ペルシア方面担当の補佐官でも詳しいことは突き止められなかった。少なくとも東方出身の外国人なのは確かなので、憲兵を動員して帝都中の怪しい外国人を調べさせているが、手がかりは見つかっていない。

 皇子の暗殺に失敗したのだから、当然今頃は逃げるか消されるかしているだろう。


(姫にもっと詳しく聞いておくんだったか……)


 両手に布をまいて、ラインハルトは砂の入った革袋を殴った。気分が晴れない時は体を動かすに限る。軍隊で身につけた習慣だが、自分に合っていると感じるし、体も鍛えられる。

 無心で砂袋を打っていると、つかの間、不安を忘れられた。

 だがやがて体力の限界が訪れ、肩で息をしながら、ラインハルトは床に倒れ込んだ。


「クソ……」


 内部の裏切り者も見つからない。襲われた時、ラインハルトは皇族の馬車には乗っていなかった。目立つので移動はもっぱら軍の馬車を使っており、外からはラインハルトが乗っているとわからないのだ。

 情報をもらした内部犯がいるはずだが、そもそもセディク・クーアの婚約式に行くことは直前に護衛に伝えるまで、ラインハルトは誰にも言っていなかった。日程的に行けるかどうかだったのもあり、本人にさえ伝えていなかったのだ。


(シドが生きてたら代理で行かせて俺は行かなかっただろうしな……)


 結婚式ならともかく、婚約式までは体が回らないのだ。特例を作ると他の人間の婚約式にも行かねばならなくなる。


(今回は特別だった……)


 シドと最後に酒を飲んだ時に出た話で、身分違いのせいで非常に荒れることが予想された婚約式。たまたま予定が巻いて体が空いたので、行ってやるかと直前に決めた。それを予想できたのは誰だ?


(……単なる物取りだったと言われたほうがしっくりくるくらいだな)


 襲われたのは寂れた貴族街の一角だった。有名な一家心中があった屋敷の付近は、気味悪がって付近の住人の転居が続出したのでひとけがなく、狼藉者が潜むにはうってつけだった。

 御者がそのあたりの道に不慣れで迷ってしまい、護衛の一人が「こちらから抜けられそうです」と襲撃地点に誘導した。


(あいつか? でもあいつ死んだんだよな。口封じされたか……?)


 葬儀はすでに終わっており、ラインハルトも出席した。泣き崩れる家族を目にしているので、馬鹿な真似をしたんじゃなければいいが。内通者だと結論が出れば殉職扱いは取り消され、保険金や年金は返還を求められる。家族は帝国にいられなくなるだろう。

 起き上がるとラインハルトは再び砂袋を打った。


(よくない兆候だな……)


 考えまいとするあまり、余計なことにまで気を回している。それで鬱々とした気分になっては意味がない。

 無心になりたかったが集中が続かず、すぐに息が上がってしまった。床に寝転んで呼吸を整えながら、ラインハルトはぼんやりと格闘場の天井を見上げた。


(姫……まだ怒ってるかな)


 何も手につかず、運動して考えないようにしているのは結局、リーシャのことが頭から離れないからだった。

 謝罪の手紙を送ったが返事が来ず、ずっと落ち着かない。

 郵便の時差もあるからもうしばらく待つべきだとわかっているが、許してくれないんじゃないかという不安で夜も眠れなかった。


(いっそ直接謝罪に行くか? ……嫌がりそうだな)


 セディク・クーアを尋問してリーシャについて聞き出したが、世話になってるくせに肝心なことは何も知らなかった。クーア自身、公爵家との関係がよくないので深く踏み込めないようだ。リーシャのことは気にしているようだが、彼女を構うと婚約者が嫉妬するので、リーシャが遠慮して距離を置いているらしい。

