犬日記

春田透子

犬日記

フウガは風雅で、私たち家族からは「フウ」と呼ばれていました。体重は十キロくらいの大型犬。クリーム色の長めの毛は季節の始めになると、もう一匹増えるのではないかと思わせるくらい抜けてしまうので母によくブラッシングをされていました。母のことが大好きで、母が私を妊娠中は父が母のお腹を触ろうとすると本気で噛み付いてしまうこともしばしばあったようです。父は「お前の飼い主は俺だろ」とよくぼやいていたのは今でも忘れない台詞です。そんなフウですが、母のことが大好きでもブラッシングは何よりも嫌いで、母がフウ専用のブラシを持つと、大好きな母にですら牙を剥き出して「それだけはやめてくれ」と訴えていました。意思のしっかりとした自慢の犬でした。母のホールドに負けて、唸り声を上げながらも終わるのをジッと耐えるフウは、どんな犬よりも賢くて大好きでした。フウは、母から生まれた私のことは保護対象だと思っていたようで、生まれてすぐの時は母のお腹の中にいた時のように、寝ている私を母以外には触らせないように見張ってくれていたようです。母は酔うとこの話を何百回とします。酔っ払いの同じ話を何度も聞くのは苦痛ですが、この話だけは大好きです。言葉を話せないフウが、私を大切に思ってくれていた証拠。私とフウが両思いだった事実は、父の苦い思い出としても、母の美談としても、永遠に語られる事実だからです。


 フウの最期は、私にとって初めての「死」でした。その日は春休みで、私はゲームをしていました。休日のゲームの時間は一時間まで。私は冷蔵庫に貼ってあるストップウォッチをスタートさせてフウの隣に座りました。

 「比奈子、ゲーム終わったらフウガとドッグラン行く?」

母の問いかけに、ゲーム機から視線を外すことなく答えました。

 「うん、行く」

 フウは爆睡しているのか、大好きなドッグランというワードに気づくことなく寝息を立てていました。そんなフウを私は横目で見て、またゲームを再開しました。ドッグランに行くまでにメダルを三つ取れれば良いな。そんな呑気なことを考えていました。

 ストップウォッチが示している残り時間は十五分。もう癖になっているのか、残り時間を確認する時は大体十五分でした。いつもはなんて言い訳をすればゲーム時間を伸ばせるか考えていましたが、この日はドッグランに行く予定があったので「フウ、あと十五分だけ待ってて」と声をかけました。フウは私の声を無視してスヤスヤと寝ています。

 「フウ?」

 フウは忠犬と呼べる犬でしたから、私の問いかけを無視することはほぼありません。どんなに寝ていても、尻尾や耳で私の声に反応するのです。フウのお腹を見ました。呼吸がいつもより全然早い。寝ているのに走った後かのようにお腹を上下させているのに目が開いてない。いつの間に手に持っていたゲーム機を落としていたのか、慌ててソファから立ち上がった時にゲーム機を踏んで壊してしまいました。ゲーム機を壊したことに気付いたのは家に帰った後でしたが。

 「お母さん、フウが変!」

 そう私が叫んだ後の行動はあまり覚えていません。気付いたら母の車に乗って動物病院に向かっていました。私は母の車の後ろでフウの頭を撫でながら必死で犬の寿命について考えていました。大型犬の寿命は長くない。平均寿命は十年から十二年くらいだと父が話していた事を思い出します。「フウは私の二つ上だから八歳?じゃあ後四年しかないじゃん!やだ!」「仕方ないだろ、犬の寿命は短いんだから。散歩をめんどくさいなんて一回でも思ってみろ、フウが死んでから一生後悔することになるぞ」「思ったことないもん。フウの散歩大好きだもん」平均寿命は最短でも十年、フウは八歳。まだ後二年はある。四年ではないのかもしれないけど二年はある。だからフウは死なない。ちょっと風邪をこじらせただけだ。私が数ヶ月前にマイコプラズマ肺炎で入院したようにフウも入院が必要かもしれないけど死ぬわけじゃない。私は車の中でそんなことをずっと考えていました。

 「フウ、大丈夫?病院まで頑張ってね」

 フウは薄めを開けて苦しそうに呼吸をするだけでした。涙もろい母は運転をしながらもう泣いていたので、大丈夫、と自分に言い聞かせるのも虚しく、私の不安はどんどん大きくなっていきました。

