第20話 何もありません

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 九月は防災月間だ。


 青嶺せいれい学園高等学校では毎年地元の消防署や警察署と連携して丸一日をかけて学年やクラスと内容を交代させながら全生徒に防災に対する講義や訓練を行っていた。


 九月一日の防災の日当日は消防も警察も学校も忙しくて時間が取れないため九月中のお互いの都合がつく日程で行われている。今年は九月二十五日だった。


 各教室から避難場所まで迅速に避難する訓練や水消火器を使用した初期消火訓練、火事の煙や地震の揺れを体験する訓練などとあわせて応急救命の訓練も行われた。


 応急救命訓練では怪我人の搬送方法、AEDの使い方、心肺蘇生法等について、消防署の担当者から生徒に対して実地で訓練が行われた。暴川上流漁業協同組合と同じ管内の消防署員による訓練なのだから俺が七月に漁協で受けた講習の内容とほぼ同じだ。


 もちろん、俺が笹本に対して行った処置は漁協で受けた講習内容をうろ覚えに思い出しながら行ったものである。段取りや内容に間違いがあると言われたら否定はできない。


 救命活動に貢献したはずの俺たちが、どういうわけかニュース報道で非難めいたコメントをされたりネットでも誹謗中傷を受けている事実は実際に救命活動に関わる現場の人間たちに大きな危機感を与えたらしい。


 救命活動をして叩かれるのでは誰も救命活動なんかしなくなってしまう。当たり前だ。


 特に当の事故現場を所管するこの地区の消防署と警察署にとっては危機的だ。管内での応急救命活動が批判されたことで委縮する人間が増えるだろう。他所よりもさらに今後の応急救命活動の実施率が減り死亡率が上がるものと懸念された。


 暴川の河童淵は毎年溺れる人間が出る場所であり時には死者も出ていた。


 これまでも漁協関係者が溺れた人に遭遇する事態もあり、それとなく川と遊んでいるお客さんたちの様子を気にかけていた。屋台にAEDが用意されていたのもそのためだ。


 漁協は事故の際には積極的に応急救命活動に協力していた。


 実際にそのお陰で助かった命もある。


 その漁協が漁協職員による救命措置の様子としてニュースに映像を使われ、おまけに非難めいたコメントまでされたのだ。今後、同様の水難事故が発生した際に居合わせた漁協の組合員が応急救命活動の実施に尻込みする思いを抱いてしまっても不思議ではない。


 消防署も警察署も応急救命活動が必要な現場において、せっかく居合わせた人間が自分の失敗や間違いを恐れて活動を見合わせ、要救護者が手遅れになってしまう事態は絶対に避けたいと考えていた。


 最悪なのは勇気をもって応急救命活動を実施しようとした人々の行動をニュースのコメントを正しいと信じたギャラリーが制止することだ。


 俺と此花たちが行った笹本の救命活動の場合で言えば、もしあの時の俺を此花でも鶴瀬でも二葉でも和賀でも鈴木でも誰かが一言、救急車が来るのを待ったほうがいい、といって止めていれば笹本は間違いなく手遅れになっていた。俺だって誰かに止められれば、それ以上の活動を続けていたかは分からない。


 可能性として一緒に行動していた誰かが事故で要救護者となり、残った人間たちが応急救命活動をする側になるという状況は大いにあり得るのだ。


 つるんで過ごす行動が多い学生同士であれば尚更だろう。


 消防署としても警察署としても学生たちが間違った知識を持ったままになっていそうな青嶺せいれい学園高等学校の現状は是正したいと考えていた。


 そのため、例年行われている訓練内容ではあったが連携している消防署と警察署は学校側の意図以上に力を入れ今年の講師の派遣人数を倍増させた。


 例年であれば実際に実地で訓練を行う生徒は各クラスの代表者数名に限られ、残りの生徒は様子を見ているだけであったところ、講師の人数と訓練器具が潤沢に用意されたので生徒全員が実地訓練に参加できた。


