第23話 助かっちゃったよ

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 俺もそうだが此花は私服だった。学校が休みの日なのだから、そりゃそうだろう。


 此花は女の子と手を繋いでいた。


 此花を幼くしたような美少女だ。此花の面影がある。


「妹のお迎えなの」と此花は言った。それから妹に、


「お兄ちゃんにご挨拶は?」


「こんにちは。此花琴音ことねです。四歳です」


 此花の妹は上手に俺に挨拶をして指を四本立てて見せた。


「こんにちは」と俺は返した。「相羽麟です」


 姉が十五歳で妹が四歳、十一歳差か。すげえな。


 つい、頭の中で計算をしてしまう。


「年が離れてるって思ったでしょ? 事故なんだって」


 要するに避妊に失敗したという話だ。


 親は娘にそういう話をするな。此花も俺に言うな。しかも本人がこの場にいる。

曖昧な顔で笑うしかない。


「相羽くんは何でいるの?」


「漁協の仕事でヤマメの展示。五月に放流のイベントをやるらしい」


 此花は俺が貼った説明のチラシに目をやってから妹に言った。


「たんぽぽさんになったら琴音がやるんだよ。川にお魚さん逃がすの」


 琴音ちゃんは水槽を覗き込んだ。


「お魚さんいないよ」と妹が姉を見上げて言った。


 水槽には、一見、砂利と水しか入っていない。


「ん」と此花は俺に目で訴えた。妹に水槽の説明をしろということか。


「黄色い丸い粒があるのは分かる?」


 俺は琴音ちゃんに話しかけた。


 砂利の上には三十粒ぐらいのイクラが落ちている。


「うん」


「あれは全部ヤマメというお魚の卵です。毎日見ているとそのうち卵の中に目ができて、それから何日かすると卵が割れてお魚の赤ちゃんが出て来ます。本当にそうなるか毎日良く観察してください」


「はい」と琴音ちゃんは、いいお返事をした。保育園児は本当に素直だ。


「もう風邪は治ったの?」


 文化祭を休んだ俺の体調について此花が訊いて来た。


 どうやら俺の目は泳いだらしい。


「もしかして?」


「手伝わもしない人間が本番に居ちゃ悪いだろ」


「そんなの気にしなくていいのに。それより比奈のほうが、相羽くんに悪いこと言っちゃった、ってずっと気にしてるよ」


「あの時、彼女泣いてた?」


 自転車置き場で別れた時の様子を俺は訊いた。


「少しね」


 被害者側という言い方が正しいか分からないが、どちらがそうかと言えば多分俺のほうだ。なのに、なぜ俺が居たたまれない気持ちにさせられているのだろう?


「俺がズル休みなのは彼女に内緒で。もっと思い詰められても困る」


 此花はニヤリと笑った。


「そう言ってた、って伝えとくよ」


「おい!」


「そのほうが相羽くんの優しさが伝わると思うよ」


 どこに優しさ要素があっただろうか?


 どういうべきか一瞬悩んでいる間に俺はタイミングを逃した。


「早く帰ろうよ」


 琴音ちゃんが此花に苦情の声を上げた。


 何も泳いでいない水槽相手では興味は続かないらしい。


 俺のほうも建さんが戻って来たので撤収だ。


 建さんが此花を目にして、お、という顔をした。


「あの時はお世話になりました」


 此花が建さんに頭を下げた。


「妹が通ってるんだって」


 俺は建さんに説明した。


「なるほど。じゃ、俺が来なくても人手はあるわけだな」


 基本的に水槽の管理は俺一人で行うつもりだったが、もしかしたら人手が必要な状況があるかも知れない。その時は此花に手伝わせればいいという意味だ。


「いい考えだろ」


 建さんは俺に笑いかけた。


 なぜ少しドヤ顔なんだろう。意味が分からない。


「まあ一人で大丈夫だよ。学校帰りに寄るだけだし」


「また来るの? いつ?」と此花。


「明日。孵化するまでは毎日、その後は一日置きかな」


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 翌日の放課後、此花は自動的に俺について来た。


「助かっちゃったよ。公園通るの一人じゃ嫌なんだよね」


 相当怖い思いだったのだろう。マオを受け取りに来て以降も近道なのに公園を通ってはいないらしい。


 当時の俺には此花を助けるつもりなどまったくなかったので、俺がいれば安心だと思われても、ただの勘違いだ。買い被らないでほしい。


 俺の自転車の前籠に此花のバッグを縦に突っ込んで公園の遊歩道を並んで歩いた。


 普段の此花は公園の外を大回りして家に帰り、それから妹を迎えに保育園に行くそうだ。


 朝の送りは父親が担当だが迎えは基本的に此花であるらしい。両親は共働きだそうだ。


 俺と同じく此花も帰宅部だった。


 いつかマオを抱いた此花と別れた公園出口に出て、バッグだけ家に置きたいと言うので、そこから此花の家に向かった。思ったとおり此花の家は公園の出口から見える場所だった。


 此花が玄関の扉を開けてすぐの場所にバッグを置く。


 此花の家から保育園まで並んで歩いた。


 俺の側から話題を見つけて話をするようなことは何もない。


 基本的に此花が一方的に話す話題に対して俺が適当な相槌を返すだけだった。


 俺が保育園に水槽管理に立ち寄る事実は養殖場側も承知しているため自転車に乗って保育園まで行くのも歩いて保育園まで行くのも時間的には誤差の範疇だ。少しくらい遅くなっても遅刻とは言われない。


 保育園のフェンスの扉にある決められた数字のボタンを押す方式の錠前を解除して保育園の中庭に入る。


「じゃあ」と、俺たちはそこで別れた。


 俺はシューズロッカー廊下の水槽へ向かい此花は妹がいる部屋へ向かう。


 なぜか俺が保育園に行く日は、そういう行程が義務付けられた。

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