 公爵家に彼女の味方はいない。

 なるべく目立たないよう猫と平穏に暮らしたがっているのに、ラインハルトが訪ねて騒ぎにしたら迷惑をかけるだけだろう。

 必要なら間男のようにこっそり訪ねていくが、彼女の許可がないなら自制すべきだ。

 リーシャは誰よりも大人びているが、それは彼女を大人扱いしていい理由にはならない。

 男で、年上で、身分も地位もあるラインハルトに十二歳の女の子が一人で対応するのは大変な負担のはずだった。拒みたい時は特に。

 わかっているからしつこくしたくないのだが、関係が切れてしまうのは耐え難かった。


(また会いたい……もっと話がしたいよ)


 話していてあんなに楽しくて、一緒にいると心落ち着く人を他に知らない。

 幼女趣味と言われたら否定できないが、決して不埒な真似がしたいと思っているわけではないのだ。

 手紙にも書いた通り、ラインハルトは彼女と友人になりたかった。下手に生まれついての身分と社会的地位が高いと、心から信頼できる友人を作るのは難しい。シドが死んで誰もいなくなってしまったせいか、寂しくて仕方なかった。

 とはいえ望み薄なのも理解していた。親戚でもない26歳男性と12歳の少女が友情を育むのは難しい。他の男がリーシャに同じ申し出をしたら、「絶対二人で会っちゃ駄目だ」とラインハルトも全力で止めるし、なんなら相手の男を半殺しにする。下心があった場合は問答無用で埋める。


(結局、婚約したほうが楽なんだよな……)


 リーシャは公爵家の娘で身分は釣り合うし、政略結婚なら年の差は珍しくない。そうなったらいくらでも会えるし、連れ歩けるし、貢げる。

 求婚したとき、リーシャには完全に変態を見る目で見られたが――そして深く傷ついたが――、ラインハルトはただリーシャといつでも会える肩書が欲しかったのだ。

 他の男に取られてたまるかと思って焦り、その辺の説明をすっ飛ばしてしまったのは事実だが、決してよこしまな感情があるわけではなかった。誓ってあんな小さな女の子をどうこうしたいなんて思ってない。


(もう何を言っても信用されないだろうけどな。やっぱり年齢かな。姫にしてみれば自分の倍以上の年齢の男に求婚されたんだもんな……)


 リーシャの反応は正しい。全面的に自分が悪かった自覚もある。

 謝罪の手紙を送ったが、受け入れられなくても当然だ。

 でも辛い。彼女に二度と会えなくなるかもしれないと考えたら心臓がキリキリ締め付けられる。


「あー、クソ。なんなんだよ、これ。シドの呪いか? せめてあと五歳年上の女性にしてくれよ……」


 お前は一回本気の恋愛をしたほうがいいと、生前の副官によく言われた。してみたいと軽く答えていたが、こんなことになるとは。


(いや恋愛じゃない。自分の半分以下の年齢の、12歳の女の子に恋情なんて持ったら変態だろ。子供にそんな感情持ったことない。だから断じてこれは恋愛感情じゃない。ただ会いたくて、話したくて、嫌われたら死にたくなるだけだ)


 無心になりたくて砂袋を打とうとしたが、力が入らず、ペチンと情けない音がして終わった。砂袋にさえせせら笑われている気がする。

 ここ数日、体を酷使したので限界だった。仕方なく運動は諦めて汗を流し、たまった仕事でも片付けるかと執務室に戻ると、リーシャから返事が届いていた。


「……っ!!」


 カディル・ケセリが「本当にいい加減仕事をしろ(意訳)」とわめいているが、何も聞こえなかった。ゆっくり読みたいので補佐官を追い出し、心ゆくまで堪能した。

 落ち着いて品のいい流麗な筆跡。丁寧な字体。紙とインクすらとても良い匂いがした。


(記念すべき、姫からもらった最初の手紙だな……)


