第4話 本当の本当に大嫌いだ

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 俺が小学三年生だった頃、学校の下駄箱や机の中に偽のラブレターを入れておき騙されて呼び出された相手が、のこのこと出て来る様子を陰から見て笑うという遊びが男女を問わず一部同学年の子供たちの間で流行っていた。


 悪趣味極まりない遊びだったが俺個人としては、出て来るほうも呼び出すほうも小学生が何を大人振って『恋愛ごっこ』をしているのだろうと冷めた目で見ていたため、幸い、一度も騙された経験はない。


 そのせいもあってか俺は余計に標的として狙われたらしく一時期執拗にそれらしき封筒と遭遇する機会があったのだが、であればこそ、なおのこと騙されるわけもなく封筒は見つけ次第ごみ箱行きにしていたため実際の文面までは見ていなかった。何でも『大事なお話があるので、いついつどこどこへ来てください』というような内容であるらしい。


 行くわけないだろう。


 中学校を卒業するまでの間に何回か時々思い出したようにそれらしき封筒の紛れ込みや友人を介した直接の呼び出しみたいな真似をされていたから、なかなか廃れない遊びではあるようだ。俺個人としてはまったく興味はないが仕掛ける側からすると面白いのだろう。


 少なくとも俺は一度も出向くような真似はせず完全に躱し切っていたから俺を騙そうとしていた奴らに対しては完全に、ざまぁ、である。


 当時の俺の考えとして男女交際は大人がすることであって、どうせそのうち別々の学校に通うようになり二度と会うこともなくなる小学生同士であるのに、こいつらは何を言っているのだろうか、と呆れて距離を置いていた。


 だからといって、小学三年生当時の俺は学校で一人ぼっちだったわけではなく、むしろ同学年の生徒全員と友達であるぐらいの認識でいた。友達百人できるかな、の世界観だ。


 俺は誰に対しても自分から話しかけることができたし何も意識せず自然に振舞えた。


『恋愛ごっこ』に興味はなかったので誰かを好きになるという気持ちを抱いた経験はなかったけれども特別に同学年の誰かを嫌いということもなく、自分が誰かから、はっきりと嫌い呼ばわりされる日が来るなんて思いもしなかった。


 小学校からの帰り道は大抵誰か男友達と一緒に話をしながら帰るのがいつもの行動だ。


 どういうタイミングのめぐりあわせか、その日、学校の敷地を出た時の俺は一人だった。


 晴れていたのに傘をぶらぶらと振り回して持っていた記憶があるため今にして思えば、朝、登校した際には雨が降っていたけれども下校時にはすでに止んでいて、いつもの帰宅メンバーで校舎を出た後校門を出るまでの間に、そういえば傘立てに傘を置いたままだったと気が付いて俺は一人で傘を取りに戻ったのだ。


 そのせいで周囲に他の友達はいなかった。


 傘を持ち一人で学校の敷地を出た俺の前方を同じクラスのA子ちゃんが、やはり一人で歩いていた。


 大体、女の子よりも男の子のほうが歩くのは早足だ。


 俺は、あっという間にA子ちゃんに追いついたので分かれ道に差し掛かるまでの何十メートルかの距離、話をしながら二人で歩いた。百メートルまではなかったはずだ。


 翌朝、俺が教室に入るや、昨日、俺とA子ちゃんが一緒に歩いていた様子を見ていた誰かがいたらしく話はクラス中に広まっており、みんなから一斉に冷やかされた。


 黒板に大きく相合傘の絵が描かれており傘の下に俺とA子ちゃんの名前が書かれていた。


 傘の上にはピンクのハートもある。


 すでにA子ちゃんは教室にいた。


 俺とA子ちゃんが本当はつきあっていて、みたいな話をニヤニヤとした表情の連中が言っていたが、あいにく、俺は『恋愛ごっこ』には興味はない。


 けれども俺が反論の言葉を言う前に呆然とした顔で黒板を見ていたA子ちゃんが真っ赤な顔で怒りだし、違う、そんなこと絶対ない、相羽くんなんて好きじゃない、本当の本当に大嫌いだ、と激しく泣き出した。