 動物病院まで目と鼻の先まで来た時でした。母の車がいきなり停車しました。ずっとフウを見ていたものだから、なぜ止まったのか分からずに窓の外を見てみると交番の前。母は五十キロ制限の道路を七十二キロで走行し、ネズミ捕りにつかまって待ったのです。私は小さい頃、悪い事をしていなくても警察が無性に怖かったものですから、フウが死ぬかもしれないという恐怖と、母が警察につかまってしまったという恐怖で私はフウの頭を触りながら大号泣をしてしまいました。いつものフウなら顔の匂いを嗅ぎながら慰めてくれるのですが、そんなことはもちろんできるわけがなく、ただただ荒い呼吸を繰り返しているだけでした。

 窓を開けた母は警察官に「犬が調子悪いんです。もうすぐ先の病院なので見逃してもらえませんか?」と泣きながら訴えていました。私はギャンギャンと泣きながら、大人の母と子供の私が泣いていて、フウがこんな状態なのだから、母は警察に捕まらずに済む。と若干の安心を覚えました。しかし、でっぷりと太ったガマガエルのような警察官は、私の膝の上にいるフウを一瞥した後にこう言いました。


「犬は人間じゃありませんから」


 私の六年という短すぎる人生の中で初めて殺意が芽生えた瞬間でした。フウじゃなくてこのカエルみたいなおじさんが苦しめば良いのに。本気ででそう思いました。「他にも捕まっている人がいますが十分程度で終わりますので」という警察官の言葉に耳を疑いました。私がゲームをして時間を確認すると大体いつも十五分。「まだ後ちょっとできるけど、もう少しやりたいから言い訳を考えよう」十分や十五分とはそういう時間。まだ余裕を持てる時間。私がゲームをしていて慌て始める時間は五分を切ってから。フウがこんな状態でいるのにそんなに待てるわけがない。

「フウが死んじゃうの!先に病院に行かせて!」

人見知りで知らない大人と話すのが苦手な私でしたが渾身の力を込めて叫びました。フウは六歳なの。後二年は絶対にある子なの。昨日までは本当に元気だったから、今日死んじゃって言い訳がないのー。警察と母が何を話していたのかはもう覚えていません。先に病院へ。そんな願いも虚しく、母は交番の中へ連れて行かれてしまいました。ただ、融通を利かせてくれたのか最後に交番に入ったはずの母は一番最初に交番から出てきました。でも、だからなんだって言うのでしょう。「十分で済む」と言った警察官。六分で出てきた母。すぐ目の前にある動物病院。今さっき呼吸を辞めてしまったフウ。フウと私を見て全てを悟った母はその場で泣き崩れました。小さな私には、まだ健康的な身体付きだったフウを抱えて病院へ行くことはできませんでした。フウより体の小さな自分を恨むべきか、目の前のガマガエルのよう警察官を恨むべきか、何に怒りを向ければ良いのか何もわからないまま、車で最後を迎えてしまったフウに泣きながら謝り続けました。


 幼かった私にフウの死は強烈でした。今でもフウのことは大好きだし、父や母とフウの話になることがありますが、幼い頃の記憶とは曖昧なもので、フウとの楽しかった思い出は、私よりも両親の方が鮮明に思い出しているように感じます。フウと私はよく一緒に遊んだけれど、私はフウの面倒を見てはいない。フウの散歩に行ったわけではなく、私とフウは両親に散歩に「連れられていた」のです。そういった部分で両親の方が記憶が鮮明であるのは当然。そう感じるようになったのは、私が大人になったということも理由の一つだと思いますが、フウが亡くなって四年後に迎えたレタラの存在も大きいです。

 風雅という名前は父が名付けました。当時の私は「犬なのに人間みたいな名前なのはどうして?」と父に尋ねたことがあります。父は「犬や猫が大好きだから、ペットみたいな名前をつけるのは嫌だったんだ。法律上どうしても犬や猫はペットとして分類される。それは仕方のないことだけど、名前くらいは同等に、家族の一員として迎えたかった」と言いました。犬や猫が家族の一員というのは大賛成でしたけど、犬や猫だからこそ人間には付けれないような可愛い響きの名前をつけたい。そう思った小学四年生の私は響きの良さだけで真っ黒な子犬にレタラと名付けました。当時の私は「私が名前を付けたおかげだ!」と騒いでいましたが、ソルトアンドペッパーという毛色だったレタラは成長するにつれてアイヌ語由来の名前の通り白っぽくなっていきました。ミニチュアシュナウザーとはまた愛らしい犬で、子犬の頃に真っ黒でフワフワだった毛色をシルバーに変化させたと思えば、その毛質に艶を持たせて美しく輝きました。フウの寿命だった八歳を超えるとシルバーだった毛色は白っぽく変化し、子犬の頃のように柔らかな毛質へと戻っていきました。忠犬だったフウとは違って、レタラはマイペース。フウと同じところはブラッシング嫌いなところですが、レタラは生まれてから一度も牙を剥いたことがありません。ブラッシングの際は、長くカーブした上向きの睫毛を最大限下にして困り顔で私にホールドされているのです。

