04.黒豹



 カイと森の中を進み始めて数日が経った。

 現在は、水場で休憩中だ。

 透き通るほど美しい泉。

 それを見て我慢できる、女子がいるだろうか。

 いや、いまい。

 何日も身を清められなかったパウラはいてもたってもいられず、服を脱ぎ始めた。


「ク、クーン……」


 カイが自らの手で目を覆った。

 まるで『自分は何も見ていない!』と言っているかのようだ。


「ふふ、はしたなくてごめんなさいね。

 でももう何日も、お風呂に入れていないのだもの」


 ゆっくりと足を水につける。

 冷たさに体が震えた。

 しかし、中に入ってしまえばさほど気にならない。

 泉は進むほど深くなっていた。

 思い切って頭の先まで浸かる。


(水の中、気持ちがいい)


 まるで胎内の赤子のように、丸まった。

 息が続くまでそうしていよう。

 そう思ってじっとしていた。


(ん?何か聞こえたような……)


 バシャンッと水に何かが飛び込む音がした。

 そちらを向こうと思ったら、体の下に何かがもぐりこむ。

 思わずそれにつかまった。


「ぷはっ、カイ?」


 水から顔を出す。

 一生懸命泳ぐカイがいた。

 どうやらパウラが溺れたと思ったようだ。


 泉から出て、カイは思い切り体を振る。

 膝を着いていたので、水が思い切りかかった。

 でも彼に悪気があるわけではない。


「カイ、助けてくれてありがとう」

 

 自分を助けようとしてくれた、頼もしい狼に感謝を伝える。

 溺れたのではなく、潜っていただけなのだが……。

 それを言ったら、優しさを無下にしてしまう気がして、びしょ濡れの彼をなでた。


 

 カイが出してくれた魔法の炎で、温まっていた時だった。

 鳥の群れが飛び立つ。

 それに耳をそばだてたカイは、その方角に向かって牙をむき始めた。


「ガルルルッ」


 パウラも異変に気付いた。

 まだ姿は見えない。

 でもその気配だけで、肌に粟を生じた。

 

(この気配、魔物だ。しかも、闇の魔力を強く感じる)


 身構え、息をのんだ。

 耳を澄ます。

 草の揺れる音が、近づいてきていた。


(あれは……影?)


 最初見たとき、そう思った。

 黒一色だったからだ。

 

 忍び寄るでもなく、こちらへ堂々とゆっくりやってきた。

 それは黒く大きな豹だった。

 どす黒く、濁った赤い目をしている。

 でも、その片方は大きな傷で潰れていた。


「……もしかして、あの傷はカイが?」


 それに返事はなかったが、間違いないようだ。

 黒豹は射殺さんばかりの目で、カイを睨みつけている。


「もしかして……。手の噛み傷は、あの黒豹に?」


 以前バーンズ家と眠りの森の境で、カイの怪我を治した。

 かなり深い傷だったが、あの魔物にやられたのだとしたら納得だ。

 体の大きさは、カイより大きい。

 あんなものに襲われて、腕の傷だけで済んだのは彼だからだろう。


「ギャアー!ギャアーオゥ!!」


 黒豹の大きな鳴き声に、空気が震えた。

 カイはさらに唸り声を強くし、耳は前方に伏せられている。

 いつお互いに、飛び出してもおかしくない。

 緊迫した空気の中、先に動いたのはカイだった。


「ウォーーーンッ!」


 鳴き声とともに、黒豹に雷が落ちる。

 しかし、当たることはなく器用に避けていた。


(あんな大きい体なのに、なんて素早いの!)


 さらに黒豹がしっぽを地面にたたきつけると、衝撃波が出てカイの魔法を打ち消した。

 どうやら、目の前の恐ろしい魔物は、魔法攻撃を無効にするようだ。


(だからカイでも、完全に倒すことができなかったのね)


 黒豹は一気に距離を詰め、カイに飛びついた。

 黄金の毛に、赤が広がる。


(このままじゃ、カイがやられてしまう!)


 自分ができることを考えた。

 今聖魔法で攻撃すれば、隙をついて黒豹を倒せるかもしれない。

 でもそれではカイにも当たってしまう。


(彼を巻き込むわけにはいかない。何か、別の方法……)


 魔法以外に自分ができる攻撃手段は、短剣で切りつけることくらいだ。

 短剣を手に取る。

 でも、今二匹の間に飛び込むのは、自殺行為でしかない。


(短剣、魔物……。そうだ!)


 剣を収め、急いで両手を合わせた。

 手のひらに、魔力を溜める。


「カイ!私の力をあなたに纏わせる!

 だから、その状態で黒豹を直接攻撃して!」


 カイに声は届いたはず。

 そう信じ、溜め込んだ聖魔力でカイを包んだ。

 その途端、カイに噛みついていた黒豹が距離をとる。

 口からは黒いもやが出ていた。


(やっぱり、聖魔力にはかなり弱いみたいだわ)


 逃げ腰になる黒豹へ、襲い掛かるカイ。

 引っ掛かれた傷や、噛まれた場所から勢いよく黒いもやが出ていく。

 それが体内からなくなるほどに、黒豹は小さくなっていった。

 もう尻尾を打ち付ける力も残っていないだろう。

 それでも、カイへ牙を剥き続ける。


「カイ!離れて!」


 パウラの意図が伝わったのか、カイは素早く距離をとった。

 それを確認し、高火力な攻撃魔法を放つ。


「【聖なる制裁パニッシュ】!!」


 空から降り注ぐ光の剣をうけ、黒豹は塵ひとつ残らず消えた。

 それを見て息を吐く。

 でもカイの方を向いて、血の気が引いた。

 すぐに駆け寄る。

 彼は全身傷だらけで、その場に倒れていた。

 もう虫の息だ。


「カイ、しっかりして!!【完全治癒ヒーリング】」


 傷はふさがるが、カイの意識は戻らない。

 しかし息はある。

 今は休んでいるだけだろう。


(今回は私がいたから、逃げることもできなかったのね……)


 カイの豊かな黄金の獣毛をなでる。

 静かに上下していた。

 魔法で怪我は治っても、体力までは戻らない。


「カイ、命がけで闘ってくれてありがとう。

 ゆっくり休んで、体力を回復させて。

 元気になったら、また進みましょう」


 眠るカイの頭にそっと口づけをする。

 もちろんそれに反応があるわけもなく、ただそっと彼を見守った。




 

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