 何も手立てを取らないで手遅れになるよりはやったほうが絶対に良いのだから、もしそのような状況に遭遇したら躊躇せず応急救命活動を行ってほしい。


 という話が講師たちから繰り返し生徒たちに語られた。


 動画サイトに勝手に上げられている俺たちの救命活動についても、わざわざスクリーンに映像を映しながら実際に現場で応急救命に携わっている人間の視点から良い点や改善点等が説明され、結論として素人にしては完璧だったという評価と素人なのだからそれで十分なのだという話がされた。


 俺たちが笹本に行った応急救命活動は全生徒に対して丸一日かけて肯定され続けた。


 すべての講義と訓練が終わり消防署長から訓練全体に対する総評と挨拶が体育館で告げられた。


「今日行われた訓練の内容をすべて完璧に覚えておく必要や実施する必要はありません」


 消防署長は、まるで一日を否定するかのような言葉を最初に発した。


「けれども、もし、この先あなた方が災害や事故に直面した場合には、例え、うろ覚えの知識であっても心構えだけであっても今日得た経験は必ずあなた方の役に立ちます。

 災害や事故は、いつ起こるかわかりません。

 ということは、いつでも応急救命活動が必要とされる事態に遭遇するということです。

 そのような時に完璧に何かをしようと慎重になりすぎるのではなく、構えている時間があったら今日学んだ内容のうち少しでも覚えている何かを速やかに行ってください。

 具体的には心臓マッサージを行ってください。

 そうすることで要救護者が手遅れになるまでの時間を引き延ばすことができます。

 あと一分早ければ、といったドラマで聞くような言葉が救命活動の現場では当たり前のように交わされています。

 人の命を助けようとする行動は誰からも非難されるものではありません。

 非難を恐れて誰も動かなくなることで救える命が失われてしまうほうが大きな問題です。

 非難されるべきは人の命を助けようという人を面白半分に非難する側の人間です。

あなたたちは貴重なその一分を確保できる立場に居合わせたら躊躇ためらわずに応急救命活動をできる人であってください。

 ご承知の通り、この学校には実際に既にそれをやった生徒たちがおり、あなたたち全員の中にも同じ気構えがあると思っています。

 本日の訓練があなたたちにとって有意義なものとなるようこれからも同じ気構えを持ち続けてください。

 本日はご苦労様でした」


 その後、俺と此花、鶴瀬、二葉、和賀、鈴木は全校生徒が見守る中で体育館のステージ上に上げられた。


 既にそれをやった生徒であると言われた俺たちは、このために学校を訪れた警察署長から、人命救助に対する感謝状を贈られた。もちろん、それとは笹本の一件だ。


 六人を代表して俺が感謝状を受け取り俺たち六人と校長、警察署長、消防署長が並んだ写真が地元の新聞社の記者によって撮影された。記事は明日の朝刊に載るらしい。


 笹本は自分が救助された側だったのでばつが悪かったかも知れないが俺が見た限り一番力強く拍手をしてくれていた。


 此花たちからも、自分の頭で良し悪しを考えずに俺の指示に従った奴ら、というひどい中傷が払拭されただろう。


 閉会後、俺たちは記者から取材を受けた。


 俺も話を聞かれた。


「テレビの不用意な発言であなたたちは酷い中傷を受けました。今回、警察から人命救助の感謝を受けたことで皆さんの行いは間違っていなかったと証明されたわけですが何か思うことはありますか?」


 聞かれたら何か口にしないわけにはいかないから、そういうことは聞かないでほしい。


「不用意に口を開いて、また叩かれるのは嫌なので何もありません」


 俺はそう答えた。その一言が余計なのだとは、もちろん分かっている。


 記者も分かっていてあえて記事にしたのだろう。


 俺の発言が生意気だとネットで叩く人がいたらしい。俺は見ていないので分からない。

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