 特に大きな病気もなく自由気ままに生きていたレタラが病気をしたのは十歳の時。急性膵炎と子宮水腫を同時に引き起こしました。その日も父は夜勤で不在。私と母はワインで晩酌をしていました。日付が変わり、そろそろ寝ようかと歯磨きをしている時でした。先に寝室で寝ていたはずのレタラが洗面所まで私を迎えに来ました。

「どうしたレタラ?もう行くから待っててね」

レタラが眠くなって私を迎えに来ることは日常茶飯事です。特に慌てることもなく歯を磨きながらレタラを眺めていました。レタラはなぜか困った顔で私のことを眺めてきます。何が言いたいのかわからず、じっと私を見るレタラを見つめ返していたら、レタラの体が大きく二回上下しました。吐く、そう考える前に私はレタラの吐瀉物を手で受けとめ大きな声で母を呼びました。フウの時と同じです。あの時よりも年齢を重ねた母はもう泣いていました。酔っていることもあり、「財布がない、レタラが死んじゃう!」と泣きながら父に電話をかけていました。父に連絡が行ったのなら良い。私はこの広大な土地に一軒しかない深夜もやっている唯一の動物病院に電話をかけ、アプリでタクシーを呼び、財布、携帯、レタラと母を車内に押し込んで病院へ向いました。


 深夜の動物病院には夜中に怪我をしてしまった犬や鳥が多くいました。この日だけなのかはわかりませんが、レタラのように急に症状が出たような動物は見当たりませんでした。すぐに看護師さんにレタラを渡してレタラは奥へ消えていきました。

「比奈子、レタラは歳だし延命が大事なことではないからね」

 まだレタラの病状なんて何もわからないのに母はそう言いました。私は無性に腹が立ちました。私はもう子どもじゃない。父に似て身長は一六〇センチを優に越えているくらい体は成長した。今なら交番の前で無様に泣くこともなくフウを抱えて病院まで行ける。苦しみを伸ばすような治療をレタラに強要するつもりもない。今ここで安楽死の話をされたら返答はできないけど、私はフウの死からレタラを迎えるまでいろいろな事を考えて生きてきた。まだ判断材料がない現段階で延命云々の話をするつもりはさらさらありませんでした。「レタラは助かる」の一点張りです。

 父は職場から動物病院まで四十分はかかる道のりを十分ちょっとでやってきました。「仕事は放り投げてきた。お母さんが大泣きして電話してくるもんだからレタラがもうダメなのかと思って」父はそう言いました。私は「吐いたけどまだ何もわからないの。でもいつもとは絶対に違う」と言いました。父が車を飛ばして帰ってくるのはわかっていました。フウの時もそうです。あの時のフウは今のレタラよりも緊迫感があり、父に連絡できたのはフウを抱えて家に帰った時でした。その時も父は一時間かかる出先から三十分くらいで帰ってきたのです。私はフウに感謝しました。絶対に違うけど、深夜で人も警察もいなかったから何事もなく病院についたのだろうけど、どうしてもフウがレタラの危機を案じて父を警察から遠ざけてくれたのではないか、と思わずにはいられませんでした。

 私たちはレタラの病状を説明されるのに診察室に通されました。レタラはいません。酸素濃度の高い四角い箱の中で視線だけをこちらに向けたと思ったら、またすぐに目を閉じてしまいました。こんなに夜遅くにレタラを診てくれた獣医さんは、レタラの方を見てから、私たちに向き直して言いました。

 