 そのタイミングで担任の女教師が教室に入って来た。


 担任は黒板の絵と泣きじゃくるA子ちゃんの様子に何が起きたかを一発で理解したらしく冷やかしていた生徒たちを叱り飛ばすと黒板を綺麗にさせた。教室の全員を席につかせて何事もなかったかのように出欠を確認して朝のホームルームを執り行った。


 A子ちゃんも泣き止んで落ち着いたため、その話はそれだけだ。


 その後、誰も蒸し返しはしなかったため完全に話は無くなった。


 なので、それはそれでいい。


 とはいえ、俺自身はA子ちゃんのことを恋愛的に別に好きでも嫌いでも何でもなかったけれども、まさか俺自身が気付いていないだけで本当はそこまで必死に否定するほど嫌われていたのかと強いショックを受けた。


 ただ目の前を知り合いが歩いていたからと安易に話しかけてしまって申し訳なかった。


 本当は嫌で嫌でたまらない相手と何十メートルか一緒に歩く羽目になったばかりか、あげくにその様子を見ていた連中から、みんなの前で面白可笑しく、あることないこと冷やかされてしまったのだ。女の子なのだから泣きもするだろう。


 俺は、この先、二度と用事もなく俺から彼女に声をかけたりはしないと心に決めた。


 日直だったり何とか係だったり同じクラスにいればどうしても話しかけなければいけない状況もあるので、その際は我慢してほしい。けれども、そのようなやむを得ない理由がある場合以外は絶対に俺からは話しかけない。


 もしかしたら同じように本当は俺のことを大嫌いだけれども学校や学年やクラスが同じだからとやむを得ず俺の相手をしてくれている人が他にもいるのかも知れない。


 深層心理でそう思い至ってしまったのか俺自身はA子ちゃん以外には特に意識をしたつもりはなかったのだが、その時以降、俺自身としては友達だと思っている相手、要するに同学年全員だ、に対しても俺のほうから話しかけることができなくなっていた。


 とはいえ通学区の都合上、同じ小学校に通う生徒の多くが、ほぼ同じメンバーのまま同じ中学校に通うことになる実質的に小学九年生まであるような環境だ。学校に行きさえすればわざわざ俺から話しかけなくとも毎日、ほぼ顔見知りの誰かから話しかけられていたので学校生活に不都合は生じなかった。表面的には以前と同じままである。


 だから、そのまま俺は俺自身の深層心理に気づくこともなく中学校を卒業した。


 そのため、実際に俺が、今後、友人関係となるかも知れない相手に対して自分からは話しかけられないと思い知ったのは高校の入学式当日である。


 今まで会った経験も話した経験もないため俺の存在を悪くは思っていないかも知れないけれども間違いなく、まだ良くは思っていない相手と、どうすれば関係を深められるのだろう。いや、そもそもの話として関係を深めなくちゃいけないのか?


 一生の一時期を偶々同じクラスになっただけの相手なのだから別に関係を深めたりせず、他人に近いただのクラスメイトのまま学校生活を送ればそれでお互いに困らないだろう。


 もし万が一、相手が直感的に俺のことを嫌っていた場合は親しくなろうとすることで、むしろ嫌な思いをさせたり俺自身が嫌な思いをさせられる可能性があるので俺から相手に話しかけないでいるほうが正解とも言える。


 そんなわけで高校入学から早一か月が経過した俺は安定した、ぼっちライフだ。


 だからといって一人で寂しくはないのかというと、そのような気持ちはまったくない。


 そもそも相手から話しかけられれば会話はできたし必要な用事があればこちらからも仕事と割り切って話しかけることはできたので問題はなかった。


 本当に用事があれば相手だって話しかけてくるだろう。


 暇つぶし的な中身のない会話を俺からは誰にも持ちかけないというだけである。


 十分しかない授業と授業の間の休み時間はトイレと早弁と読書ですぐに終わる。


 偶に食堂を利用する場合は逆に半端に空いている席に簡単に座れるので一人であるほうが都合良かった。食事なんて十分もあればすむだろう。沈黙が苦になるような長時間ではない。


 逆に誰かと一緒に食事をしてしまうと相手が食べ終わるまで待っていなければならないので、そのほうが沈黙に苦痛を感じる。俺は早食いだ。


 食事後の昼休みは机で寝ているか図書室を覗きに行って戻れば午後の授業の時間になるから、まったく苦ではない。


 そんなルーチンワークが俺の高校生活だった。

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