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 実行機能を司る前頭前野と、扁桃体の繋がりがある一定の反応を示すとき。それはつまり、自分の行動から起こる結果をシミュレートして危険性を感じたときで、言い換えれば自身がリスキーな行動を取るところを思い浮かべたとき。

 それをトリガーに、ナノマシンによって増設された神経回路が報酬系の即座核にドーパミンを分泌する。

 要するに、自分がリスキーな行動を取ったり、リスキーな行動を取ることを想像したりすると、報酬系が快感をもたらしてその行動を強化し、意思の力ではそう簡単に逆らえないほどに依存させる。

 以前ある男にBIASバイアスが使用されたときは、その男は突然、勤め先の会社からまとまった額の現金を横領し、その金をギャンブルに注ぎ込んだらしい――そうメレディスは語った。

 衝撃的だった。僕は咄嗟に語気を荒くして問いただす。

「そんなもののせいで、ミアはテロ組織に加担したっていうのか」

「もしもそうだとしても、ミアが組織による一連の事件は、あくまで彼女たちが自ら起こしたことだ」

 相変わらずメレディスは、癇に障るほど平然としていた。僕は続けて問いかける。

「まさかシザロの件を調べられないようにするためナノマシンを?」

「もし私がやったとすれば、確かにシザロとロッシュ・デュボワのことを調べられては困ると、考えたのかもしれない。その場合だが、横領とまでいかなくても、つまらない交通違反か、職務規定違反か、その手の適当な醜聞を起こしてくれればそれでいいと考えただろう。これまでずっと真面目に生きてきた人間が、ルールを破る背徳の味を占めて、多少道を踏み外してくれればそれで十分だと。あくまで、余計なことをする部下を捜査の第一線から外すことが目的ならば。

 もっとも私は、失踪した彼女を本気で止めようとしていたが」

 仮定の言い回しを多用するメレディスに、僕は底知れない不気味さのようなものを感じた。

「まるで人間の自由意志を否定するような発想ね。そもそも記録が残っていることがわかった時点で、リヴィングストン一人を口封じに消すことは考えなかったのかしら? あなたなら、その程度造作もないはずだけれど」

 そう非難するように尋ねたのは部長だ。

「もし私が軍閥にテロをけしかけたという当時の記録が残っていたとしても、あの男にはまだ協力者としての価値があった。それだけのことだ。それに自由意志なんて代物は、間違いなく存在している。存在するからこそ、初めてそれに対して干渉する余地が生まれる、というのがその分野の専門家たちの共通見解だそうだ。

 ミアは一連の行動を自らの意思で選んだ。決して操られたわけでも、強制されたわけでもない。さっき話した横領犯の男も、罪の意識に加えて、自分の行動を自分の意思で選び取ったという、明確な自覚があったらしい」

 メレディスが言い終えると、部屋には沈黙が流れた。入り口の近くで立ったままのグエンは露骨に戸惑いの表情を浮かべていて、僕に助けを求めるような視線を向けていたが、どうしていいかわからないのは僕も同じだった。

 僕の隣に立つオリヴァーはどうしているのかと思って視線をそっと向けると、彼はおもむろに口を開いた。

「しかし十年前のことについては、やはり司法当局は関心を持つだろうな。不自然な株取引に、当時のロッシュ社とのあいだで流れた不審な金だ。これでも私は州政府から出向している人間でね。関係機関への連絡はとっくに済んでる」

 そしてオリヴァーは、堂々と胸を張るような口調で続けた。

「ミア・ノヴィツカヤは先ほど、データチップの中身のすべてを当局に提出する司法取引に同意した。むろん彼女はいくつかの罪状には問われるが、それでも数年の服役後には証人保護プログラムが適用されるだろう。それもすべて、上級捜査官殿の悪事を証言……いや、彼女自身がある意味では、あんたの犯罪の証拠であることの見返りといってもいい」

 メレディスが一瞬目を逸らす。オリヴァーの宣告は、追い討ちをかけるように止まらない。

「確かにこのデータだけでは、証拠能力は弱いかもしれない。しかし十年前の不審な金の流れは、これからいくつも見つかっていくだろう。それに本人の同意のない脳神経系に対する医学的処置は、それ自体が違法だ。医師への脅迫についても、捜査されることになる。

 我々はチャーター便からの連絡以降、既に各方面との調整を行い、一連の事件の捜査を市警が主導する体制が既に出来上がっている。メレディス・イグナチェフ、あなたに対する徹底した捜査体制だ」

「いいだろう。覚悟ならとっくにできている」

 そう応えるメレディスに、最後に部長が言った。

「この男を連行して。この男が犯した、部下の女性への罪は重い」

 それは他人を操ろうという傲慢さの罪だと、僕は考えた。十年前の悪事の片鱗を掴み、テロ組織に加担するという方法を選んだミア。悪事の露呈を避けるため、ミアをリスク中毒者に仕立てたメレディス。

 僕は自ら歩み出て、メレディスの肩に手を掛けた。

「人はそう簡単に復讐などしない」

 メレディスは無理に微笑むような表情を浮かべる。

「君は今のシザロの繁栄を見てきただろう。それも元将軍一派を排除できたおかげだとは思わないか? 十年前の事件がなければ、元将軍の排除は叶わず、今頃も醜い内戦が続いていたかもしれない。我々は、あくまで秩序をもたらす側だ」

「数多の死者を出しておいて、それが正しかったとは評価されないさ。正しさは立場で決まらない」

 人は誰しも正しく扱われるべきだ。

 メレディスは自らの行いについて裁かれるべきだし、ミアは不同意の脳情報学的処置など受けるべきではなかった。

 そしてコディは、命を落とすべきではなかった。

 元凶を明らかにすることで、僕は久しぶりに経験した友人の死に、少しでも報いることができただろうか。


 こうして一連の事件は――そう呼べるとすればだが――いささか唐突に解決を迎えた。

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