 「もしかしたら今日、今日を乗り越えれば大丈夫かもしれません」

 フウの時とは違い、泣かずに対応してきた私もここが限界でした。目の下の部分が熱くなり、何かの筋が切れたかのように涙が止まらなくなってしまいました。フウの時とは違ってそこまで絶望を感じなかったのはまだ少しの希望があったから。一日の入院が決まったレタラを一人にさせるのは嫌でしたが、泊まるという私に「普通の動物病院でもあり得ないのに、こんな救急病院で付き添いなんてお前邪魔だぞ」と、一番冷静な父に諭されて、私と母は泣く泣く父の車に乗り込みました。朝が来るまで一睡もできませんでしたが、幸い病院から電話が来ることはなく、フウをつれて行くことが出来なかった動物病院の営業時間に合わせてレタラを迎えに行きました。

 レタラは社会化期を失敗してしまった子なので、私を見つけるとすぐに起き上がり「出してくれ」と酸素室のドアの匂いを嗅ぎました。知らない人や他の動物の匂いが怖いのです。通り過ぎる看護師さんみんなに「ありがとうございました」と言いながら私はレタラを抱き抱え、説明を聞きました。レタラは、フウが行くことの出来なかった病院で目を見張る回復を見せ、低脂肪、低糖質のご飯しか食べられないという制限はあるものの、今年十四歳を迎えようとしています。大きな病気をしてからもう四年という歳月を迎えようとしているんです。本当に、本当に家族思いの素敵な子だと思います。フウとは違ってレタラは「みんなのために長生きするぞ!」というタイプではありません。「なんか苦しいな」と思っていたら病院に連れて行かれて、しかも比奈子たちは私を置いて帰ってしまった。怖いけど一晩待ったら体も少し楽になって比奈子も迎えに来てくれた。「よかった!もう元気!」多分このくらいでしょう。能天気な子で本当に可愛らしい。あれから数値も安定し、たまに薬を服用するものの、母がキッチンに立つと当たり前のようについて行ってもらえるわけもないおこぼれを真剣に待つ。耳も遠くなり、私が呼んでも聞こえずに無視をすることも増えましたが、相変わらずきゅうりを切る音には敏感に反応します。聞こえてても気分によっては無視を決め込むレタラですが、本当に愛おしいんです。

 レタラの死をフウのように現実的に捉えてから、レタラと過ごしている間も頻繁にフウの最期を思い出すようになりました。もし、私がアルツハイマーになって全てを忘れてしまう瞬間が来ても、交番の駐車場でフウが息絶え、母が泣き崩れた瞬間を私は一生忘れないと思います。私がフウに対して感じてしまったどうすることもできない後悔は、私とフウの思い出をほとんど悲しいものに変えてしまった。

 フウがなくなってから、私はゲームができなくなりました。私が踏んで壊してしまったゲーム機を片付けながら「新しいの買おうね」と言ってくれた母に私は「いらない」と答えました。ゲームをしていたからフウの様子に気付けなかった。「あと十五分か」あんな思考を放棄していれば、早くに家を出ていれば、私を大切に思ってくれていたフウに選択肢を残せたかもしれない。

 フウがいなくなってから、私は電子音が苦手になり、目覚ましはかけずに自力で起きる力が身に付きました。フウを抱えて帰った家にはけたたましくストップウォッチが鳴り響いていたんです。ゲームの終わりを教えるはずの音が、まさかフウの一生を終わらせる音になるなんて、ゲームを始める前に六十分をセットした時は考えもしなかったから。警察、フウの死、鳴り響くストップウォッチ、あの時の私には全てが怖かった。

 でも、今の私はあの時の私よりも分別があるからわかるのです。私の後悔には意味がないこと、レタラと私が今幸せなこの瞬間にフウに申し訳なく思わなくて良いこと、スピード違反は悪いこと、たとえ捕まっていなかったとしてもフウは助からなかったこと。

 私が帰宅して大喜びのレタラが私の周りで騒ぐのをやめて玄関の匂いを嗅ぎ回っています。私はレタラが大好きです。この子にどんな最期が待っていようと、私は最善を尽くす覚悟があります。フウの時とは違う。私は過激派ではないので、犬を「わんちゃん」と呼ぶように強要したりしないですし、動物の性別はオス、メスという表現で何も間違っていないと思います。

 「動物好きに悪い人はいない」だなんて誰が言い始めたのでしょうか。私は、あのガマガエルのような警察官が急な心臓発作で苦しみ、思いがけないような辺鄙な場所で最期を迎えますように、と今も願わずにはいられないのです。

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