 控えめに言ってすごく嬉しい。開けるのがもったいない。このまま飾っておきたいくらいだ。

 いい返事とは限らないことは理解していたので、開けるのが怖い気持ちもあった。丁寧に封を開けて、ラインハルトは短い文面に目を通した。


『帝国の獅子、ラインハルト殿下


 お加減はいかがでしょうか。不調から回復なさっていたら良いのですが。油断せず、お医者さまの言うことを聞いてくださいね。

 丁重なお手紙をありがとうございました。謝罪を受け入れます。

 殿下をお助けしたのは帝国の臣民として当然のことですので褒美など不要ですが、労いたいと仰ってくださるお心に感謝して、一度だけ受けたいと思います。

 高価なものは家人に叱られるので、ご遠慮ください。

 殿下のご都合のよろしい日時に、こちらから参じます。


                          リーシャ・アシールギル』


 そっけないほど事務的な手紙を、ラインハルトは何度も読み返した。


(……あぶり出しかな。暗号?)


 何か違う意図にあるに違いないとラインハルトは考えた。そうじゃなければ、リーシャがこんな他人行儀な手紙を送ってくるはずがない。

 まるで身分の高い男に付きまとわれて迷惑しているが、断れないので嫌々従いますと言わんばかりだ。


(……違うよね、姫!?)


 謎を解こうとラインハルトは必死に考えた。

 誘ってもらえてうれしい。楽しみにしています。――などと社交辞令でも言わないのがリーシャらしい。本気にされて面倒なことになるのを警戒しているのだろう。さすがの聡明さだ。


(透かしたら本当の文面がわかるとか……)


 陽の光に当ててみたが、そんなことはなかった。


(いや、何かあるだろ!? 一度会っただけのクーアへの手紙でも、もっと親しみがあったぞ!)


 まさか自分がそれ以下の扱いだなんて――。


(姫……まさかあいつが片思いの相手とか言わないよな)


 自分の姉と結婚する男だぞ? そんな不毛な恋をするくらいなら、自分にしておくべきだとラインハルトは本気で考えた。

 花束を持ってもう一度求婚に行くべきか。ついでに騎兵隊を総動員して公爵家を囲めば、公爵も駄目とは言わないだろう。

 本気でラインハルトは再求婚案を検討したが、リーシャに蔑みの目で見られる未来しか想像できず、諦めた。公爵は武力で折れさせられるが、彼女は無理だ。


(裏の意図はあるはずなんだ……)


 それを解明するのが第一だと、ラインハルトは頭をしぼった。正直こういうのは得意ではない。


(あんまり頭よくないんだよ俺……)


 他の皇子たちと違ってラインハルトは高等教育を受けていない。十二歳で後宮を出奔し、軍隊に入ったからだ。高学歴の皇子や文官たちにはその点で皇帝にふさわしくないとよく攻められる。

 だからこそラインハルトはリーシャのような頭の良い協力者を必要としていた。


(いっそ補佐官に見せて助言をもらうか? 別に見られてまずいことは書かれてないし――)


 それが裏の意図だと、ようやくラインハルトは気付いた。

 リーシャは手紙が他人に検分されることを警戒して、たわいない内容に見えるよう装ったのだ。

 体の調子を心配しながら、毒にやられたことは書かれていない。ラインハルトがその件を内部にどう周知しているか不明だからだ。

 春分の祭りに誘った件についても言及を避けている。暗殺されかけたばかりなので、予定がわかるような書き方は危険だと判断したのだろう。


(姫……内通者がいることに気づいてるんだな)


 将軍の予定を知り得るほど近くにいる人間なら、こっそり手紙も盗み見れるかもしれない。そう考えて細心の注意を払った文面なのだ。

 彼女はそれが出来る人だ。


(俺のこと案じてくれたんだな……)


 意味がわかると、そっけなく見えるのすら気遣いだと理解できて感無量だった。


(早くまた会いたいな……)


 手紙にキスして、こみ上げる感情を噛み締めた。春分の祭りが待ち遠しくてならなかった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る